伊勢一風花 落柿の音

もう一人の自分

ディメンシァ2

2012-09-25 | ヒト
 父の米寿の祝いを繰り上げて行うことにした.冬はどうしても身体が動かなくなり,その分気持ちも塞いでしまうからという姉の勧めに従った.久しぶりの故郷,まだ秋というには陽ざしは強く,木々はやや疲れた様子をしていた.待ち合わせのホテルに現れた車いすの父は,どうもと手を軽く上げた.少しずつ出てくるフレンチのランチをなんとかたいらげ,時々会話に加わる父は,瞬間,瞬間はしっかりとしている.自分がどう思うかをはっきり述べている.コーヒーとデザートも終わり,姉にそろそろ終わりにしようかと告げられた父は,立ち上がり,僕たちに向かって人生を振り返る時を持つことが大切だとあいさつ口調で話を始めた.うんうんと頷きながら聞くボクと最後に握手をして,少し満足そうに車いすに身をゆだねたが,結局ボクたちが息子夫婦であることは分からなかった.家に帰りパソコンに取り込んだ写真を見て,ボクは再び少し暗い気持ちになった.父は大正の最後の年に生まれ,昭和という時代を大学教員として生きた.写真の父は,少し悲しい表情で,静かに自分だけの世界に佇んでいた.


トケイソウ

2012-09-19 | 
 緑のカーテンの素材として注目されたこともあり,今年はホムセンでもよくトケイソウを見かけた.わが家でもやや出遅れながらも緑のカーテンにと植えつけた.どんどん上には伸びたが,緑のカーテンには心もとない状況で真夏を迎えてしまった.真夏の暑さ対策にはならなかったが,気温が落ち着いてからはがぜん元気になって毎日花を咲かせている.トケイソウはPassiflora属植物の総称で,たくさんの原種がありその上多くの交配種が作られている.確かに魅力ある植物だと思う.子供の頃,花屋で見たトケイソウの造形の不思議に大変驚き,かつネーミングが上手いと感心した.でもわが家の庭には植えられることがなかったのは何故だろうか.緑のカーテンは散々だったが,初秋になり毎日トケイソウの花を見ていると子供の頃を思い出し,なんとなく幸せな気持ちになっている.

白花曼珠沙華

2012-09-11 | 
 夕立が気温を徐々に押し下げ,気が付けば真昼の陽射しが部屋に差し込むようになった.昨日まで何もなかった庭の片隅で,白花曼珠沙華が忽然と現れ,空間を占領していた.季節を忘れず,ある日突然スルスルと伸びて花を咲かせる曼珠沙華に,昔の人はさぞ驚いたことだろう.何もかもが予定調和のごとく進行するボクたちの暮らし.突然の生命の爆発のように咲くこの花は,何事もなく流れてしまいそうな日常に,はっとする瞬間を演出してくれる.そうか,もうそんな季節なんだ,ボクは驚き,そして嬉しくなった.

視線

2012-09-04 | ヒト
 虫の目という小さなカメラがある.地上ぎりぎりから見た草むらは全く違った世界だ.赤ん坊の視線は大人から想像もつかない世界だし,幼かった頃広々と見えた小学校の校庭はいつの間にか小さくなったように見える.大人になっても俯いて見た足元の世界と背筋を伸ばして遠くを見つめる世界は全く違ったものとなる.ボクには長いこと前を向けない若い友人がいる.顔を上げて遠くを見つめよう,耳を澄まして風を聞こう,大きく息を吸って季節の香りを読み取ろう.五感をせいいっぱい働かせたら,君の感性を信じて踏み出そう.大切な人への励ましの言葉は決して「がんばれ」ではない.