ちょっと気になる京都の風景

京都人の私から見た身近な京都の風景や街の古い建築物、ちょっと気になる構造物などを少しマニアックな視点で紹介しています

重機の墓場

2012-01-15 10:40:06 | 京都市伏見区
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ここは今まで一度も足を踏み入れた事のなかったエリアでした。


この辺りはかつて広大な農地だったように記憶しますが、過去に区画整理がされており、現在は結構広い幅員の道路も数本走っています。
しかし、区画整理後はほとんど入居は進んでいないようで、物流関連の会社やトラック用の大きな駐車場が点在しているだけで、
訪れた日は北風が吹きすさび、荒涼としたイメージでした。


そんな中で見かけたモノは… 重機の屍でした。





こういうデカイものが放置され、朽ち果てて行くさまは鬼気迫るものがあります…

これぐらいデカいと鉄道車両にも通じるものがありますね^^;

しかし、「京都市」は警告の張り紙をしたままで、一向に強制撤去しないのはなぜなのでしょう?
公示から一定期間と費用が必要なのはわかるのですが、民間人には どう見ても「所有権を放棄した物」にしか見えませんが(笑)
お役所仕事や法律とは"こんなもの"なんでしょうかね…?



京都南ICの壮大な新設歩道橋

2012-01-09 20:41:48 | 京都市伏見区
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一昨年ぐらいでしたか? 国道1号線の京都南ICに、世間の歩道橋撤去の流れと逆行するように新しい歩道橋が設置されました。

規模も大きく、けっこう複雑な造りになっています。なんだか遊園地のアミューズメントみたいです… ^^


これは1号線の西側から北(市内中心部)方向を望んだところ。問題は1号線東西の歩道が、この歩道橋を挟んで
直進できなくなったこと。歩道を歩いてくると、柵の設置で強制的に歩道橋へ誘導されます。以前は多少の危険はあっても
アクセスウェイを横切って直進できたのですが…西側歩道を北向きに歩いてきた場合は、歩道橋を通って東側へ連れて行かれます。


自転車も、「ご親切に」スロープを通って向こう側へ行って下さいということですね。



スロープは、自転車が降車せずに登れるようにとの判断か、車イスの方が自力で登れるようにという判断か判りませんが
勾配を緩和する為に、2回旋回するように作られています。結構 金掛かってるし、通る時間も掛かるなぁー^^;


折しも 女の子が自転車でスロープに差し掛かり…
一人は立ち漕ぎではありましたが、降車せずに何とか勾配を登り切って行きました。


そこで気になったのが、この古い歩道橋の存在! 新しい歩道橋が出来た今、もうこの歩道橋は存在する理由が無くなってしまいました。


なぜって、仮にここ(東側)から渡った場合、西側に下りても前後100mほどしか歩ける部分がないんです…

しかしちょっとお粗末に思ったのが、先頃改正された自転車に関する道交法。幅2m以下の歩道は原則走行禁止となりましたが、
ここの歩道は東西とも明らかに幅2m以下。ということは、自転車は車道端を走行しなければならず、スロープを通って歩道橋を渡る必要がなくなって
しまったんです。高いカネを注ぎ込んで作ったのに価値が半減してしまったとも言えますな(笑)
ま、「原則通行禁止」というコトなんで、無理やり歩道橋を走らせるといった手段を取るものと思われますが、自分の安全は自分で判断して守るもの。
おカミに強制されて、守ってもらうのはナンセンスですよね。ここの通過時分の増大と、東西への余計な迂回分の損失はどうしてくれるんだ?
と言いたくもなりますな~(笑)それは冗談としても、何で今頃こんな立派な新・歩道橋を作ったのか、不思議に思いますね。


旧歩道橋は「京都南歩道橋」って命名されてるんですが、そう遠くない内に撤去されるのでは?と予想します。
今現在、閉鎖されていない事も不思議といえば不思議なんですが…


かなり上塗りを重ねていて、読みにくくなってはいますが、旧歩道橋は、当時の「日本道路公団」が設置者のようです。

現地を訪れている20分ほどの間に、通行した人たちはホンの数人。わざわざ こんな立派な歩道橋を設置する必要があったのかいな?と、
「ちょっと気になる京都の風景」でした^^;

集団移転した2つの街 【淀 水垂町と淀 大下津町】

2011-10-09 19:52:00 | 京都市伏見区
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ここは伏見区 淀の桂川右岸堤防上です。皆さん「淀」というと京都競馬場や京阪淀駅の周辺のみが「淀」と思っておられませんか?
実は桂川の右岸(西側)に当たる地域もれっきとした「淀」という地名を冠する地域なんです。これは私も意外でした…


このバス停は「水垂(みずたれ)町」。珍しい名前ですね。今はここには20系統しかやってきませんが、かつては22甲や22乙、特22系統などが
入り乱れ、私の中では最も路線を把握しにくい地域でした。
今回はそんな事を取り上げたいのじゃなくって、向こうに見える真新しい住宅街が今回のテーマなのです。


バスの走る堤防を外側に下りると、目の前にはもう一つの台地が…
そうです。これこそ「淀 水垂町」という、国策による大規模治水事業で街ごと集団移転させられた集落なのです。
ここより少し南(宮前橋という、橋を挟んで)に、もう一つ移転させられた街があります。
そちらは「淀 大下津町」といいますが、後でご紹介します。


堤防直下、手前の枯れ草の平地が以前の集落だった場所です。
国は桂川の拡幅を含む大規模な治水事業で、この地域に移転を求めました。さして大きな反対運動は起こらなかった(と記憶している)のですが、
住民の方の「ここにずっと住み続けたい」という願いは強く、京都市はその代替地として埋め立て処分場の予定地の一角を集団移転先として提供
する事にしたそうです。それだけではなく、桂川の万一の逸水に備えて、従来の堤防よりレベルを高く 台地状に作られました。
この台地を嵩上げするのに使われた土は、何と!地下鉄工事で出た残土だそうです。



水害に対しては安心を得られましたが、弊害として バスに乗るのに一度 何十段もの階段を下りて、再び堤防を上がらなければならなくなってしまったようです。



以前に古い街並みがあった場所です。ここに住宅があったという痕跡が、今も僅かに残っていました。


水は桂川からのみ襲ってくるとは限りません。海抜の低い土地の為、水が集まり易く 排水対策は重要です。
普通ならポンプ場程度の施設になるのですが、ここは比較的規模の大きめの「排水処理施設」となっているようですね。



こちらは もう一方の「淀 大下津町」の街並み。一連の事情を知らなければ、最近に分譲された「高級な住宅街」と思ってしまうかも知れません。


真新しく且つ落ち着いた佇まいのとても良い環境で、すごく羨ましいです!


かつて住宅が建っていた跡地。造成されたヒナ段が かつての家々の痕跡を物語っていますね。


何本も入り組んだ、堤防から集落へ至ったであろう道の跡。通常、集落がなければ 堤防からこんなに複数の道は伸びていませんよね。 

当然、土地の氏神さまも(写ってませんが、お寺も)新天地に移転・鎮座されていました。


全くの主観をお許し頂ければ、この2つの集落を見て感じたことは かつて各地でダムの底に沈んだ村のような悲しさや切なさは見受けられなかったように思いました。
街そのものが真新しいという事もあるのでしょうが、明るく清潔感がある。そして、かつて自分たちの生まれ育った土地のすぐ目の前に隣近所と一緒に引越し出来た
という安堵感があるのではないでしょうか…

しかし、京都市内にも集団で移転した集落があったという事実は意外でした。