いつのときに出来たお寺か、私には分からないが、この年も春が巡ってきた。
現在も、人が住まっているのかも定かには感じられない古寺の土塀は、かなり荒れ果てていたが、大きなさくらの木には、零れ落ちんばかりに、はながさきほこる。ここ播磨でも、信州でもそうだが、「さくら」と「お寺」とは、昔からきってもきりはなせない関係があるらしい。
はなの艶やかさとは別に、なんとなく淋しい感じを受ける。
そういえば、予科練の歌にも「ななつぼたんは、さくらにいかり」と歌われていたらしいが、大戦末期の「特攻隊」にも大勢の若い人たちが参加したと、知覧で見たこともある。
なにか、話がとんでもない方向にむかってしまったが、「さくら」にまつわる話は、いろいろあるようだ。
現在も、人が住まっているのかも定かには感じられない古寺の土塀は、かなり荒れ果てていたが、大きなさくらの木には、零れ落ちんばかりに、はながさきほこる。ここ播磨でも、信州でもそうだが、「さくら」と「お寺」とは、昔からきってもきりはなせない関係があるらしい。
はなの艶やかさとは別に、なんとなく淋しい感じを受ける。
そういえば、予科練の歌にも「ななつぼたんは、さくらにいかり」と歌われていたらしいが、大戦末期の「特攻隊」にも大勢の若い人たちが参加したと、知覧で見たこともある。
なにか、話がとんでもない方向にむかってしまったが、「さくら」にまつわる話は、いろいろあるようだ。