投資家の目線

投資家の目線975(戦後世界体制をひっくり返そうとする日本政府)

 陸上自衛隊第32普通科連隊が、日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に隊員が参加したことに関し、GHQが使用を禁止した「大東亜戦争」という用語を使用した文をXに載せたと報じられている(『日本自衛隊部隊、「大東亜戦争」という単語を使って問題になるや削除』 2024/4/9 中央日報)。今年1月、陸上自衛隊の幹部が官用車を使って靖国神社に参拝した件といい(『陸自幹部らの靖国参拝/陸幕監修本でも「公的」』 2024/4/7 しんぶん赤旗)、敗戦に対しての反省の姿勢も示さなくなったように見える。連合国(日本語訳では国際連合)憲章には、安全保障理事会の許可がなくても強制行動がとれる旧敵国条項が残っている。今の日本は旧敵国条項の適用条件に近づいて行っている。極超音速ミサイルのような兵器技術も含めて、軍事バランスは圧倒的に旧西側諸国に不利だ。政府はまた日本を敗戦国にしたいのだろうか?

 

 経済制裁によって要求を出されれば、いかなる国もその要求を受け入れることは不可能という考え方は間違いである。「経済兵器 現代戦の手段としての経済制裁」(ニコラス・ミュルデル著 三浦元博訳 日経BP)によれば、一九四〇年七月、米国は日本とスペイン向けの石油と鉄の輸出を同時に止めた。スペインのフランコはヒトラーの援助が得られなかったために枢軸側に加わらず、九月七日には規制が解除された(p397)。日本政府もスペイン同様、枢軸側に加わるという判断ミスをしなければ敗戦国にはならなかっただろう。また同書(p302)には経済制裁について、「この抑止力は一九二一年のユーゴスラヴィア、一九二五年のギリシャに対しては有効だった」と書かれている。

 

 「フランクリン・ローズヴェルト 上 日米開戦への道」(ドリス・カーンズ・グッドウィン著 砂村榮利子/山下淑美訳 中央公論新社p157~158)には、国内で高まるイギリスの子供たちを救出せよという圧力に、『「アメリカに参戦させる最も確実な方法は、アメリカの船をイギリスへ送り、そこに二〇〇〇人の年端もいかぬ子供たちを乗船させ、そしてそれがドイツの魚雷で沈められることだ」とロングは主張した。ロングと同様にローズヴェルトも、アメリカ船を送ることを危惧していた』(ロング=ブレッキンリッジ・ロング国務省特別戦争問題局の長)とされ、米国世論を対独参戦に向かわせるためにわざわざ日本を巻き込む必要はない。ローズヴェルトがイギリスを助けたいから経済制裁で日本を焚きつけたとする説が成り立たないいことがわかる。

 

 『大川周明 「獄中」日記 米英東亜侵略史の底流』(大川周明著 毎日ワンズ p134)には、米国政府がペリーに与えた訓令の要旨として、「第一には、アメリカ船舶が日本近海で難船し、または暴風を避けて日本の港湾に入った場合、日本はアメリカ人の生命財産を保護するよう永久的なる和親条約を結ぶこと、第二はアメリカ船舶が燃料食糧の補給のために入港し得る港を選定すること、第三には通商貿易のために二、三の港を開かせること」と、米国は日本を米中航路の交通の安全性を高めるための地理的存在として重視しており、米国にとっては対中関係が主、対日関係は従であることがわかる。「泡沫の三十五年 日米交渉秘史」(来栖三郎著 中公文庫p220)には、米国の「ウッド将軍が中国の門戸開放論を唱えれば、田中大将は中国は広いですからと無条件でこれに和するという有様であった。この意見交換後に田中大将は自分に向かって、日本が地理的に一番近くもあり、最もよく土地の事情も知っているはずの中国市場で、門戸開放の下に他国との競争に敗れるようなことなら、結局どこに行って競争しても駄目ではないかと言ったのである」と書かれている。田中義一はそう言うものの、当時の日本政府は中国市場に対して外国に門戸開放を行っていたであろうか?「駐米大使野村吉三郎の無念 日米開戦を回避できなかった男たち」(尾塩尚著 日本経済新聞社p105)によれば、1939年、ワシントン大使館に着任した森島守人参事官に対し、米国務省のマックスウェル・ハミルトン極東部長が、『日米関係のいわゆる懸案についてアメリカ政府は「軽微な事件(Minor incidents)」と「主要な事項(Major issues)」とに区別している。日本は懸案の解決に努めているが、遺憾ながら、その努力は前者にかぎられている。それだけでは、単に侵害された個々の権利が是正されるというにすぎない。アメリカが重視するのは、主義・原則に基づく「主要な事項の解決」であって、華北の為替管理や日本の手による通商貿易の独占、揚子江の閉鎖などがこれにあたる』と指摘している。中国市場の独占に固執する日本が独占をあきらめて門戸開放を行わない限り、日米の衝突は不可避だったと思える。

 

追記:

2024/8/10

「裏切られた自由 フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症 下」(ハーバート・フーバー ジョージ・H・ナッシュ編 渡辺惣樹訳 草思社 史料5 フーバーの敵国に対する態度(一九四四年十一月) 日本に対する私の考え方(一九四四年十一月二十六日)p463)には、フーバーが「日本が倫理的な約束も、国際合意も無視した中国への侵略についてはあらためて説明する必要はない。私自身が一九三二年以降に日本との対応に当たって以来、日本の軍国主義者はアジア人のためのアジア構想を拡大していった。そのリーダーは日本である。この主張は常識的な国にとっては受け入れがたく、白人種のアジアでの利権を脅かすものだった」とし、「日本の外交を矯正したいのであれば、ヨーロッパでの戦いが終わるのを待つべきであった。そうすれば日本との戦いに、我が国一国で当たらざるを得なくなることはなかった。他の白人種がその戦いに参加できるときを待てばよかったのである」と書かれている。フーバーはルーズベルトが日本を挑発し続けたため真珠湾攻撃が起こったと主張しているが、日本が中国市場の独占を手放して「門戸開放」しなければ、遅かれ早かれ日米の衝突は避けられなかっただろうことがわかる。しかし、中国からの撤退は、いつまでも大尉や少佐の階級でとどめられるなど停滞していた軍内部での昇進を、戦場での活躍で得る機会を再び狭めることになったろう。それに軍の組織が耐えられるだろうか?

 

 以前にも書いたが、「日本開国史」(石井孝著 吉川弘文館 p76)には、ペリー艦隊が来航したときも、川路聖護らが、交渉を受けるでもなく断るでもなく時間稼ぎをして防備を充実させたのちに断る、「ぶらかし」策を提案したことが書かれている(投資家の目線708(日本開国史と日米交渉))。ルーズベルトの経済制裁も日本による時間稼ぎを防ぎ、交渉のテーブルに着かせるための政策と考えれば納得がいく。

 

 安倍政権も、自ら日米経済対話を提案しながら、北朝鮮のミサイル発射や第一次世界大戦終結100年式典出席を口実に交渉を避けてきた。日本の外交は、江戸時代から何も変わっていないようだ。

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