ちょっと気になる京都の風景

京都人の私から見た身近な京都の風景や街の古い建築物、ちょっと気になる構造物などを少しマニアックな視点で紹介しています

集団移転した2つの街 【淀 水垂町と淀 大下津町】

2011-10-09 19:52:00 | 京都市伏見区
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 京都(市)情報へにほんブログ村

ここは伏見区 淀の桂川右岸堤防上です。皆さん「淀」というと京都競馬場や京阪淀駅の周辺のみが「淀」と思っておられませんか?
実は桂川の右岸(西側)に当たる地域もれっきとした「淀」という地名を冠する地域なんです。これは私も意外でした…


このバス停は「水垂(みずたれ)町」。珍しい名前ですね。今はここには20系統しかやってきませんが、かつては22甲や22乙、特22系統などが
入り乱れ、私の中では最も路線を把握しにくい地域でした。
今回はそんな事を取り上げたいのじゃなくって、向こうに見える真新しい住宅街が今回のテーマなのです。


バスの走る堤防を外側に下りると、目の前にはもう一つの台地が…
そうです。これこそ「淀 水垂町」という、国策による大規模治水事業で街ごと集団移転させられた集落なのです。
ここより少し南(宮前橋という、橋を挟んで)に、もう一つ移転させられた街があります。
そちらは「淀 大下津町」といいますが、後でご紹介します。


堤防直下、手前の枯れ草の平地が以前の集落だった場所です。
国は桂川の拡幅を含む大規模な治水事業で、この地域に移転を求めました。さして大きな反対運動は起こらなかった(と記憶している)のですが、
住民の方の「ここにずっと住み続けたい」という願いは強く、京都市はその代替地として埋め立て処分場の予定地の一角を集団移転先として提供
する事にしたそうです。それだけではなく、桂川の万一の逸水に備えて、従来の堤防よりレベルを高く 台地状に作られました。
この台地を嵩上げするのに使われた土は、何と!地下鉄工事で出た残土だそうです。



水害に対しては安心を得られましたが、弊害として バスに乗るのに一度 何十段もの階段を下りて、再び堤防を上がらなければならなくなってしまったようです。



以前に古い街並みがあった場所です。ここに住宅があったという痕跡が、今も僅かに残っていました。


水は桂川からのみ襲ってくるとは限りません。海抜の低い土地の為、水が集まり易く 排水対策は重要です。
普通ならポンプ場程度の施設になるのですが、ここは比較的規模の大きめの「排水処理施設」となっているようですね。



こちらは もう一方の「淀 大下津町」の街並み。一連の事情を知らなければ、最近に分譲された「高級な住宅街」と思ってしまうかも知れません。


真新しく且つ落ち着いた佇まいのとても良い環境で、すごく羨ましいです!


かつて住宅が建っていた跡地。造成されたヒナ段が かつての家々の痕跡を物語っていますね。


何本も入り組んだ、堤防から集落へ至ったであろう道の跡。通常、集落がなければ 堤防からこんなに複数の道は伸びていませんよね。 

当然、土地の氏神さまも(写ってませんが、お寺も)新天地に移転・鎮座されていました。


全くの主観をお許し頂ければ、この2つの集落を見て感じたことは かつて各地でダムの底に沈んだ村のような悲しさや切なさは見受けられなかったように思いました。
街そのものが真新しいという事もあるのでしょうが、明るく清潔感がある。そして、かつて自分たちの生まれ育った土地のすぐ目の前に隣近所と一緒に引越し出来た
という安堵感があるのではないでしょうか…

しかし、京都市内にも集団で移転した集落があったという事実は意外でした。