goo blog サービス終了のお知らせ 

どこへ行っても補欠会員

いつでもどこでも補欠人生を歩む自称「補欠会員」の嘆きの日記です。

石原信雄講演会を聞いて・・その2

2007年09月07日 | Weblog
 演題は「前橋市と富士見村の合併に期待するもの」だが、そんな矮小なタイトルはどうでもいい。自治省OBで自治行政のプロ中のプロの石原信雄氏のことだ、きっと地方自治制度のあり方、その進むべき方向を講演してくれるものと期待した。

 会場でレジメを貰った。レジメは・・・
1、現行地方自治制度のしくみと基礎的自治体のあり方
2、自治行政を取り巻く環境の変化と自治体の対応
(1)阿部内閣の政治姿勢と地方行政・・成長優先政策と格差問題の深刻化
(2)参議院選の結果と政治の流動化・・その地方行政への影響
3、これからの自治行政運営
(1)地方分権改革の展望・・地方の自立促進と自己責任の増大
(2)地方行財政運営の効率化の課題・・新たな手法の導入
となっていた。
 
 むすびとして
 ・前橋市・富士見村合併の意義と期待される効果
 ・県都前橋市の展望と課題
 があったが、まあこれはおまけのようなものですな(笑)。

 講演の2の(1)と(2)の中で小泉内閣に触れたが、石原さんは「小泉・竹中内閣」と表現していた。つまり小泉内閣の政策(構造改革路線)は竹中平蔵が引っ張ってきた現実を捉えて、そう表現していた。また、参議院選で自民党が大敗した理由を、地方の疲弊と格差拡大が主因と述べていたのも面白い。

 いいですねぇ、石原信雄はまぎれもない「抵抗勢力・守旧派」です。構造改革勢力に負けないように頑張って貰いたい。

 1、から順を追って書くのが普通だが、つい嬉しくなって2、から書いてしまいました。(続く)

石原信雄講演会を聞いて・・その1

2007年09月06日 | Weblog
 9月4日群馬県民会館で、前橋市と富士見村主宰による石原信雄講演会が開催された。演題は「前橋市と富士見村の合併に期待するもの」。

 私が石原信雄氏の存在を始めて耳にしたのは約30年前、得意先の社長から「境町(現伊勢崎市)出身の官界実力者がいる」と聞かされたのが最初だ。「境町・石原」だけは記憶に残ったが、あとは忘れた(笑)。石原氏が竹下内閣の官房副長官に就任したとき、「あの社長が言っていた石原か」と思い出したぐらいのものだ。

 竹下~村山までの7年間、事務方の官房副長官を勤め上げたのだから、さぞかし優秀な人物なのだろう。しかし、ただ優秀なだけでは事務方トップは務まらない。あの風貌からは想像できないが、霞ヶ関全体ににらみが効く実力者でもあったのだろう。しかし、石原氏がどんな考え方の持ち主であるのかはさっぱりわからなかった。事務方の官房副長官が自分の考え方を世間に発表することはないから、当然と言えば当然だ。裏方に徹するの公務員ですからね。

 その石原氏の主張を始めて見たのが1年前、言論NPOの言論ブログサイトを覗いた時だ。石原氏は「国と地方」と題するコラムを1~11話書いていた。11話参照↓
http://www.genron-npo.net/opinion/ishihara/001533.html
 
 この中で石原氏は、竹中平蔵・本間正明・太田弘子の改革路線を真っ向から批判している。「国民はそうしたこと(市場原理主義がもたらす結果)は想定していない(望んでいない)」「そうした改革をするには、ありとあらゆる法律を変えなければならない」「アメリカ(ニューオリンズ)と日本(神戸)の違いは交付税があること」と言っている。

 そうか、石原信雄は小泉・竹中の構造改革路線を否定する「抵抗勢力・守旧派」だったのか、と思ったら急に親しみが沸いてきた(笑)。同郷(私も伊勢崎市出身)だし、講演会で旧剛志村の出身だと言っていたが、剛志村から通っていた高校の同級生もいたぞ(笑)。

 そんなわけでこの講演会は楽しみにしていた。役場から出席要請がきていたが、要請されなくても行った。(続く) 

悲惨な国アメリカ・・その4

2007年08月25日 | Weblog
マイケル・ムーア監督の最新作「シッコ」が、8月25日劇場公開された。群馬県では、9月1日からムービックス伊勢崎で上映される。

シッコ(sicko)は精神病患者を意味するスラング。アメリカ社会が「いかれている」、というマイケル・ムーア独特のブラックジョークだろう。

確かにアメリカ社会は「いかれている」。映画シッコは、アメリカの医療の悲惨な状態を突撃取材で暴いた。「よその国とこんなに違うぜ!」と。

脳天気なアメリカ人は、アメリカがすべてで世界一だと思っている。極貧生活者も、「俺たちはよその国から比べれば幸せだなぁ」と思い込んでいるのだ(笑)。などと、アメリカを笑ってはいられない。我が国も、道路公団や郵便局を民営化する構造改革とやらを熱烈に支持したのだから。脳天気に構えていれば、今に医療もアメリカ並みになってしまう。

ムービックス伊勢崎は、前橋~伊勢崎バイパス沿い伊勢崎オートの反対側にある北関東最大の映画館。9月1日から上映ですからどうぞ。映画館に行けない人は、せめて下のシネマ解説をどうぞ。

シネマトピックス・シッコ(sicko)
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6362

過去記事
3月 8日・・・悲惨な国アメリカ
3月11日・・・続・悲惨な国アメリカ
4月11日・・・続々・悲惨な国アメリカ

空気が読めない自民党群馬県議団

2007年08月08日 | Weblog
自民県議団 尾身、中曽根氏推薦せず (上毛新聞8月5日)

自民党県連は四日、県議団総会を開き、先月二十二日に投開票された知事選で、党が公認した大沢正明氏への尾身幸次財務相と中曽根弘文参院議員の支援内容が不十分だったとして、次回選挙で両氏の公認推薦をしない方針を決めた。国政選挙の選挙区候補者の公認は原則、県連の推薦を受けて党本部が決定する仕組み。県連幹部は「今の時点での県議の気持ちを整理した」と、決定が「けじめ」であることを強調するが、年内の解散・総選挙もささやかれる中、候補者選考に影響する可能性もある。以下略・・
---------------------------------------------------

(感想)
一言で言って「いかれてる」。空気が読めない人をKY君と呼ぶそうだが、群馬県議会の自民党議員さん達はみんなKY君なのだろうか(笑)。

そもそも、県議の分際で国会議員に注文を付けるなど100年早い(笑)。国会議員は、国民生活に直結する数々の法案を提出したり、修正したり、その役割は極めて大きい。政治に関心のある国民の1人として、国会議員の資質や発言には常に注目している。

一方、県会議員には全く注目していない。なぜかというと、彼らは何もしていないし、何をしたとしても国民生活には何の影響もないからだ。そういう意味では市町村議員以下の存在だ(笑)。

なぜ彼らに存在感がないかというと、都道府県がそもそも国の出張所であり、国が作った法律に従って粛々と「中間管理職」の役割を果たしているだけの存在だからだ。そんな部署(日本国政府群馬県出張所)にそもそも議会など不要だ。優秀な執行部と優秀な職員がいればそれでいい(笑)。

県議は黙って黙々と報酬を懐に入れ、選挙のための人脈作りに励んでいればいいのだ。そんなどうでもいい連中が徒党を組んで、国会議員を推薦するとかしないとかで気勢をあげてもお笑いだ。思い上がりも甚だしい。

中曽根弘文氏が「そんな自民党は自民党ではない。厳重に抗議する。」と言ったが、まさにそのとおり。選挙の興奮が醒めないからわけのわからないことを言っているのだろうが、党本部からは相手にされないだろう。

群馬県知事選雑感

2007年07月23日 | Weblog
保守王国の群馬県知事選が終了した。5選を目指した現職の小寺弘之知事が29万票、自民党公認公明党推薦の大沢正明前県議会議長が30万票、自民党若手の山本龍前県議が19万票で、大沢氏が勝利した。

小寺知事は前4回は自民党推薦。今回は自民党を敵に回し、県民の会を立ち上げて、業界団体と民主党労組系と無党派層を中心に支持を拡大し、序盤は圧倒的有利と言われたが、自公の組織力に切り崩されて終盤逆転された。

私は、前4回は只の有権者として小寺氏に一票を投じただけだが、今回は、統一地方選で小寺選対幹部に渡世の義理(笑)が生じたため、微力ながら選挙のお手伝いをした。選挙の借りは選挙で返すのが業界の習わしですから。それだけに残念だが仕方がない。

個人的には小寺知事は好きなタイプだった。原則論に固執する性格が面白い。16年前、就任早々、バブルが崩壊していることを的確に認識して赤城開発などの既存プロジェクトを廃止し、赤城山麓に公害規制を掛けようとするなど、自治官僚らしからぬ大胆な発想が私には「出色の知事」と映った。

カラ出張問題の対応も普通じゃなかった(笑)。なにせ、「予算主義の弊害が根底にあるのだから出張費の流用は必要悪。決算主義に変更せよ。」と言うのだからすごい。久米弘などは訳もわからずテレビで糞味噌に言っていた。しかし、知事の言うことは正論でも、県民の理解は到底得られないから「辞任するしかないのかな」と思っていたら、副知事主導による職員の拠出で解決した。

極めつけは、ブログで再三採りあげている群馬国際アカデミー(GKA)の問題。選挙を考えれば、意地悪としか理解されないかたくなな姿勢はマイナスのはず。しかし、ここでも知事は原則論を展開した。結果は太田市では3万票の水を空けられ、これを挽回できずに敗北した。私は、告示前に劇的に解決して、清水市長と知事が握手する写真が新聞に載るかと思っていたが、そうはならなかった。

こうして考えると、小寺知事は自分の考え方を曲げずに選挙を展開したわけだから、結果は負けでも仕方がない。妥協して負けたなら悔いが残るだろうが、そうではなかったのだから、一晩明ければ案外すっきりしているのかも知れない。

16年間お疲れ様でした。

GKA関連記事
GKAバトル・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20070613
小寺vs清水2・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060920
久しぶりにGKA・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060722
清水聖義太田市長・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060613
毎日新聞5月23日群馬版・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060524
群馬国際アカデミー・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060519
構造改革特区・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060317
小寺VS清水・・http://blog.goo.ne.jp/area-study/d/20060315





コムスン不正請求考

2007年06月19日 | Weblog
 コムスンの介護保険不正請求が新聞各社に大々的に報道された。確かに不正はよくない。それを書くのが新聞の役割でもあるが、もうちょっと違った視点からの記事も欲しかった。と思っていたら、毎日新聞経済部の中村記者がコラム欄「発信箱」で書いた。
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/hassinbako/archive/news/2007/06/20070615ddm002070058000c.html

 コムスン問題の黒幕=中村秀明(経済部)

 コムスンと折口雅博会長を糾弾し、社会的制裁を加えれば、すべて丸く収まるのか。不正請求で暴利をあげ、サービスの中身も劣悪なら。福祉でぬれ手であわを狙い、老人を食い物にしていたなら、話は単純だ。

 しかし、コムスンの訪問介護分野は利益面で振るわず、ワタミの渡辺美樹社長に「老人ホームには関心があるが、訪問介護はいらない」と言われた。一方で、「24時間営業」など他社にないサービスが利用者に高く評価され、離島まで拠点を持つのはコムスンだけ。業界2位のニチイ学館は「24時間体制を全面的に引き継ぐのは無理だ」と語っている。

 つまり、ディスコのノリを重視する野心家が、独自のサービスで顧客の支持を受けながら、社員に厳しいノルマを課し、不正を積み重ね、それでも採算に乗らないのが訪問介護事業と言える。さらに現場のヘルパーの多くは年収300万円未満で、離職率も高い。介護は、ビジネスとして職業として、夢も希望もないどころか、成り立っていないのが現実だ。

 そもそも介護事業には、まっとうにやって利益を上げられる仕組みが備わってないふしがある。厚生労働省が06年度に、介護保険会計の健全性を維持するためとして業者への介護報酬を引き下げたせいと指摘する関係者は少なくない。

 介護を「無償の奉仕」として家族や地域だけに押し付けるのでなく、「事業」として民間に委ねたはいいが、例によってお役所仕事に終始する厚労省こそ問題の黒幕ではないか。このままではやがて何十万、何百万人の介護難民が生み出される日がくる。
 毎日新聞 2007年6月15日
---------------------------------------------------------------

 (感想)
介護保険スタートが大詰めを迎えていた頃、自民党政調会長の亀井静香が面白い提案をしたのを思い出す。伝統的保守の立場から、家庭で介護するお嫁さんに業者価格の半分程度を支給して、家庭で介護する美徳を支援したらどうかという提案だった。

 これに猛反対したのが民主党政調会長の菅直人。女性の負担を軽減するためには、介護を家庭から完全に切り離し、介護ビジネス市場を育てなければならないという考え方だったと記憶している。ドイツの例を参考にしたみたいだが、ゲルマンとヤマトじゃメンタリティが違いますからね。そうは問屋が卸さないのじゃないかと危惧したが案の定だった。

 そもそも、すべてを市場(ビジネス)に任せるという発想だったら、介護報酬は業者にとって魅力的な水準にまで引き上げなければ成立しない。介護報酬を下げるのではどうにもならない。当然、保険料はもっと上げなければならない。いや、保険方式ではなく累進性の高い税方式にして所得のある人全員から徴収するか、消費税で充当するしかないだろう。

 特養施設の順番を待っているうちに死んでしまう人(サービスをまったく受けられない人)がごまんといる現状は明らかにおかしい。介護を家庭から完全に切り離し、市場に任せるという考え方は理想主義であって現実的ではない。いずれは亀井静香が言うように家庭の役割も組み入れなければ成り立たなくなるだろう。

 介護される側にとって考えてみれば、家庭介護がベストだ。しかし共働きが当たり前の時代に、主に女性にその役割を押しつけるのは時代にそぐわない。かといって民間業者に丸投げしたところで具合が悪いことも明らかだ。民間業者、市町村、自治会、或いは自治会より更に小さな地域社会、家庭等がそれぞれできることを工夫し合う必要があるのではないだろうか。介護はこれこれこうした要件をそなえなければならない、などという硬直した法律を弾力的なものに改正し、家庭やグループで介護を手伝える人に報酬を出して、地域社会や家庭で支えていく発想が必要だろう。

GKAバトル

2007年06月13日 | Weblog
 毎日新聞 2007年6月12日
 ぐんま国際アカデミー助成金問題:太田市長が理事長辞任

 太田市の英語教育特区校「ぐんま国際アカデミー」(GKA)は11日、理事会を開き、清水聖義・太田市長の理事長辞任と赤尾文夫・旺文社社長の副理事長辞任を認めた。新理事長には同市教育委員会の渡辺浩委員長(71)、副理事長には松田浩一理事(54)が就任する。清水市長は「学校をつぶすことはできない。辞任が最善と考えた」と述べ、県との私学助成金問題の解決策として決断したと強調した。

 理事会後の記者会見で、清水市長は「市長が理事長を兼ねていることで誤解を招き、助成金が減額されてきたと思う」とし、GKAが純粋な私立校であるとことを示すための判断だったと説明。理事長に就任する渡辺氏は「子供たちには教育を受ける権利がある。14日には県にあいさつに行き、指導を仰ぎたい」と述べた。副理事長になる松田氏は「全国で私学助成が減額されてつぶれた学校はなく、群馬県で初のケースを生みたくない。県の指導に基づき責任を持って対応していく」と早期解決に意欲を示した。

 また、この日の理事会では、同校が今年度から敷地(約2万1000平方メートル)の賃借料1300万円を市に支払い、“市立校”色を解消する方針を確認した。

 GKAは05年開校。県は「私学ではなく市立」とみなし、児童1人約27万円の助成を約4万3000円に減額すると判断した。現在、児童数は451人。【佐藤貢】
-------------------------------------------------------------------------

 小寺(群馬県知事)VS清水(太田市長)のバトル、まだまだ続いています。
 (27万円-4.3万円)×451人だから1億237万円の争いだ。

 実質市立との見解を譲らない小寺知事に対して、清水市長は「解決策として」理事長を辞任し、「私立としての体裁」を整えた。ただ、理事長を辞任しただけで果たして解決策となるのか。小寺知事の答えが気になる。

 「構造改革特区を申請して太田市が設立したのだから市立」「市が設立したのだから最後まで市が責任を負うべき」「投げ出すのは無責任じゃありませんか」と言うのかどうか。そこまで言ったらすごい(笑)。

 私だったら怖くなって1億円を払っちゃうでしょうね。どうせ自分のカネじゃないのだから。さて、どうなるのでしょうかね。14日に新理事長が県に挨拶に行くようですが、野次馬としては15日の新聞が楽しみです。


統一地方選雑感・4

2007年05月28日 | Weblog
 今日の朝日新聞に「地方議会の法定外会議、30都道府県が日当・交通費」の記事があった。
 http://www.asahi.com/national/update/0527/OSK200705270031.html

 記事は、地方議会(記事では都道府県のみ)の法定外会議(全員協議会等)に日当や交通費が支払われていたというもの。カネを払うのがけしからんという趣旨だが、そんなことはどうでもいいと思いますがね(笑)。天下の朝日新聞だったら、もうちょっと違う視点から噛みついてもらいたい。カネの問題ではなく、地方自治法に定めのない「非公式な会合」で、「事実上の審議」を行っている悪しき習慣を真っ正面から採り上げて欲しかった。

 国会に「全員協議会」はない。それはそうだろう。本会議をさておいて、与野党全議員による非公開・非公式の会議で事前審議を行ってしまえば、本会議は単なるセレモニーの場となってしまう。民主主義の根幹に関わる問題だ。この悪しき習慣は、地方議会、特に市町村議会に蔓延している。

 思い出すのは8年前の富士見村。「合併問題は避けて通れない」というどちらともとれる「公約」を掲げて当選した元村長が、全員協議会における「反対多数」を理由に自立自村を決断し、住民からリコールされたこと思い出す。元村長は議会の多数意見に従ったつもりだろうが、そうではない。形の上では、議会の審議を経ずに村長権限でもって自立を決断したのだ。

 合併するかしないかという重要な問題を、地方自治法に定めのない非公式な会合で決めるのがおかしい。「いや、あくまで参考にしただけだ」と言うならば、「議会の多数意見に従った」と言うべきではない。自らが決断したと言うべきだろう。

 地方自治法は、定例本会議と臨時議会のほかに、常任委員会と議会運営委員会、特別委員会を設置できると定めている。富士見村に特別委員会はないから、常任委員会が中心となって審議を進め、議会運営委員会を経て、本会議で決するのが正しい姿だ。議長権限でもってむやみに全員協議会を開くべきではない。

 只、この正論を新人議員が述べたところで、議員多数から「あいつは何を言ってるんだ」と変人扱いされて孤立する可能性が高い(笑)。正論が必ずしも通るとは限りませんからね。正論を述べたところで、相手にされなければ肝心の仕事ができなくなる恐れがある。 

 こうした悪しき習慣を正すのは住民運動の役割だろう。形骸化した議会を傍聴する以前に、非公開の全員協議会のあり方に注文を付けていくことの方が肝心かも知れない。

統一地方選雑感・3

2007年05月25日 | Weblog
 今回の選挙では、県庁を早期退職して、こともあろうに村議選に出馬するという「無謀な選択」をした新人を応援する羽目になった。端から見ればとてつもなく無謀な選択だが、本人がそう決断した以上は傍観するわけにはいかない。

 何で無謀かと言うと、当の候補者は村に移り住んで僅か8年のよそ者。人口23,000人で都市化が進んでいる村だから、首長選ならばよそ者でも政策で充分勝負できるが、いや、今回の選挙だったら、むしろよそ者であることがプラス要因になるが、村議選となるとそうはいかない。村会議員に政策もへったくれもありませんからね(笑)。

 地域代表の色彩が濃い村会議員は、本来、原住民の牙城であってよそ者が入り込む隙はない。また百姓や土方がたむろす議会に、県行政職員が入っても場違いというものだ(笑)。

 そこで聞いた。「本気か」「合併のための員数合わせだけなのか」「議会で何をしたいのか」と。返ってきた答えが面白かった。「定年後の人生を地域で楽しく過ごせるためのサークルづくりなどの地域作りをしたい。」と・・・。あまりにも足が地に着いたささやかな答に驚いた。足が地に着きすぎている(笑)。

 「選挙なんだから風呂敷はでかい方がいい」と言えば、ちゃんとでかい風呂敷はある。小さな自治につながる地域自治組織構想、独自の歳入構想、県・前橋市との協同による地域作り構想等々、発想はすばらしい。

 選挙を手伝うことになった私は、せっせとパンフレットづくりを行った。具体的な政策を羅列したパンフも作った。ところが候補者は、具体的な政策をことごとく抽象的な表現に変える。選挙は候補者の責任に帰するから、私が文句を言う筋合いはない。決定権も結果責任も本人が負うべきものだ。

 そうは言っても、2度目の訪問先に似たようなパンフを持っていくのは具合が悪いから、「パソコンに入っているあの資料、プリントアウトしてもいいかな」と恐る恐る聞いたところ、「地方議会選挙はマニフェスト禁止なんですよ」と言われて仰天した。「告示前だし、育てる会パンフだから違反ではないが、当地では前例がないし、他陣営も政策的なパンフは出していないから」と言う。

 知らなかった。いや、「政策を争ってはいけない」などという非常識な規定があるなんて考えもしないから、知らなくて当たり前だ。どうりで選挙は、ひたすら名前を連呼するだけの「騒音型」になるはずだ。その「騒音」をまき散らす女性を「うぐいす嬢」と呼ぶのは悪い冗談だ(笑)。

 戸別訪問やインターネットを禁止し、挙げ句の果てに政策パンフの発行まで禁止しているのは世界中で日本だけだろう。地方議会選挙だけ禁止ということは、地方議会議員はしょせん地元有力者の名誉職程度の存在であるから、そんな議会に政策論があろうがなかろうがどうでもいい、ということなのか。

 長生きはするものですな。この歳になってまた新たな発見をした(笑)。

統一地方選雑感・2

2007年05月24日 | Weblog
 群馬県富士見村の議会構成は、定数18に対して合併賛成派が11、反対派が7となった。選挙前は賛成派7、反対派12、欠員1だから大逆転だ。村長も賛成派新人が反対派現職を破ったのだから、結果は住民投票どおりだ。

 村長に関しては予想どおり、というよりむしろ現職が健闘したと言ってもいい。本来はダブルスコアで賛成派新人の勝ちのはずだが、そこは現職の強み。各種団体をすべて自陣営に取り込み、組織選挙を展開した。しかし組織はしょせん味噌汁の上澄みみたいなもの。圧倒的多数は未組織の住民だから、普通に戦えば賛成派新人の勝ちは動かない。

 一方、難しいのが地域代表の色彩が濃い村議戦。幸い、反対派は現職中心で新人が僅か2名だったから助かった。賛成派も現職7人が全員立候補したが、新人が5人立候補したため、勝ちを収める事ができた。住民には議会に対する不信感があるから、賛成派・反対派を含めて現職には厳しく新人に有利な空気があったはず。だから本来は、不人気の現職がリタイヤして新人を擁立するのが本筋だが、双方ともそうはならなかった。賛成派も戦術を誤ったが、反対派も誤ったため、敵失で勝利を納めた格好だ。現職は欲が深いからね(笑)。

 明日は地方議員選挙に関する摩訶不思議な法律を採り上げてみたい。明日書ければ明日、もしかしたら明後日になるかも(笑)。