「資本主義はなぜ自壊したのか?」
2009.01.20
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷巌
昨年末に「資本主義はなぜ自壊したのか」という著書を出版させていただいた(集英社インターナショナル)。その意図は、国の方向性は市場参加者の意図が反映される「市場メカニズム」に任せるべきだという「新自由主義」的な考え方で進んできた日本の「改革」路線では、日本社会の良いところが毀損していくのではないか、マーケットだけでは日本人は幸せになれないのではないかという疑問を率直に示すことにあった。
私が昔、「改革」の積極的な推進者であったことを自戒する内容であったことから、思いのほか、世の中から大きな反響をいただいた。「何をいまさら」という批判、「中谷は守旧派になったのか」という批判など、反響の中身はきわめて多様であった。改めて世の中に「発信」することの責任の重さを感じさせられた次第である。
メディアにもたくさん取り上げていただいたが、中には、私があたかも「マーケット」や「改革」そのものに反対しているように受け取られる報道がなされてしまったこともあるが、これは本意ではない。なぜなら、私は「改革」そのものを否定しているわけではなく、日本社会の素晴らしさにさらに磨きをかけることができるような、明確な政策意図を持った「改革」が必要だと主張しているに過ぎないからである。
繰り返しになるが、「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は、無責任だし、危ないのではないかということを強調したかったのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。そのほかにも、医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。これを放っておいてよいのかという問題意識である。
新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、あとは小さな政府の下、「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく「改革」ではなく、日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。
そのための方向性はこれからもっと勉強しなければならないが、とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
もう一つは、明治以来の中央集権体制を解体し、「廃藩置県」に匹敵するくらいの大きな制度改革を断行することである。中央官庁に集結した優秀な官僚が今度は疲弊した地方を再生させるために地元に戻り、彼らに自分の故郷が文化の香り豊かな元気いっぱいの地域にする術を死にもの狂いで考えてもらう。これくらいの大改革が必要だと思う。http://www.murc.jp/nakatani/column/2009/01/20090120.html
2009.01.20
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 中谷巌
昨年末に「資本主義はなぜ自壊したのか」という著書を出版させていただいた(集英社インターナショナル)。その意図は、国の方向性は市場参加者の意図が反映される「市場メカニズム」に任せるべきだという「新自由主義」的な考え方で進んできた日本の「改革」路線では、日本社会の良いところが毀損していくのではないか、マーケットだけでは日本人は幸せになれないのではないかという疑問を率直に示すことにあった。
私が昔、「改革」の積極的な推進者であったことを自戒する内容であったことから、思いのほか、世の中から大きな反響をいただいた。「何をいまさら」という批判、「中谷は守旧派になったのか」という批判など、反響の中身はきわめて多様であった。改めて世の中に「発信」することの責任の重さを感じさせられた次第である。
メディアにもたくさん取り上げていただいたが、中には、私があたかも「マーケット」や「改革」そのものに反対しているように受け取られる報道がなされてしまったこともあるが、これは本意ではない。なぜなら、私は「改革」そのものを否定しているわけではなく、日本社会の素晴らしさにさらに磨きをかけることができるような、明確な政策意図を持った「改革」が必要だと主張しているに過ぎないからである。
繰り返しになるが、「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は、無責任だし、危ないのではないかということを強調したかったのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。そのほかにも、医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。これを放っておいてよいのかという問題意識である。
新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、あとは小さな政府の下、「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく「改革」ではなく、日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。
そのための方向性はこれからもっと勉強しなければならないが、とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。
もう一つは、明治以来の中央集権体制を解体し、「廃藩置県」に匹敵するくらいの大きな制度改革を断行することである。中央官庁に集結した優秀な官僚が今度は疲弊した地方を再生させるために地元に戻り、彼らに自分の故郷が文化の香り豊かな元気いっぱいの地域にする術を死にもの狂いで考えてもらう。これくらいの大改革が必要だと思う。http://www.murc.jp/nakatani/column/2009/01/20090120.html