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12.イギリス「日英同盟の威光」

 「日英同盟の威光」 一部引用編集簡略版

  イギリスは第二次世界大戦が始まるまで、大英帝国として世界に君臨していたが、今日では小さなテーマパークのように思われている。観光客にとって、”イギリス”を売り物にしているテーマパークだ。
  明治以後の日本にとっては長いあいだ、外国と言えば、アメリカとイギリスが中心となっていた。日本の近代史はペリーの来航から始まっているが、今日までアメリカによって大きく振り回されてきた。千葉県の浦安にある東京ディズニーランドはアメリカ文化を象徴している。

  イギリスは明治時代を通じて、大英帝国の絶頂期のビクトリア時代に当たった。そこで欧米から学ぼうとしていた日本の関心は当然のことだが、イギリスへ向かった。
  日本では女学生のセーラー服の襟線は、ほとんどの場合、三本である。ポルノ映画の看板のセーラー服姿の女学生も三本線だが、これはかつての日英同盟に始まったものだ。そういえば、郵便ポストが赤い(アメリカとヨーロッパ諸国のポストは青い)のも、右側通行も、鉄道が狭軌なのも、イギリスと同じである。
  ちなみに、我が国の海上自衛隊のセーラー服の襟線は二本だが、なぜ二本なのか、防衛庁に問い合わせたところ、格別な理由はなく装飾的なものだということだった。

  バロー・イン・ファーネスといっても、日本では馴染みがないが、アイリッシュ海に面する造船の町だ。沖合に自動車レースで有名なマン島がある。日本の若い女性のあいだで人気が高い「ピーター・ラビット」の作者であるヘレン・ベアトリックス・ポッターが創作生活を送ったソーリー地方から近い。町の周りに、あの挿絵と同じように美しい風景が広がっている。ポッターと「三笠」は同じ世代に属している。
  この造船の町で1900年に戦艦「三笠」が起工され、完成したうえで日本海軍将兵によって、日本まで回航された。「三笠」は日露戦争の勝敗を決した日本海海戦の東郷平八郎大将の旗艦である。町には「三笠」を建造した古い石積みの船渠(投稿者注:せんきょ=ドック)が残っている。町民は「三笠」が、この町で建造されたことを誇りにしてきた。通りの一つが「ミカサ・ストリート」と命名されているが、先の大戦中にもかえることはなかった。イギリス人はむきにならない。

  日露戦争当時のロシアは強大な大帝国であり、日本は極東の小国にすぎなかった。その日本がロシア帝国を打ち破ったのは、全国民が愛国心に燃えて、結束したからだった。それに日英同盟条約が開戦の二年前に結ばれたことが、日本の勝利に大きく貢献した。この条約がなかったとしたら、日本は勝てなかったかもしれない。(投稿者補足:ロシア艦隊は北極側は凍結して動けないので、大西洋からアフリカとインド洋を遠回りに経由して日本に向け移動したが、イギリスは自国の植民地にロシア艦隊を寄港させなかった。ロシア艦隊の兵士は疲れ切った状況で日本海海戦に臨むしかなかった)

参考:加瀬英明著「イギリス 衰亡しない伝統国家」
 加瀬英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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