ちょっと気になる京都の風景

京都人の私から見た身近な京都の風景や街の古い建築物、ちょっと気になる構造物などを少しマニアックな視点で紹介しています

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四条千本界隈

2018-06-03 11:05:00 | 京都市中京区
久々の気まぐれ投稿ですみません。
今回はあまりネタ的には面白みがないのですが、時々通る四条千本界隈の趣きが以前と変わっていたので
ちょっとバスを降りてブラついてしまいました。


嵐電の煉瓦積の橋台だけは以前と変わらず、趣きのある佇まいを今に残しています。


嵐電の築堤に沿って南側の細道を入って行くと、
西高瀬川が四条から南下して築堤をくぐって西に向きを変えたところが
見られました。通水復活のおかげか、以前よりは水量が多いように見えましたが
三条春日辺りに比べて流れているという実感はあまりありません。


冒頭に書いた、趣きが少し変わったとは千本通を挟んだ四条通の南側の風情なのです。
5~6軒の飲食店が似たような時期に相次いでオープンし、ちょっとした「飲み屋街」
の様相を呈しています。
この店舗群、四条通に面してはいるのですが、建物の奥行きは極めて浅く一間(約180㎝)
ぐらいしかありません。
どういう訳で急に店舗群が出来たのかは分かりませんが、数軒は比較的簡易な普請の店で、
永続的に営業するつもりはないのかも知れません。


中には大阪風の業態をそのまま持って来たような店もあり、
お約束?の偶像もしっかり置いてありました(笑)


もう一つ変わっていないのがコレ!
実に1970年の大阪万博の看板がいまだに残っていたのには少なからず驚きました。
(実に半世紀近く!)しかし更に驚くのはこれだけにあらず!? もう気が付かれましたか?
それはこの壁の後ろのお店が開業する時に併せてトタン板が塗り替えられた時も、
既にお役御免の看板を撤去したりせずに そのまま残して作業されていたということです!

2025年の万博も再び大阪で開催されるといいですね…
その時まで無事に残っているかな?
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どうなる?山陰連絡線…

2017-08-08 22:43:44 | 京都市下京区
子供の頃、夜の20時25分頃に梅小路貨物駅を出発する山陰線の貨物列車がありました。牽引機は福知山機関区のD51で、これを親父に車でよく見に連れてもらい、七条通の踏切までしばし併走してもらうのが楽しみでした。
ほんの4~5分の間でしたが、目の前で重い貨車を牽いて力走するD51の姿が今も鮮明に脳裏に焼きついています。鉄道を好きになった原点の一つがこの場所であることは間違いありません。

しかし、時の流れとともにいつしかこの線路を走る貨物列車は無くなり、一時は休日に嵯峨野線方面と大阪を直通する臨時快速列車が通るだけになりましたが、既にそれすら無く…

今、水族館と鉄道博物館で一躍人気観光スポットになった梅小路公園へのアクセス改善の為に七条通の南側に設置される新駅建設の邪魔になるとの理由で、残念ながら無用の長物化していたこの連絡線が一部撤去されることになりました。

今ならまだ七条通のガーダーもその姿を留めているので、記録に残すべくこの前の日曜日に撮影して来ました。


左が山陰連絡線(貨物線)。今はもう走る列車はありません。


この場所に開いた2本のデッキガーダーが架かる風景ももうすぐ見納めです。


山陰連絡線のデッキガーダーには、撤去工事用でしょうか?受け台が組まれていました。


一方、嵯峨野線(山陰線)側では既に新駅の工事も始まっていました。


よく見ると山陰連絡線にはもう架線がありません。いつの間にか取り外されたようです。これでもう電車は走れなくなりました。


七条通から優雅に弧を描いて南西方向に伸びる高架橋。


左のアスファルト部分が旧地上線跡。この辺りから左に分岐して七条通の手前まで中央倉庫への引込線がありました。
一度だけ荷物の引取りに行った中央倉庫の構内には線路を埋めた痕が残っていました。


いかにも国鉄時代に造られたデザインのシンプルな単線高架橋です。


この線は山陰連絡線という名前が物語っているように、山陰本線の一部ではなく東海道本線の支線に当たるそうです。
そういえば大昔 丹波口駅に隣接していた、京都中央卸売市場への貨物取卸駅である「京都市場駅」も東海道本線の
駅の一つだと聞いた記憶があります。


下から高架橋を見上げるとこんな感じ…


昔は構内へ勝手に入って写真を撮ったりしてても まずお咎め無しでしたが、今はかなり厳しそうですね。
デジタル監視システムの普及が犯罪抑止に威力を発揮する反面、窮屈で息苦しい世の中になってしまったのも事実です。
ま、昔はユルい時代だったといえばそれまでですが…


高架線になる以前は涼しげに木々の繁る遊歩道の部分が線路敷でした。信号機辺りから右へ、新千本通(八条通)を横切って
第一工業製薬(モノゲン石鹸)の工場へ引込線が分岐していました。


JR貨物・京都貨物駅への入口。ここを高架橋が横切る風景ももうすぐ過去のものになってしまうのかも知れません…


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知らない間に西高瀬川に水流が…

2017-03-05 11:38:46 | 京都市右京区
本当に久しぶりの更新になってしまいました。
いつも覗いて頂いている方には、もうブログは止めてしまったのか?と思われていたかもしれませんが、
実は止めてはいなかったのです(笑)

ちょっと所用があって「三条春日」でバスを降りると…
何と!知らない間に西高瀬川に水流が復活していました。
それもなみなみと…
天神川三条の取水施設もある程度出来ていたのですが、その後 見た目に進捗は止まっており、
なかなか進まないなぁと思って、最近はほとんど気にも留めなくなっていました。


現在の源流部は三条春日西詰めの島津製作所敷地の南西角にあたる場所です。
河床の鉄格子部分から結構な勢いで湧き上がっています。
ということは、すでに天神川三条の揚水設備は稼動していて、ここまで地下の送水管で送られているのでしょうか?


上記で「現在の」とお断りしたのは、そこから上流(西)の部分も親水型で河床整備が進められているので、
遅かれ早かれここから上流部分に新たな源流になる可能性があると思ったためです。


現在のところ画像はありませんが、その整備されている部分も山ノ内の山王神社の少し東まで。
そこから上流の天神川三条まで住宅地の間を流れる箇所は全くの手付かず。川岸まで住宅や事業所が立ち、
垂直な両岸の立地的な条件や工事の気配も全く感じられないことから、ここは当面は現状のままかも知れません…
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九条師団街道 ? !

2015-06-14 20:34:45 | 京都市東山区
先日の夕方、202系統のバスに乗り九条通を東福寺方面へ向かっていた際、例の私の好きな「九条陸橋」を通過中にハッとする光景に出会いました。
乗用車より高い視点から何気なく南の方角を見ていた時、ちょうど鴨川を越えた辺りの師団街道の手前辺りで鴨川に並行に九条陸橋に向かってだんだん高くなって来る高架の橋脚を見てしまったのです。
なので、居ても立ってもいられず(笑)今日改めてその現場へ行ってみました。

【画面左が南方向で、奥が鴨川です】


【東山橋(左下)と北方向を望む】


【この橋脚の高さは決定的!】


十条相深町バス停の辺りから、例の阪神高速・鴨川東ランプの工事に合わせて師団街道が一部付け変えられて整備されたことは皆さんご存知の方も多いと思います。
しかし少し北に来ると、ちょうど九条陸橋をくぐる辺りでは何の変化も無かったように… 少なくとも私はそう思っていました。
昔から疏水に沿う師団街道は九条陸橋の下をくぐるものだという先入観があり、まさか西側に高架を立ち上げ九条陸橋の上に交差点を作るとは夢にも思わず、私としてはまさに「してやられた」思いです(笑)




【既に受けて立つ九条陸橋側の橋脚にも新橋を載せる部分が増設されていました】


【九条陸橋を挟んで北側を望む】


【単にあなたが知らなかっただけ!と言わんばかりに こんな立派な看板が…w】


今日はあまり時間が無く 北側部分の探索はできませんでしたので、また後日「Part2」でアップしたいと思っています。
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八条・南大内あたり 1

2015-05-17 14:18:19 | 京都市南区
突然の更新、誠に失礼致します…^^;

昨日、タイトルの辺りに所用があって 会社帰りに1号線を北上する19系統を東寺南門前でを降り、東寺さんの境内を南北に突っ切って八条通~七条大宮まで歩きました。
ご承知の方も多いと思いますが、大宮通より西、八条通の少し北の辺りでは、八条通のすぐ北に新幹線の高架が通っています。
その高架をくぐり「私の好きな」大宮陸橋の地下部分へ向かう途中、新幹線北側の側道と微妙な開き方をしていく細い裏道に出会いました。
こういう角度ってなんかピンと来るんですよね、わたし的には…(笑)
少々急いでいたので写真を撮らなかったのですが、この左側の細道の先には新幹線や東海道線とは距離が離れ、何の関係もなさそうな場所に「工」のマークの入った標柱が立っていました。
「工」って昔の鉄道用地、見方を変えれば「旧工部省」のマークなので、旧国有地の場所のはずです…
誰にも省みられずに住宅街の道端にひっそりと立っていた「工」の標柱。何かありそうな予感がしています。
それが何であるか、ある程度の目星は付けたのですが、今 軽はずみに書くのはよろしくないので、もう少し下調べをしてから再度2でアップすることに致します。

後日、2につづく…(いつになるのやら…冷汗)
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導水施設の現況

2014-04-08 12:32:16 | 京都市右京区
4月6日の日曜日に見たところでは、導水施設の根幹となるであろう構造物が姿を現わしていました。


一見しただけでは判断出来かねますが、おそらく下段から取水してポンプで揚水~上段は余水をオーバーフローさせるのではないかと推測します。


西高瀬川の清流復活が待ち遠しいです!
でも、下流側の整備はちゃんと進んでいるのでしょうか? 一度見て来なくては…
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いよいよ形になり始めた導水施設

2014-03-02 10:00:49 | 京都市右京区
ゆっくり少しづつですが、復活・西高瀬川への導水施設の工事が進んでいます。


現在は天神川の河床東半分に矢板を打ち込み、深く掘り込んでコンクリートを打設したところまでです。


看板に工期は3月までと書いてありましたが、仮に今月末までとしても現状を見る限りでは到底無理ですね。
ま、年度と予算の関係で一旦区切らざるを得ないんでしょうが…


西高瀬川に清流が復活するのが待ち遠しいですね ♪

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かつて伏見区にも火葬場が…

2014-02-09 22:50:00 | 京都市伏見区
ご存知なかった方には ちょっと衝撃的なタイトルかも知れませんね…
でも、実際に明治期より昭和35年春まで伏見区の と、ある場所に実在したのです。
こういう内容の記事は人によって畏怖や嫌悪感を催す場合もあるのでよくないかな?と多少ためらったのですが、
人生の最後には誰もが必ずお世話になる荘厳な場所でもあり、決してタブーでもないと思いますので、歴史的事実として敢えて書くことにしました。
もし不快に思われた場合はご容赦下さい。

その成り立ちは、詳しくは分かりませんが 設置当初は民営だったようです。民営といっても個人経営や営利企業だったどうかはわかりません。
(実際に花山火葬場(現・京都市中央斎場)は、当初 東西の本願寺が共同で設置したそうです)
以後、昭和4年~6年の間だけ存在した「伏見市」営になり、伏見市が京都市に編入された後は 京都市営として昭和35年に廃止されるまで稼動したようです。
ご興味を持たれた方はネット検索してみて下さい。いろいろ出てくると思います…


私が中学の時だったか高校の時だったか忘れましたが、副教材の白地図に「伏見火葬場」の記載があるのを一度見たことがあるのです。
当時 大きな衝撃を受けはしたものの、伏見方面の地理にも明るくもなく わざわざ場所を確かめることもありませんでした。
でもその事実は以来ずっと頭に刻まれており、最近は伏見区内に通勤していることもあって 再びザワザワと気になりだしてはいました。
最近 仕事関係の人との雑談で伏見の昔話に花が咲き、何気なしに水を向けてみたところ、偶然にもご存知でした。
しかしその場所は勤務先から500mと離れていなかった…ちょっと衝撃的でした…
今、その場所は京都市の所有地で某施設となっています。周辺は区画整理され、民家や農地・企業などもあるごく一般的な場所となっていますが、
当時はほとんど周囲に人家がない農地だったはずですが、一見して旧伏見市街地からは見えないような場所であったのは容易に推測できました。

伏見火葬場の存在はこの際 別として、その当時の周辺のどかな伏見界隈の風景を一度見てみたかった気はします…



 

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消え行く社宅

2014-01-15 23:30:00 | 京都市右京区
予告なしの突然の復活ですみません!
そのうち そのうち…と思いながら、ずるずると時間ばかりが過ぎて行き、気がつけば年が変わっていました。
このままではいけないと思い直し、やっと一歩踏み出すことが出来ました。
こんな私ですが、どうか気長にお付き合い下さいますようお願い致します。


昔は比較的あちこちで見かけた鉄筋コンクリート造りの社宅。
 
ふと気がつけば、京都市内で見られるこのような社宅もずいぶん少なくなってきました。

建設当時は昭和真っ只中の高度成長期。少しぐらい狭くても住めば都のことわざ通り、近代的で文化的な我が家でした。

今から見れば、デザイン性を排した直線的で無味乾燥な機能本位の建物でした。
でも、ある意味古き良き昭和を感じられて、懐かしくもあります。

私の知る範囲でも、近年5ヶ所ほど こういった社宅が姿を消しました。
生活スタイルの変化と言うか、時代の流れなのでしょうね。
もう昭和は遠い昔になってしまったような思いがします…
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【いよいよ始動!】 西高瀬川の清流復活工事

2013-06-16 09:30:00 | 京都市右京区
ご覧頂いている皆様には日々大変もどかしい思いをさせてしまい申し訳ございません…
長い間 保留状態を続けておりましたが、本日とりあえず暫定的に復活させて頂きました。
Facebookへの移行も考えましたが、今ひとつ 内容とのマッチングがよくない為、断念しました。

この間も京都の街はどんどん変化を続け、題材に困る事はなかったのですが、
いかんせん勤務状況が劇的に悪化し、心身とも疲弊してモチベーションが下がったことや、
せっかくの休日の朝に早起きする事が厳しかったこともあって、ずっと保留させて頂いておりましたが、
このまま放置し続けるのも良くないと思い直し 早起きできる季節に合わせて、
再度ウォーミングアップを兼ねて ぼちぼち復活させて頂くことと致しました。
先も書きましたが、以前に取り上げた題材の場所も ここ数年で姿を消した場所も少なくありません。
この機会にビフォー・アフター形式で再度取り上げてみたいとも思っております。
どうぞよろしくお願い致します。


ということで復活第一弾です!
西高瀬川の清流復活工事がいよいよ始動したようです。以前に 2011-04-24付でアップしましたが、
その時は他の工事を取り違えてフライングしてしまいましたが、今度は看板も出ていますので間違いないようです。
この土地は長らく廃材置き場として使われていましたが、2年ほど前の何かの工事で整理され、その工事完了後は
再び更地のまま放置が続きました。しかしいよいよ復活工事始動ということで、重機が入りました。
今朝の時点で確認できた変化は、東側に隣接する猿田彦神社側にコンクリートが打設されて擁壁が出来ていたこと。
敷地中央部を東西に横切っていた天神川から分岐したばかりの河道が埋め立てられていたことです。



私事ですが 最近は通勤ルートを、ここを通るバスから地下鉄に変えたこともあり、変化に気づくのが遅れました。
自宅から そう遠くもないので、これからは時々 工事の進捗もレポートしてみたいと思っています。
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