子供の頃、夜の20時25分頃に梅小路貨物駅を出発する山陰線の貨物列車がありました。牽引機は福知山機関区のD51で、これを親父に車でよく見に連れてもらい、七条通の踏切までしばし併走してもらうのが楽しみでした。
ほんの4~5分の間でしたが、目の前で重い貨車を牽き出して力強く加速して行くD51の姿が今も鮮明に脳裏に焼きついています。
機関士さんや助士さんに手を振ってもらったのも良き思い出で、鉄道を好きになった原点の一つがこの場所であることは間違いありません。
しかし、時の流れとともにいつしかこの線路を走る貨物列車は無くなり、一時は休日に嵯峨野線方面と大阪を直通する臨時快速列車が通るだけになりましたが、既にそれすら無く…
今、水族館と鉄道博物館で一躍人気観光スポットになった梅小路公園へのアクセス改善の為に七条通の南側に設置される新駅建設の邪魔になるとの理由で、残念ながら無用の長物化していたこの連絡線が一部撤去されることになりました。
今ならまだ七条通のガーダーもその姿を留めているので、記録に残すべくこの前の日曜日に撮影して来ました。
左が山陰連絡線(貨物線)。今はもう走る列車はありません。
この場所に開いた2本のデッキガーダーが架かる風景ももうすぐ見納めでしょうか?
山陰連絡線のデッキガーダーには、撤去工事用かも知れない?受け台が組まれていました。
一方、嵯峨野線(山陰線)側では既に新駅の工事も始まっていました。
よく見ると山陰連絡線にはもう架線がありません。いつの間にか取り外されたようです。これでもう電車は走れなくなりました。
七条通から優雅に弧を描いて南西方向に伸びる高架橋。
左のアスファルト部分が旧地上線跡。この辺りから左に分岐して七条通の手前まで中央倉庫への引込線がありました。
一度だけ荷物を受け取りに入った中央倉庫の敷地内には貨車に積み卸しするプラットホームと地面には線路を埋めた痕が残っていました。
いかにも国鉄時代に造られた感じがするシンプルな単線高架橋ですね。
この線は山陰連絡線という名前が物語っているように、山陰本線の一部ではなく東海道本線の支線に当たるそうです。
そういえば大昔 丹波口駅に隣接していた、京都中央卸売市場への貨物取卸駅である「京都市場駅」も東海道本線の
駅の一つだと聞いた記憶があります。
下から高架橋を見上げるとこんな感じ…
昔は構内へ勝手に入って写真を撮ったりしてても まずお咎め無しでしたが、今はかなり厳しそうですね。
デジタル監視システムの普及が犯罪抑止に威力を発揮する反面、窮屈で息苦しい世の中になってしまったのも事実です。
ま、昔はユルい時代だったといえばそれまでですが…
高架線になる以前は涼しげに木々の繁る遊歩道の部分が線路敷でした。信号機辺りから右へ、新千本通(八条通)を横切って
第一工業製薬(モノゲン石鹸)の工場へ引込線が分岐していました。
JR貨物・京都貨物駅への入口。ここを高架橋が横切る風景ももうすぐ過去のものになってしまうのかも知れません…
ほんの4~5分の間でしたが、目の前で重い貨車を牽き出して力強く加速して行くD51の姿が今も鮮明に脳裏に焼きついています。
機関士さんや助士さんに手を振ってもらったのも良き思い出で、鉄道を好きになった原点の一つがこの場所であることは間違いありません。
しかし、時の流れとともにいつしかこの線路を走る貨物列車は無くなり、一時は休日に嵯峨野線方面と大阪を直通する臨時快速列車が通るだけになりましたが、既にそれすら無く…
今、水族館と鉄道博物館で一躍人気観光スポットになった梅小路公園へのアクセス改善の為に七条通の南側に設置される新駅建設の邪魔になるとの理由で、残念ながら無用の長物化していたこの連絡線が一部撤去されることになりました。
今ならまだ七条通のガーダーもその姿を留めているので、記録に残すべくこの前の日曜日に撮影して来ました。
左が山陰連絡線(貨物線)。今はもう走る列車はありません。
この場所に開いた2本のデッキガーダーが架かる風景ももうすぐ見納めでしょうか?
山陰連絡線のデッキガーダーには、撤去工事用かも知れない?受け台が組まれていました。
一方、嵯峨野線(山陰線)側では既に新駅の工事も始まっていました。
よく見ると山陰連絡線にはもう架線がありません。いつの間にか取り外されたようです。これでもう電車は走れなくなりました。
七条通から優雅に弧を描いて南西方向に伸びる高架橋。
左のアスファルト部分が旧地上線跡。この辺りから左に分岐して七条通の手前まで中央倉庫への引込線がありました。
一度だけ荷物を受け取りに入った中央倉庫の敷地内には貨車に積み卸しするプラットホームと地面には線路を埋めた痕が残っていました。
いかにも国鉄時代に造られた感じがするシンプルな単線高架橋ですね。
この線は山陰連絡線という名前が物語っているように、山陰本線の一部ではなく東海道本線の支線に当たるそうです。
そういえば大昔 丹波口駅に隣接していた、京都中央卸売市場への貨物取卸駅である「京都市場駅」も東海道本線の
駅の一つだと聞いた記憶があります。
下から高架橋を見上げるとこんな感じ…
昔は構内へ勝手に入って写真を撮ったりしてても まずお咎め無しでしたが、今はかなり厳しそうですね。
デジタル監視システムの普及が犯罪抑止に威力を発揮する反面、窮屈で息苦しい世の中になってしまったのも事実です。
ま、昔はユルい時代だったといえばそれまでですが…
高架線になる以前は涼しげに木々の繁る遊歩道の部分が線路敷でした。信号機辺りから右へ、新千本通(八条通)を横切って
第一工業製薬(モノゲン石鹸)の工場へ引込線が分岐していました。
JR貨物・京都貨物駅への入口。ここを高架橋が横切る風景ももうすぐ過去のものになってしまうのかも知れません…