【阿多羅しい古事記/熊棲む地なり】

皇居の奥の、一般には知らされていない真実のあれこれ・・・/荒木田神家に祀られし姫神尊の祭祀継承者

#徳川時代 

2019年03月06日 | 歴史
 
 
 
 
明治天皇の実父は徳川田安慶頼です。
 
 





 






 
 

孝明天皇は、側女である中山慶子が自分の生家へ下がって産んだ男児について
自分の胤ではないとの疑いを抱いていた。
折りしも舶来の写真撮影機を入手した天皇は、公家および藩主等の肖像収集を命じたのだったが
その中に徳川慶頼という片目の男がいた。
「左様なる不具合は如何に成せるや?」
という使者の問に、慶頼は最初、「馬から落ちた。」と答えたそうだ。
しかし、武家の嫡男が落馬するとは信じ難い。
詰問すると、「或る者が睦仁親王に似ていると言ったので、畏れ多く、自身の手で目を突いた。」と白状した。
一方、中山忠能邸では睦仁の産湯を汲んだという井戸が密かに埋め立てられた。
数年後、孝明天皇は毒殺され、徳川田安血統の天皇が即位した。
 
 


厳密に言えば、今上天皇徳仁(とくがわなるひと)は天皇ではなく、国王である。
伊勢神宮のみならず日本中に祀られている祭神は、現天皇の先祖神ではない。
元)伊勢神宮大宮司の鷹司尚武は鷹司平通の養子になった松平尚武(徳川尚武)、(元)祭主は裕仁の三女池田厚子(徳川厚子)である。
徳川氏子孫が他人の先祖を祀っているわけだが、
ほとんどの日本人は
その事実を知らされていない。