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6-6 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

2023-12-17 12:19:35 | 源氏物語のトピック集
6-6 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集

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6-5 のつづき

  とはいえ二人はそれぞれの心の納得のため、匂宮は侍従から、薫は右近から、浮舟の死の真相を聞きだそうとしている。薫はそして浮舟の四十九日を心をこめて取り行い、母君をなぐさめることも忘れなかった。
  こうして折にふれて浮舟に関係深い人々に誠意を示す薫であったが、その一周忌も待たず妻の姉君に当る女一宮に憧れの思いを抱き、匂宮もまた、女一宮に出仕した蜻蛉式部卿の宮皇女、宮の君に心をときめかせている。

  そうした、片時もとどまらぬ若い恋心の動きが、結局はむなしく時間の彼方に過ぎ去ってゆくのを薫は折にふれて内省することがあった。「蜻蛉」の巻の巻尾にはこうした薫の詠嘆の一首が据えられている。

   ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉
 「蜻蛉」 薫
    (眼前にその憧れの存在をみていながら、それは自分のものとはならず、ようやく手に入れたと思った人は、ふいに行方もしれず消えてしまった。まるで、あのはかない蜻蛉がふっといずこかへ消えてしまうように)

  ここには、大君への憧れを遂げ得ず、中君を匂宮にゆずってしまったはて、浮舟も不慮の失い方をしてしまった薫の、思いにたがう人生への慨嘆がある。身分や階級の動かしがたい制度の世にあっては、たしかに「世の中」ともいうべき人生は男女のあわいの順調か否かにかかるものでもあっただろう。

  一方浮舟は横川(よかわ)の聖に助けられて、小野の山里に扶養されていた。春が来て、閨のつま近い紅梅が咲き、しきりにその匂いを運んできた。

   袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぼの
 「手習」 浮舟

  古歌に「色よりも香こそあはれと思ほゆれ誰が袖ふれし宿の梅ぞも」という歌がある。梅の香は、梅花香を焚きしめた袖の香であり、人の香であった。梅の香に誘われて「袖ふれし人こそ見えね」と詠み、「それかと匂ふ」と言葉をつづけた時、浮舟の心にあった面影は匂宮か薫か、どちらであったろうか。

  薫は浮舟の死を右近から聞いたあと、その死に疑問を感じ、宇治に赴いたことがあった。川近くに下りて水をのぞき、泣き泣き浮舟の別荘に行って、柱に歌を書きつけてきた。語り草になった薫の悲嘆を、浮舟は小野の庵室で偶然に聞いてしまう。

   見し人はかげもとまらぬ水の上に落ちそふなみだいとどせきあへず
  

   (愛した浮舟はもう影もかたちもなくなってしまった。ただこの水の上にしきりに落ちる涙ばかりが現実だと思うと、いっそうこらえきれず涙を止めることができない)

  しかしすべては、もうはるかな時間の彼方で終焉を迎えたことだったのである。

浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語) おわり

  恋の 歌の贈答のトピックは以上で終りますが、浮舟と薫の恋の関係の続きに興味のあるかたは、このブログのカテゴリー「平安人の心で読む源氏物語簡略版」の「夢浮橋」の巻を参考にしていただくと嬉しいです。

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」

6-5 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

2023-12-16 11:52:41 | 源氏物語のトピック集
6-5 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集

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6-4 のつづき

  浮舟の側近の侍女の一人は匂宮びいき、他の一人は薫びいきであったが、ともかく、侍女が二人ながら願ったことは、どちらか一人を選んで決着をつけるしか道はないということである。
  当然すぎる結論だが、浮舟にはその決定ができなかった。それは単に浮舟が優柔不断であったといってすむものではなく、匂宮と薫という、当代を代表する貴人の卓絶した美質と、権威にまかせた奔放な情熱の魅力や、自負の強い愛の侮りがたい魅力があった。

  匂宮にも薫にも世上(せじょう:世間)の認める正室があり、そのほかにも妻とする女性があった。その上での浮舟をめぐる愛の葛藤である。それに対して浮舟の立場は弱く、憧れは強く、生涯の安定を望む心と、眼前の悦楽に抗えない心とは、うら若く経験の乏しい浮舟を困惑させた。そしてここには多面的な恋の場に身をおきかえて悩み、その悩みを深く味わおうとする作者紫式部の貌(かお:人が仮面をかぶったさま)がある。

  浮舟にもう少ししっかりした乳母か侍女がいて、説得力のある定見があり、対処があったら浮舟は安定した人生を送れたであろう。大方の姫君たちはそうした人の見識に従って身を処したのが現実であった。
  しかし物語の企図はそこにはない。浮舟には、浮舟を支える本当の背景がなく、同じくらいの常識をもって世を送る非力の人々が寄り集まって、匂宮と薫という二人の恋人の権威ある愛に圧倒されていたのだ。だからこそ、そこに非力な女たちの非力な思慮の敗北が無残に、哀れに浮かび上ってくる。

  浮舟の行方が、死とも失踪ともわからぬまま伝えられて、熱中の渦から急に放り出されたような匂宮と薫は、うつし心もないありさまで何日かは過したが、それぞれの立場が自覚されてゆくにつれ、「さるは、をこなり」と、死者にいつまでかかずらわっているわけにもいかない、という常識も心のすみに生まれはじめる。

(参考:源氏物語 [蜻蛉]の巻)
さるは、をこなり、かからじ とはいえ、それも愚かしい、もう嘆くまい。

6-6 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」

6-4 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

2023-12-15 15:37:58 | 源氏物語のトピック集
6-4 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集

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6-3 のつづき

  浮舟は二人の恋人の間に立って、死を選ぶほかないと思いはじめる。浮舟に逢えなくなった匂宮はいよいよ焦燥のあまり、無理をして浮舟に近づこうとした。

   なげきわび身をば棄つともなきかげにうき名流さむことをこそ思へ 浮舟

   (いくつもの歎きが重なり、判断もしかねるわが身ながら、もし身を捨てたとしても、その後に浮き名が噂されるであろうことを思うと、それが何ともつらいことだ)

  このような思いのなかで、浮舟が最後に返信を書いたのは匂宮に宛ててであった。薫にも死へ向って歩む自分の恋のはての思いを知らせたくは思ったが、匂宮と薫は親友以上の間柄だから、必ず後々互いに聞き合せて、二人に宛てた文面を見せあったりすることもあろうと思い、それは避けてほしいと思ったとき、匂宮だけに返信する結果になったのだ。

  匂宮に届けた最後の歌は、「からをだにうき世の中にとどめずばいづこをはかと君もうらみむ」という、死をほのめかせた一首であった。「なきがらさえこの世にのこすことをしなかったなら」という上句には、すでに尋常の死を選ばない方向性は見えているが、そうした想像が働かなかった匂宮の心には、ただの比喩としか映らなかったのであろうか。「お墓さえもどこにあるかわからないなんて、とあなたは怨むことでしょう」と下句でうたっている。

  そしてこの歌のとおり、浮舟は失踪し、宇治川に投身自殺したと側近の人々は考えた。その直前、浮舟がまだ身の終り方を考えていた時、誦経の鐘の音が風に乗って聞えてきた。浮舟はその鐘の音に聞き入りながらしみじみと横たわっていた。その時まるで辞世のように詠んだ歌がある。心にしみる歌だ。

   鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへてわが世つきぬと君に伝えよ 浮舟

   (読経とともに打ち鳴らす鐘の音のゆりびき(音の高低・強弱が揺れるひびきのようなものか?)に、さらに私の泣く音を添えて、私の人生もついに終ってしまったと伝えてください)

  ここに対象とされた「君」は直接には母君だが、浮舟の全生命を悩ませた二人の貴公子の面影が含まれていないとはいえないだろう。

  「浮舟」の巻は「源氏物語」の中で唯一、処理不能となった苦しい恋の物語である。二人の男から熱烈に思われて不幸になった物語は「万葉集」の中にもいくつかの物語が伝承されうたわれていたが、物語の愛好が広まった平安時代に創出された「浮舟」の物語は、きわめて近代的な恋愛の悩みに近く、愛をめぐる男女の心の奥深くに錘鉛(すいえん:測深器のおもりとする鉛(なまり)でつくった器具。 比喩的に、物事をはかるときに、標準となるその人の判断力)をおろしつつ描いた斬新なものであった。

  当時の読書たちの観念にあった、いわゆる色好みの常識をはずれた、真摯な苦悩が、三者それぞれにみられる。

6-5 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」

6-3 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

2023-12-14 11:34:46 | 源氏物語のトピック集
6-3 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集

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6-2 のつづき

  対岸に着くと、匂宮は自ら浮舟を抱き下ろして、簡素な隠れ家に入った。見渡す景色はすべて雪に埋もれていた。一日のはて、夕日がさして雪の山をかがやかす。匂宮は浮舟を案じて越えてきた山道の危なかったことなども語って歌を詠みかわす。

   峰の雪みぎはのこほりふみわけて君にぞまどふ道はまどはず 匂宮
    返し
   ふりみだれみぎはにこほる雪よりも中空にてぞわれは消(け)ぬべき 浮舟

  ここでも二人の思いは行きちがっている。匂宮は、「峰の雪や水ぎわの氷を踏み分けて、思いなやみつつやってきた私はあなたにこれほどまでに思い迷うている。だから道だけは雪にも迷うことなく、まっすぐに来たのですよ」といっているが、浮舟の方は、「あなたが迷わずやって来たと仰しゃる水ぎわに氷る雪の道、でもわたしは、その氷雪よりもはかなく、雪の降り乱れる中空(なかぞら:どちらともきまらないさま)に、中途半端のまま消えてしまいそうです」といっている。

  匂宮はこの歌の「中空」という言葉にこだわって、浮舟が二人への愛に悩む苦しみよりも、自分との恋愛の中途半端さを気にしていると思い、思いのままに行動できない立場への焦燥が増した。
  匂宮は何日かこうして浮舟と過し帰京した。京からはすぐに手紙が届く。

   ながめやるそなたの雪も見えぬまで空さへくるる頃のわびしさ 匂宮

  浮舟は薫の人柄を比類なく思いながら、しだいに匂宮の情熱にひかれてゆく自分に気がつきはじめる。そうするうち、ある時、薫の使者と匂宮の使者が浮舟のもとで鉢合わせするという不都合があり、薫は匂宮と浮舟の関係を知ってしまう。
  薫は浮舟の心がすでに自分から離れたか否かを知ろうとして一首の歌を送ってみた。

   波こゆるころともしらず末の松待つらむとのみ思ひけるかな 薫

  手紙には「人に笑はせ給ふな」とのみ書かれていた。痛烈な、はじめての矢であった。歌のことばにある「末の松山」は度々引用される「古今集」の東歌、「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」の内容を凝縮した通用誤である。
  ここでは、「あなたが私を忘れて他の人を通わせていらっしゃるとは少しも知らず、私を待っていてくださるとばかり思っていました」といっている。このあと薫は所領でもある宇治一帯の警備を厳重にして、匂宮を浮舟に近づけないように手配した。

6-4 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」

6-2 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

2023-12-13 12:10:55 | 源氏物語のトピック集
6-2 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)

  馬場あき子氏著作「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」一部引用再編集

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6-1 のつづき

  浮舟もその様子を見て身にしみる悲しみにとざされている。流れる涙を、私のようなものの袖ではとても塞ぎとめきれないのに、どうしていまの別れをとめることができよう、とうたいかえし、うしろだてのない非力な存在としての自分の立場を認識しなおすほかなかった。

  この後、匂宮が宇治に行くことは全く不可能であったが、薫は折を得て宇治に赴き、久しぶりで浮舟に逢った。浮舟は匂宮との秘密をもって薫に逢うことに天のとがめを受けそうな苦痛を感じている。
  薫には無理強いなところがなく、「行く末長く人の頼みぬべき心ばへなど、こよなくまさり給へり」という長所がある。それを有難く思いながらも、浮舟はふと、「うつし心もなう思ひ焦(い)らるる人を、あはれ」と思い出してしまうのだ。そうした心乱れをじっと抑えながら、浮舟はやはり薫から見捨てられた時の心細さを思い憂うるのである。
  一方、薫はそうした浮舟の様子に沈静さが加わったと見て、その心の成長をよしとするのだった。そんな薫が詠んだ歌。

   宇治橋のながきちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐな 薫

  薫は浮舟に何の疑いももっていなかった。浮舟が匂宮と薫と双方の愛のはざまに立って悩ましげにしている姿をみても、浮舟の心が成長して沈静さが加わったのだと考え、「宇治橋のように長い契りは朽ちることはないのだから、不要なことばかり考えて動揺しないでくださいよ」などといって慰めたりするのだった。

  一方匂宮は浮舟が宇治に一人でいると思うと不安でたまらず、折ふし雪の降り積る山越えをして、夜更けて宇治を訪問した。一夜を明かして、まだ有明月(夜が ”明”けても、まだ空に”有”る月)の程だったが、匂宮は浮舟を小舟に乗せ対岸に渡ろうとした。その途次「橘の小島」と呼ばれるあたりに舟を止め、詠みかわした歌がある。匂宮との恋はここが頂点だった。

   年経(ふ)ともかわらぬものかたちばなの小島のさきに契るこころは
 「浮舟」 匂宮
    返し
   たちばなの小島の色はかはらじをこの浮舟ぞゆくへしられぬ 浮舟

  橘の常緑の葉が茂る島のすがたをながめて匂宮は、「年を経ても常緑の橘の葉色が変わらぬように、こうして契りを交わしたわたしの心は変わらないよ」と詠んだが、浮舟は、「橘の茂る小島の緑は変わらないでしょうが、ただ、この浮舟(二人が乗っている舟)のゆくえが覚つかないように、私の身はどうなるのか、その行く先もわかりませんわ」と応えている。

  浮舟という名はここから取られたものだが、浮舟の立場を思えばただ実感がただようだけでなく、その運命そのものを暗示したような歌である。 

6-3 浮舟をめぐる匂宮と薫 宇治十帖 (源氏物語)につづく

参考 馬場あき子氏著作
 「日本の恋の歌 ~恋する黒髪~」