汗と涙の着物生活 

突如着物に目覚め、ついに着物作成に挑戦。着付けに涙し、とどまらぬ物欲に冷や汗の毎日。

「助六」に十年の歳月を思う~五月花形歌舞伎 夜の部

2010-05-19 | お出かけ
先週の土曜日は、着物友達の黒猫さんと花形歌舞伎観劇に。
仁左衛門さんの熱烈なファンであり、海老蔵丈にはあまり興味のない黒猫さんだけど、終演後は「きれいだった!」といってくれてお誘いした甲斐があったというもの。

海老蔵丈の「助六」を見るのは三回目。最初に見たのは新之助時代の初演で、はやり新橋演舞場だった。「助六」そのものを見るのが初めてだった私は、新之助が出てきた瞬間、「わ、助六がいる」と思った。その興奮をまた味わいたくて、上旬、中旬、下旬と見に行ったのだった。それほど「助六」の世界に魅了されてしまったのだ。

初演のとき22歳だった海老蔵は、今年32歳。あれからちょうど10年たった。当時、父親の團十郎丈が助六を初演したのは37歳だったのを引き合いに出され「早すぎるとは思わないか」という問いに対して「(壁に当たる経験をさせられるのが)教育だと思っている」と答えていた海老蔵丈。この日、舞台に出てきた海老蔵は、初演のときと比べればすっかり落ち着いて、着実にこの役を自分のものにしているように感じた。花道の出端、傘を扱う姿にうっとり。こんなに落ち着いて、うっとりできたのは初めてだわ。役者自身の落ち着きが、観客にも伝わったのだと思う。(ときどき台詞が不安定になっているのが気になるが)

初演時の印象は鮮烈だったけれど、海老蔵丈にとって最も記憶に残ったのは、私には二回目の「助六」。海老蔵襲名公演だった。このとき、團十郎丈は病気のため、途中休演となってしまった。やんちゃだけど、精神的な脆さも感じていて、果たして襲名公演の重厚に耐えてあの「助六」を演じられるか懸念していたが、立派に役割を全うしたのだった。それは海老蔵丈一人の力だけでなく、周りの支えがあったからであるのは勿論だ。彼にとって、それは襲名というだけでない、大きなターニングポイントになったのではないか。自分をこんなにたくさんの人がもり立て、支えてくれている事実を父親経由ではなくダイレクトに認めざるをえない。人が成長するポイントはいろいろあると思うけれど、自分を支えてくれる他人の存在を認識したとき、強く自分の役割を自覚して変わるのではないだろうか?

家の芸ということで、海老蔵丈がこの役を教えてもらったのは、もちろん父親の團十郎丈から。しかし面白いのは、先月歌舞伎座で見た父親の團十郎丈とはまったく別の「助六」になっていること。團十郎丈の場合は、とにかく明るい光に溢れた助六。対して”粋な”風情があるのが海老蔵丈の助六。「粋」の構成要素には、どこかに暗い影の部分が必要なのだ。その違いは、もちろん役者本人の持つキャラクターの違いに起因するのだけれど、海老蔵丈自身もあえて演じてかもし出している部分も少なからずある。というのも、彼自身、父親に習ったことをなぞるだけれはなく、敬愛する十五代目羽左衛門丈や祖父の十一代目團十郎の型を独自に学んだと語っているのだ。彼はそれを「親父には大きさがある。自分のは切れ味。ただしカッターナイフ程度だけど」と表現している。

ところで今回の「助六」の特徴は、なんといっても「水入り」まで演じられるということ。実は海老蔵丈は、初演のときに「次は絶対、『水入り』までやりたい」と語っていたけれど、結局演じるまで十年かかった。それほど、興行的には大変な「水入り」なのだ。舞台上で水を使う演出は歌舞伎ではけっして珍しいことではないけれど、人一人がすっぽりと入るほどの量を使うし、揚巻のゴージャス衣装を水浸しにしてしまうわけだし、コストも時間もかかるのは見なくてもわかる。(あれ、まさか”洗える着物”ってわけじゃないよねえ。絹もの?乾かすのも大変なボリュームだけど、どうしてんのかなー)

でも「水入り」の場面が入ったことで、助六が真剣にあだ討ちをしようとしていたことに納得がいった。設定された時代が、実は鎌倉時代だったというのはびっくりさせられたけど。歌舞伎は基本的に時代考証無視なので、衣装と設定された時代にギャップが生じるのだ。

白装束で、傷ついて揚巻に保護される姿は、前半の文句なくかっこいい「助六」の姿とは対照的で、母性本能をくすぐられるのである。このコントラストに江戸時代の女性たちは、うっとりしたのだろう。いや、もちろん自分もだけど。

この日、私は「助六」観劇ににぜひ着たいと、「くるり」で買ったリサイクルの格子と傘模様の小紋を着用。普段は芥子色の紬の帯を合わせるのだけれど、一等席に敬意を表して袋帯を締めてみた。黒地に暖色系が重なり、ちょっと暑くるしかったかな。
眠さんは、この時期にふさわしい、しゃっきりとした質感の藍の大島姿。会場内も、着物姿のうちの半分ぐらいは、大島のような質感の紬だった印象。時期のせいか、新橋演舞場という場所のせいか、歌舞伎座さよなら公演よりカジュアル度高し。

前の週には殆ど見かけず、「ちょっと早かったか?」を思わされた紗の羽織。この日はだいぶ着用率が増えていて、袷の羽織にもどした私は完全に失敗。あんまり他人さまの姿に振り回されず、自分の体内温度計に素直になりたいもんです。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
『助六』 ではないけれど… (カンナ)
2010-05-20 09:38:14
成程ねぇ…。
又々、海老蔵を堪能して来たのね (♡▽♡)
でもさぁ、覚えてる!?
私達が初めて歌舞伎を観たのは、小学校の校外学習で行った
市民会館での歌舞伎だったんだよ (^.^)b
演し物をサッパリ覚えていないんだけど、多分 世話物だった気がするんよねぇ…。
何だったっけ???
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え!? (はつき)
2010-05-20 13:42:03
> 市民会館での歌舞伎

ぜんぜん、覚えてません!!(私、その時参加してた?)
よほど関心なかったんだなー。
それがこんなに歌舞伎好きになってしまうなんて、歳月というものは恐ろしい…。
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勿論! (カンナ)
2010-05-25 09:37:04
風邪や熱で休んでいなければ、一緒に観に行っていると思うよ (^_-)-☆
うちの小学校って、色んなものを観たり聴いたり行かせてくれたなぁ…って、
今更乍ら感じます。
音楽部以外の校外学習で、オーケストラも聴きに行ったし(鶴岡さん&私、指揮者をトライさせて貰いました♪)
劇団四季の『ふたりのロッテ』も観に行ったし、情操教育が裕やったわね (*^。^*)
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それなら覚えが(^^) (はつき)
2010-05-25 13:23:07
かんなさんがオーケストラの指揮にトライしたのは覚えているよ。「ふたりのロッテ」も。
歌舞伎だけは記憶がない…。なぜだ?
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はじめまして・・・ (aki)
2010-05-26 10:06:23
はじめまして。akiと申します。着物&歌舞伎好きという共通点から、こちらに辿り着きました。海老蔵さんの助六、とにっかくカッコイイですよね。最前列で見て、うっとりしました♪

私は歌舞伎を見始めて7~8年、着物にはまって3年ほどです。歌舞伎や着物を中心に雑記ブログを書いておりますので、よろしければお立ち寄りくださいませ~。こちらにもまたおじゃまさせていただきます!
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歌舞伎ファンとして… (はつき)
2010-05-26 12:48:22
akiさん、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。
ブログ、拝見しました。すごーく熱心にご覧になっているのですね。

私も一時、名古屋から博多からパリまで(^^;)歌舞伎を見まくっていたことがありました。それがきっかけで各地を訪れることができたのも良い思い出です。

これからもよろしくお願いします!
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