ちょっと気になる京都の風景

京都人の私から見た身近な京都の風景や街の古い建築物、ちょっと気になる構造物などを少しマニアックな視点で紹介しています

旧市電の軌道敷を撤去?!

2020-11-22 19:03:36 | 京都市中京区
 
先日、朝の出勤時 信号待ちでふと告知看板に目が行って驚いて急に撮りました。
何と!京都市電 千本・大宮線の廃止から実に半世紀近く経った今ごろになって軌道敷を撤去するって?!
てか、今まで後院(こういん)通の路面の下にそういうものが残っていた事に改めて驚いています。
私の子供の頃の記憶では廃止後すぐに線路や敷石ごとアスファルトで仮埋めしたあと、
時間をかけて少しずつ掘り起こして全て撤去したと思っていたのですが…
掘り返している部分を車から覗き込んでみたのですが、レールらしきものは見えず
おそらく軌道筐体を支えていた路盤(いわゆる基礎部分)を掘り起こして撤去しているように見えました。
深さは目測でおよそ1メートルほど。それを今 この時期になぜ わざわざ撤去する必要があるのでしょう?
事情はよくわかりませんが、お役所の仕事は何かよくわからない事が多いです。
それは仕方ないとして、市バス壬生操車場の構内入口付近の路面に薄っすら見えている旧 市電壬生車庫へのループ線の
レールは 市電の遺産としてそのままずっと残しておいて欲しいものです。

令和2年版・小川の跡

2020-07-09 00:05:31 | 京都市上京区
本当に本当に超久しぶり且つ 気まぐれ投稿で恐縮です。(このブログはまだ生きていました 笑)
このブログを始めた頃は新型コロナウィルスの世界的な蔓延でこんな日が来ようとは夢にも思わなかったのですが、
現実は現実としてしっかり受け止めて行かなければなりません…
という訳で、6月からは勤務先の業績低下に伴う休業要請もあったりしまして、
家にいる時間が多くなって自然にPCに向かうことが多くなりました。(リモートワークはしておりませんが)
google mapのストリートビュー(以下SVと略)なるものも このブログを始めた頃には考えられないアイテムだったのですが、
暇にあかしてこれを見るのが最近の楽しみとなっており…
そんなこんなで、あちこちを見ていると以前に訪ねた場所が気になったりして、SVで見てみますと意外にビフォーアフターに
なっていたり、気になっていた場所が空撮で見られて新たな発見があったりで、今回の記事にも繋がった訳であります。
という訳でgooglemapからの引用と旧画像の再掲でお茶を濁した「ナンチャッテ投稿」なのでお許しのほど。


昭和38年に暗渠化されるまで ほぼ上京区内のみを流れていた「小川(こかわ)」。
この源流部の空撮を見ていると その流路が最近見えて来たのです。
元々、「小川」は小川通と重なる場所を流れていたとばかり思っていたのですが、空撮で見ると その裏側を流れていた場所が
案外多く、特に源流部の堀川紫明あたりから斜めに南東へ流れていた辺りは明らかに不自然に斜めになった建物や
土地の境界線のカーブを見ると明らかになってきます。
以前は現地を歩いて発見することのみを良しとしておりましたが、最近では私有地に無断で立ち入るリスクが高まり、
(以前は明らかな不法行為でなければ、ある程度は目を瞑ってくれていましたが…)
かくなる上はこうした「文明の利器」を使うのも、仕方ないのかなと一人で納得している次第です。


この画像は今でも「小川」の姿が唯一はっきりと残る日蓮宗・本法寺前の辺りから寺ノ内の百々橋跡辺りですが、天神公園の東側から
本法寺前の少し北側までは現在の小川通の西裏を流れ、一旦小川通に出てきます。そして百々橋をくぐったあと、
再び家々の西側を流れて上立売通に至りますが、ここで何を思ったか(笑)90度直角に東へ向きを変えて流れます。
そして再び南に向きを変え、現在の小川通の西端を流下し、今出川通を越えて一条通まで下がります。


少し端折りますが、小川武者小路を下がった辺りに革堂図子という細い東西の路地があり、そこに以前架かっていた橋の跡は
ここに明瞭に川が流れていたことを示してくれていましたが、最近SVを見るとすでに撤去されていました。
もう川がないのに橋は無用の長物でしかありませんから止むを得ないですね…


これは まだはっきりカタチを留めていた頃です(2012年頃撮影・再掲)


残念ながら撤去されてしまった現在の様子…(SVより)
右側のお宅の塀でかつての橋の位置がわかりますね。


※以上のような訳で、以前からご覧頂いている皆様には 突然の新規投稿で驚かれたことと思います。
今後も気まぐれで投稿していきますので(これからはビフォーアフター形式が多くなるかも知れません…)
また見てやって下さいませ。

四条千本界隈

2018-06-03 11:05:00 | 京都市中京区
久々の気まぐれ投稿ですみません。
今回はあまりネタ的には面白みがないのですが、時々通る四条千本界隈の趣きが以前と変わっていたので
ちょっとバスを降りてブラついてしまいました。


嵐電の煉瓦積の橋台だけは以前と変わらず、趣きのある佇まいを今に残しています。


嵐電の築堤に沿って南側の細道を入って行くと、
西高瀬川が四条から南下して築堤をくぐって西に向きを変えたところが
見られました。通水復活のおかげか、以前よりは水量が多いように見えましたが
三条春日辺りに比べて流れているという実感はあまりありません。


冒頭に書いた、趣きが少し変わったとは千本通を挟んだ四条通の南側の風情なのです。
5~6軒の飲食店が似たような時期に相次いでオープンし、ちょっとした「飲み屋街」
の様相を呈しています。
この店舗群、四条通に面してはいるのですが、建物の奥行きは極めて浅く一間(約180㎝)
ぐらいしかありません。
どういう訳で急に店舗群が出来たのかは分かりませんが、数軒は比較的簡易な普請の店で、
永続的に営業するつもりはないのかも知れません。


中には大阪風の業態をそのまま持って来たような店もあり、
お約束?の偶像もしっかり置いてありました(笑)


もう一つ変わっていないのがコレ!
実に1970年の大阪万博の看板がいまだに残っていたのには少なからず驚きました。
(実に半世紀近く!)しかし更に驚くのはこれだけにあらず!? もう気が付かれましたか?
それはこの壁の後ろのお店が開業する時に併せてトタン板が塗り替えられた時も、
既にお役御免の看板を撤去したりせずに そのまま残して作業されていたということです!

2025年の万博も再び大阪で開催されるといいですね…
その時まで無事に残っているかな?

どうなる?山陰連絡線…

2017-08-08 22:43:44 | 京都市下京区
子供の頃、夜の20時25分頃に梅小路貨物駅を出発する山陰線の貨物列車がありました。牽引機は福知山機関区のD51で、これを親父に車でよく見に連れてもらい、七条通の踏切までしばし併走してもらうのが楽しみでした。
ほんの4~5分の間でしたが、目の前で重い貨車を牽き出して力強く加速して行くD51の姿が今も鮮明に脳裏に焼きついています。
機関士さんや助士さんに手を振ってもらったのも良き思い出で、鉄道を好きになった原点の一つがこの場所であることは間違いありません。

しかし、時の流れとともにいつしかこの線路を走る貨物列車は無くなり、一時は休日に嵯峨野線方面と大阪を直通する臨時快速列車が通るだけになりましたが、既にそれすら無く…

今、水族館と鉄道博物館で一躍人気観光スポットになった梅小路公園へのアクセス改善の為に七条通の南側に設置される新駅建設の邪魔になるとの理由で、残念ながら無用の長物化していたこの連絡線が一部撤去されることになりました。

今ならまだ七条通のガーダーもその姿を留めているので、記録に残すべくこの前の日曜日に撮影して来ました。


左が山陰連絡線(貨物線)。今はもう走る列車はありません。


この場所に開いた2本のデッキガーダーが架かる風景ももうすぐ見納めでしょうか?


山陰連絡線のデッキガーダーには、撤去工事用かも知れない?受け台が組まれていました。


一方、嵯峨野線(山陰線)側では既に新駅の工事も始まっていました。


よく見ると山陰連絡線にはもう架線がありません。いつの間にか取り外されたようです。これでもう電車は走れなくなりました。


七条通から優雅に弧を描いて南西方向に伸びる高架橋。


左のアスファルト部分が旧地上線跡。この辺りから左に分岐して七条通の手前まで中央倉庫への引込線がありました。
一度だけ荷物を受け取りに入った中央倉庫の敷地内には貨車に積み卸しするプラットホームと地面には線路を埋めた痕が残っていました。


いかにも国鉄時代に造られた感じがするシンプルな単線高架橋ですね。


この線は山陰連絡線という名前が物語っているように、山陰本線の一部ではなく東海道本線の支線に当たるそうです。
そういえば大昔 丹波口駅に隣接していた、京都中央卸売市場への貨物取卸駅である「京都市場駅」も東海道本線の
駅の一つだと聞いた記憶があります。


下から高架橋を見上げるとこんな感じ…


昔は構内へ勝手に入って写真を撮ったりしてても まずお咎め無しでしたが、今はかなり厳しそうですね。
デジタル監視システムの普及が犯罪抑止に威力を発揮する反面、窮屈で息苦しい世の中になってしまったのも事実です。
ま、昔はユルい時代だったといえばそれまでですが…


高架線になる以前は涼しげに木々の繁る遊歩道の部分が線路敷でした。信号機辺りから右へ、新千本通(八条通)を横切って
第一工業製薬(モノゲン石鹸)の工場へ引込線が分岐していました。


JR貨物・京都貨物駅への入口。ここを高架橋が横切る風景ももうすぐ過去のものになってしまうのかも知れません…



知らない間に西高瀬川に水流が…

2017-03-05 11:38:46 | 京都市右京区
本当に久しぶりの更新になってしまいました。
いつも覗いて頂いている方には、もうブログは止めてしまったのか?と思われていたかもしれませんが、
実は止めてはいなかったのです(笑)

ちょっと所用があって「三条春日」でバスを降りると…
何と!知らない間に西高瀬川に水流が復活していました。
それもなみなみと…
天神川三条の取水施設もある程度出来ていたのですが、その後 見た目に進捗は止まっており、
なかなか進まないなぁと思って、最近はほとんど気にも留めなくなっていました。


現在の源流部は三条春日西詰めの島津製作所敷地の南西角にあたる場所です。
河床の鉄格子部分から結構な勢いで湧き上がっています。
ということは、すでに天神川三条の揚水設備は稼動していて、ここまで地下の送水管で送られているのでしょうか?


上記で「現在の」とお断りしたのは、そこから上流(西)の部分も親水型で河床整備が進められているので、
遅かれ早かれここから上流部分に新たな源流になる可能性があると思ったためです。


現在のところ画像はありませんが、その整備されている部分も山ノ内の山王神社の少し東まで。
そこから上流の天神川三条まで住宅地の間を流れる箇所は全くの手付かず。川岸まで住宅や事業所が立ち、
垂直な両岸の立地的な条件や工事の気配も全く感じられないことから、ここは当面は現状のままかも知れません…

九条師団街道 ? !

2015-06-14 20:34:45 | 京都市東山区
先日の夕方、202系統のバスに乗り九条通を東福寺方面へ向かっていた際、例の私の好きな「九条陸橋」を通過中にハッとする光景に出会いました。
乗用車より高い視点から何気なく南の方角を見ていた時、ちょうど鴨川を越えた辺りの師団街道の手前辺りで鴨川に並行に九条陸橋に向かってだんだん高くなって来る高架の橋脚を見てしまったのです。
なので、居ても立ってもいられず(笑)今日改めてその現場へ行ってみました。

【画面左が南方向で、奥が鴨川です】


【東山橋(左下)と北方向を望む】


【この橋脚の高さは決定的!】


十条相深町バス停の辺りから、例の阪神高速・鴨川東ランプの工事に合わせて師団街道が一部付け変えられて整備されたことは皆さんご存知の方も多いと思います。
しかし少し北に来ると、ちょうど九条陸橋をくぐる辺りでは何の変化も無かったように… 少なくとも私はそう思っていました。
昔から疏水に沿う師団街道は九条陸橋の下をくぐるものだという先入観があり、まさか西側に高架を立ち上げ九条陸橋の上に交差点を作るとは夢にも思わず、私としてはまさに「してやられた」思いです(笑)




【既に受けて立つ九条陸橋側の橋脚にも新橋を載せる部分が増設されていました】


【九条陸橋を挟んで北側を望む】


【単にあなたが知らなかっただけ!と言わんばかりに こんな立派な看板が…w】


今日はあまり時間が無く 北側部分の探索はできませんでしたので、また後日「Part2」でアップしたいと思っています。

八条・南大内あたり 1

2015-05-17 14:18:19 | 京都市南区
突然の更新、誠に失礼致します…^^;

昨日、タイトルの辺りに所用があって 会社帰りに1号線を北上する19系統を東寺南門前でを降り、東寺さんの境内を南北に突っ切って八条通~七条大宮まで歩きました。
ご承知の方も多いと思いますが、大宮通より西、八条通の少し北の辺りでは、八条通のすぐ北に新幹線の高架が通っています。
その高架をくぐり「私の好きな」大宮陸橋の地下部分へ向かう途中、新幹線北側の側道と微妙な開き方をしていく細い裏道に出会いました。
こういう角度ってなんかピンと来るんですよね、わたし的には…(笑)
少々急いでいたので写真を撮らなかったのですが、この左側の細道の先には新幹線や東海道線とは距離が離れ、何の関係もなさそうな場所に「工」のマークの入った標柱が立っていました。
「工」って旧「鉄道省」の更に前身である旧「工部省」のマークなので、元は国有地だった場所のはずです…
誰にも省みられずに住宅街の道端にひっそりと立っていた「工」マークの標柱。何かありそうな予感がしています。
それが何であるか、ある程度の目星は付くのですが、もう少し下調べをしてから再度2でアップすることに致します。

後日、2につづく…(いつになるのやら…冷汗)

導水施設の現況

2014-04-08 12:32:16 | 京都市右京区
4月6日の日曜日に見たところでは、導水施設の根幹となるであろう構造物が姿を現わしていました。


一見しただけでは判断出来かねますが、おそらく下段から取水してポンプで揚水~上段は余水をオーバーフローさせるのではないかと推測します。


西高瀬川の清流復活が待ち遠しいです!
でも、下流側の整備はちゃんと進んでいるのでしょうか? 一度見て来なくては…

いよいよ形になり始めた導水施設

2014-03-02 10:00:49 | 京都市右京区
ゆっくり少しづつですが、復活・西高瀬川への導水施設の工事が進んでいます。


現在は天神川の河床東半分に矢板を打ち込み、深く掘り込んでコンクリートを打設したところまでです。


看板に工期は3月までと書いてありましたが、仮に今月末までとしても現状を見る限りでは到底無理ですね。
ま、年度と予算の関係で一旦区切らざるを得ないんでしょうが…


西高瀬川に清流が復活するのが待ち遠しいですね ♪


消え行く社宅

2014-01-15 23:30:00 | 京都市右京区
予告なしの突然の復活ですみません!
そのうち そのうち…と思いながら、ずるずると時間ばかりが過ぎて行き、気がつけば年が変わっていました。
このままではいけないと思い直し、やっと一歩踏み出すことが出来ました。
こんな私ですが、どうか気長にお付き合い下さいますようお願い致します。


昔は比較的あちこちで見かけた鉄筋コンクリート造りの社宅。
 
ふと気がつけば、京都市内で見られるこのような社宅もずいぶん少なくなってきました。

建設当時は昭和真っ只中の高度成長期。少しぐらい狭くても住めば都のことわざ通り、近代的で文化的な我が家でした。

今から見れば、デザイン性を排した直線的で無味乾燥な機能本位の建物でした。
でも、ある意味古き良き昭和を感じられて、懐かしくもあります。

私の知る範囲でも、近年5ヶ所ほど こういった社宅が姿を消しました。
生活スタイルの変化と言うか、時代の流れなのでしょうね。
もう昭和は遠い昔になってしまったような思いがします…