「腐ってもエリート」
よく「エリートは挫折に弱い」などと書くメディアがあるが、
その主張は矛盾している。
エリートは挫折してもエリートであることには変わりはない。
人間が失敗してもアタマの中身まで変わらない。
だからつまり「腐ってもエリート」ということだ。
エリートはエリート街道を順調に歩んでいてこそエリートなのだ、
という考え方はあまりにも考え方が狭いと思う。
というかそういう考え方の人は人間というものを狭く捉えていると考える。
何とかエリートの失敗を捉えて皮肉り、バカにしたいのだと思うが、
それでは全く事の本質に触れていないと考える。
エリートの本質はチャレンジだ。
チャレンジしてうまくいけばいいし、うまくいかなくても
そこで情報を収集して次のチャレンジにつなげていくわけだ。
チャレンジこそエリートの本質であり、エリートがエリートで
あり続ける姿だと私は思っている。
エリートであるなしにかかわらず、人間はチャレンジしなければ
多くの情報は得られない。
人間にとって実体験こそが一番有益な情報を得る手段なのだ。
人の失敗をあげつらい、笑い、面白がる人たち。
そういう人はチャレンジを嫌い、嫌がる。
そういう中でそういう人たちは、世の中チャレンジしない人間、
リスクを取らない人間が偉い、という考え方に行き着くことだろう。
しかしそれこそ究極のネガティブ発想といえるだろう。