コロナ重篤化から全身麻痺

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そして気管切開を閉じる手術をする

2022-08-02 17:01:00 | 日記
トイレの乗り移りが未だに成功しないまま、再び面談がやってきた。

この日は大雨で、リハビリの先生の運転で入所予定の施設へと赴く。

着いてすぐにトイレへの乗り移りの様子を見られた。
病院の便器に比べて少し高く、これなら行けそうな気がした。
いかんせん手摺の位置が高すぎる…
後一歩の所で体が持ち上がりそうだったが、無理だった。
手摺の位置がもう少し下なら多分いけた。

施設のリハビリの先生からは補高便座の購入を提案された。
補高便座とは、便器からの立ち上がりが低すぎて出来ない者に、便座を高くして立ち上がりし易いようにとする物だ。
10cm程の補高便座の購入を提案される。

そして、看護師やセンター長、医者との面談を経る。
リハビリは歩行器を使って歩く練習をしています。と、実践でやって見せた。
ただ、病院の歩行器とは違い、やや若干古い分歩きにくかった。

そして一人のリハビリ先生からある指摘をされる。

「喉の穴は開けたままにしておくんですか?見てると呼吸がし辛そうに見えますが、出来れば閉じることは出来ませんか?」

と。

一緒に来ていた。病院の相談員が「先生に相談してみます」と答えた。

自分が入院している病棟は回復期のため、喉の手術ができないのである。
何度か閉じてほしいと訴えたが、いつも答えはノーだった。

でも今回の指摘のお陰で、病院側の対応が変わった。
何せ退院の日は迫っているし、そのまま自分をポイと退院させるわけにはいかない。

喉の手術の予定が降った。

それまでもトイレの乗り移りの練習は行われ、補高便座はどれを買おうかとパンフレットをリハビリの先生と見たりしてる時、トイレの乗り移りが一人で出来るようになっていた。
縦の手摺を使って立ち上がりトイレに移る。
トイレから車椅子には横の二本の手摺で体を浮かせて立ち上がる。
そうすれば上手く乗り移りが出来た。

後は向こうの施設のトイレでそれが出来れば良い。
補高便座を購入するのは入所してからにしようと言う事になった。

そしていよいよ気管切開(喉)を閉じる手術の日が来る。

またもや一日だけ病棟を移る事になった。
手術が出来るのが急性期だからだ。
あの機械的な看護師達にまた会う事になるのかと苦笑いした。

手術は局所麻酔で行われる事になり、喉に麻酔をして気管を縫う作業が行われる。
全身麻酔では無いのは、気管がちゃんと閉じたか喉に水を当てて声出しをさせるためだと説明された。

所要時間は一時間程度。
一時間もの間、喉に麻酔をして何やらカチャカチャとやられる。
元来痛みに弱い自分は、その光景だけで麻酔が効いてたとしても何か痛いような気がしていた。
多分10分おきぐらいに「痛い」と言っては医者に「え?麻酔足りないかな」と言わせていたと思う。

なんやかんやで一時間ジャストで手術を終え、病棟の看護師が迎えに来た。
一泊の病棟では、観察室での見守り看護になっていた。

寝てても看護師の詰所が見える。
会話は聞こえないが、何をしてるのか丸見えだ。
このご時世だと言うのに、詰所ではマスクを外している看護師が多かった。

機械的な看護師でも詰所では一応キャピキャピしてるんだなと眺めながらそう思った。

夜は喉が痛くて二回ほど薬を貰ったが、全くもって効かない。
痛みのせいで夜はなかなか寝付け無かった。
朝、朝食を食べて薬を飲んだりバイタル(熱を測ったり血圧を測ったり)を測った後、元の病棟からのお迎えがやってきた。

今回は車椅子での移動で、同じ部屋の同じ場所への移動を済ました。

相変わらず喉は痛いが、着いてすぐ看護師のやる事はまたもやバイタルを測ることだった。



新な施設の入所が延期

2022-08-02 12:18:00 | 日記
胆嚢炎になったせいで、二回目の面談が延期になった。
病棟は相変わらず変わったままで、機械的な看護師との日々が続く。

前と違ったのは、ご飯の時に車椅子に移らなくても良い事とリハビリは部屋で一日一回だけ行う事。
そんな温い生活を送っていてトイレの乗り移りが上手く行くとは思えない。

だがここは機械的とは言え、文句を言う看護師はおらず、快適に過ごさせて貰えた。

手術から一週間とちょっとが過ぎた頃、元の病棟に帰れる事になった。

当日は見慣れた看護師のお迎えが来て、元の病棟にベッドのまま移動する。
部屋は4人部屋に変わっていた。
正直個室ではない事に不満はあったが、まあ文句は今更言えないと諦めた。

部屋に戻ってきて早速荷物の整理をして貰う、手の届く範囲に必要な物を置いて貰い、無くなった物がないか確認する。
一度バラバラにした荷物を整理するのは大変だった。
何せ自分では出来ないのだから。

同室の住人とは挨拶すら交わさない。
カーテンは皆閉め切ったままで看護師との会話だけが聞こえる。

病棟が戻ってからのリハビリはキツかった。
今まで出来ていた事をまたやり直さなければいけないからだ。
立ち上がりの練習から歩行器を使っての歩く練習。
立ち上がるだけでふくらはぎがとんでもなく痛く、どうする事も出来ない。
慣れていくしかない。とリハビリの先生は言った。

トイレの乗り移りの練習もいつまでも続き、どうしても一人での立ち上がりが出来ず支え有りの状態でしか乗り移れない。

乗り移ったあとも問題があった。
ズボンとパンツを一人で下ろさなくてはならない。
乗り移りが出来ないのに、お尻を浮かせる事なんてできるわけもなく、練習しても練習しても上手く行かなかった。

このままで本当に施設の面談をクリアー出来るのだろうか。

縦の棒を使っての立ち上がりだとようやく一人で立ち上がる事が出来たある日、歩きの練習も歩行器を使って一人で歩けるようになっていた。

この変化は本当に嬉しかった。
ほんの数ヶ月前まで体が一切動かなかった事を考えると、これだけ動けてるのは奇跡としか言いようがない。
前の病院では、一生歩けないとまで言われたのに、今では歩行器を使ってだが少しだけ歩く事ができた。

それでもまだまだやる事の課題は残っている。
肩だってまだまだ上がらないし、体を後ろに捻るのも全く無理だ。
うつ伏せなんて以ての外だし、地面に落ちた物を拾うなんて行為をしよう物なら体ごと倒れてしまう。

身体はまだまだ不自由で、ベッドからの起き上がりも柵を手に持って支えながら、よいしよっと気合いを入れないと起き上がれなかった。

4月誕生日を迎える。
この日は約一年振りに甘い物が食べられる日だった。
病院から誕生日ケーキが出る。
おはぎかチーズケーキのどちらか選べた。
おはぎを選ぶ。
来たおはぎを見て、がっかりした。
スーパーに売っている4個入りのおはぎを更に小さくした一口サイズのおはぎがそこにあったからだ。
一口で終わるところを頑張って三口で食べる。
流石病院のおはぎなだけあって甘さがめちゃくちゃ控えてある。

それでも久しぶりに食べる甘味は格別で暫くは甘味が残る口内に浸っていた。

次の日の夜勤の看護師から「今日は私機嫌が悪いから何するかわからんよ」と言われて驚いた。
ナースコールするとやはりイライラしていて、それくらい自分でしろと投げられる。
怖くて親にクレーム入れてもらったが、以前の看護師同様、「何も言ってません」とシラを切られた。
この看護師は以前からプライベートのイライラをすぐ仕事に持ってくる最悪な看護師だ。
機嫌が良い時は凄く対応が良いのもタチが悪い。