逃げ込んだ道が行き止まりだとすぐにわかった。雑木林を背にして墓地と小さなお社に並んだ荒れた空き家がドン詰まりだった。切羽詰まって、破れた生け垣の根元に飛び込んだが、空き家に侵入するのをためらう連中ではない。
あっという間に囲まれて、突き飛ばされて木の物置小屋に激突した。肩に激痛が走って目がチカチカしてそのまま地面にずり落ちた。元より追われながら何度も足をかけて転ばされ、両膝がズル剥けでもう走れない。しゃがんだ途端、顔にびしゃんとドロリとした液体がぶつけられた。生臭い。ご丁寧に残飯の袋を持って延々と俺を追いかけていたらしい。ご苦労なことだ。
「よおっ、てるてるボーズ。これで臭い匂いが取れただろ。臭ーんだよ、ハゲ」
「変態のくせに当たり前の顔して学校来てんじゃねーよ」
「お前のおかげで教室が臭ーんだよ、ハゲ」
傷んだ足を蹴られて横に転がされた。腹と頭を庇って伏せようとしたところに罵声が降って来た。
"Hei! Stop dancing on my garden!"
生け垣の木戸から大きな影がぬっと俺たちに立ちはだかった。逆光で見えないが外国人らしい。
"See what's a mess you made! Will you compensate for these vegetables, won't you?
大きな影はずかずか俺を追い込んだ大将に迫って背を屈めた。顔を近づけてニタっと笑ったのがわかった。低い声で念を押すように脅している。
"Be good, boys. Tranquility, that's what we need, OK? Tranquility! Understood?"
3人組は英語で凄まれてビビって屈んだ男の下をかいくぐって、庭の外に逃げた。パニック気味のくせに木戸からふり反って、俺に怒鳴るのは忘れなかった。
「ハゲ! 変態同士お似合いだ! お前なんかそのガイジンに喰われて売られてしまえ!」
「もう学校来んな、変態!」
"Hey! Stop it! You have no next time!"
男に追われて三人組は脱兎のごとく逃げて行った。へたり込んだ俺は動けない。見回して初めて踏み荒らされた野菜畑に気がついた。ナスとトマトの柵は倒れているし、ブロッコリーは根元から折れている。弁償する金は無い。畑を作り直すからと謝れば許してもらえるだろうか。
煩くしてすみません、と何と言えばいいか頭の中で組み立てていると、男が俺の方に屈み込んで来た。
「あ、あいむ そーり……」
「お前、ケガしてんのか?」
日本語で聞かれてびっくりした。訛りなんかないこなれた日本語だ。そこで初めて顔も見えた。若い。大学生ぐらい。背は高いがガタイがいいわけでもない、ひょろりと細身。逆光に明るい色の髪が光っている。目が金色に光った。
「おい。イジメられっ子。立てるか? どこ打った。腕動くか?」
男は生ゴミにまみれた俺の腕を頓着せず引っ張り起こした。
「腕上げてみろ。右! 左!」
呆気に取られて言われるまま、腕を上げたら左肩に激痛が走って、また座り込みそうになった。
「骨は無事そうだが打撲がひどいな。手当てしてやる。寄ってくか? フロぐらい貸してやる」
男が荒れた感じの日本家屋を指差した。表通りに待ち伏せてるだろう三人組にまた捕まるのと、この金色の目の怪しい外国人の家で釜茹でにされて喰われるのとどちらがいいか。
釜茹での方がマシだ。
玄関のガラリ戸は意外なほどスムーズに開いた。古いが手入れされてるらしい。土間も綺麗に掃き清められてる。汚れたまま上がるのが躊躇われた。
「気にすんな。拭けば済む話だ」
どうして俺の考えてることがわかったんだ?
「お化け屋敷にようこそ」
男がニッと笑った。
「廊下の突き当たりが風呂場だ。着替え出しとくから、最短距離で廊下通ってくれ」
残飯の汁をポタポタ垂らし、泥まみれ血みどろのお化けみたいな格好でお化け屋敷に踏み込んだ。どうせこんな格好で帰れない。母親はいないが、お節介な大家のオバサンに見つかって大騒ぎされるに決まっている。
いっそこのまま売り飛ばされて家にも学校にも戻りたくない。喰われた方がマシだ。
死んだ方がマシだ。
自棄になって風呂場に入ろうとした俺の後ろ姿に、男が声をかけた。
「血が出てるところはセッケン使うな。痛いだろうが、泥は出来るだけ洗い落とせよ」
振り返ると男の手には、祖母ちゃんの家にあったような木の救急箱。親切なお化けらしい。洗ったら塩かけられて茹でられるわけでもないらしい。
やっぱり祖母ちゃんの家みたいなタイル張りの風呂場は清潔だった。すぐにたっぷりお湯が出て来た。さっき男の前でして見せたように、シャワーの下に立ってゆっくり腕や足を検分した。痛いが動く。骨折したら腫れ上がると聞いたことがある。多分、大丈夫。多分。
温かいお湯の中で身体が震えて来た。お湯なのか涙なのかわからない。 髪をいくら流しても生ゴミの匂いが取れないような気がした。
俺は臭い。俺はキモチ悪い。俺は変態。なんでだ? 父親がいないからか? 父親が俺を捨てたのは俺が臭いからか? 俺は価値がない。俺はつまらない。俺は。
「おい。溺れてんのか? ひっくり返るぞ。手当てするからそろそろ出ろ」
風呂場の外から親切なお化けが声をかけて来た。
驚いた。俺は息が止まってたみたいだ。まだ両手がぶるぶる震えている。なんとか深呼吸した。大丈夫。まだ大丈夫。多分。
あっという間に囲まれて、突き飛ばされて木の物置小屋に激突した。肩に激痛が走って目がチカチカしてそのまま地面にずり落ちた。元より追われながら何度も足をかけて転ばされ、両膝がズル剥けでもう走れない。しゃがんだ途端、顔にびしゃんとドロリとした液体がぶつけられた。生臭い。ご丁寧に残飯の袋を持って延々と俺を追いかけていたらしい。ご苦労なことだ。
「よおっ、てるてるボーズ。これで臭い匂いが取れただろ。臭ーんだよ、ハゲ」
「変態のくせに当たり前の顔して学校来てんじゃねーよ」
「お前のおかげで教室が臭ーんだよ、ハゲ」
傷んだ足を蹴られて横に転がされた。腹と頭を庇って伏せようとしたところに罵声が降って来た。
"Hei! Stop dancing on my garden!"
生け垣の木戸から大きな影がぬっと俺たちに立ちはだかった。逆光で見えないが外国人らしい。
"See what's a mess you made! Will you compensate for these vegetables, won't you?
大きな影はずかずか俺を追い込んだ大将に迫って背を屈めた。顔を近づけてニタっと笑ったのがわかった。低い声で念を押すように脅している。
"Be good, boys. Tranquility, that's what we need, OK? Tranquility! Understood?"
3人組は英語で凄まれてビビって屈んだ男の下をかいくぐって、庭の外に逃げた。パニック気味のくせに木戸からふり反って、俺に怒鳴るのは忘れなかった。
「ハゲ! 変態同士お似合いだ! お前なんかそのガイジンに喰われて売られてしまえ!」
「もう学校来んな、変態!」
"Hey! Stop it! You have no next time!"
男に追われて三人組は脱兎のごとく逃げて行った。へたり込んだ俺は動けない。見回して初めて踏み荒らされた野菜畑に気がついた。ナスとトマトの柵は倒れているし、ブロッコリーは根元から折れている。弁償する金は無い。畑を作り直すからと謝れば許してもらえるだろうか。
煩くしてすみません、と何と言えばいいか頭の中で組み立てていると、男が俺の方に屈み込んで来た。
「あ、あいむ そーり……」
「お前、ケガしてんのか?」
日本語で聞かれてびっくりした。訛りなんかないこなれた日本語だ。そこで初めて顔も見えた。若い。大学生ぐらい。背は高いがガタイがいいわけでもない、ひょろりと細身。逆光に明るい色の髪が光っている。目が金色に光った。
「おい。イジメられっ子。立てるか? どこ打った。腕動くか?」
男は生ゴミにまみれた俺の腕を頓着せず引っ張り起こした。
「腕上げてみろ。右! 左!」
呆気に取られて言われるまま、腕を上げたら左肩に激痛が走って、また座り込みそうになった。
「骨は無事そうだが打撲がひどいな。手当てしてやる。寄ってくか? フロぐらい貸してやる」
男が荒れた感じの日本家屋を指差した。表通りに待ち伏せてるだろう三人組にまた捕まるのと、この金色の目の怪しい外国人の家で釜茹でにされて喰われるのとどちらがいいか。
釜茹での方がマシだ。
玄関のガラリ戸は意外なほどスムーズに開いた。古いが手入れされてるらしい。土間も綺麗に掃き清められてる。汚れたまま上がるのが躊躇われた。
「気にすんな。拭けば済む話だ」
どうして俺の考えてることがわかったんだ?
「お化け屋敷にようこそ」
男がニッと笑った。
「廊下の突き当たりが風呂場だ。着替え出しとくから、最短距離で廊下通ってくれ」
残飯の汁をポタポタ垂らし、泥まみれ血みどろのお化けみたいな格好でお化け屋敷に踏み込んだ。どうせこんな格好で帰れない。母親はいないが、お節介な大家のオバサンに見つかって大騒ぎされるに決まっている。
いっそこのまま売り飛ばされて家にも学校にも戻りたくない。喰われた方がマシだ。
死んだ方がマシだ。
自棄になって風呂場に入ろうとした俺の後ろ姿に、男が声をかけた。
「血が出てるところはセッケン使うな。痛いだろうが、泥は出来るだけ洗い落とせよ」
振り返ると男の手には、祖母ちゃんの家にあったような木の救急箱。親切なお化けらしい。洗ったら塩かけられて茹でられるわけでもないらしい。
やっぱり祖母ちゃんの家みたいなタイル張りの風呂場は清潔だった。すぐにたっぷりお湯が出て来た。さっき男の前でして見せたように、シャワーの下に立ってゆっくり腕や足を検分した。痛いが動く。骨折したら腫れ上がると聞いたことがある。多分、大丈夫。多分。
温かいお湯の中で身体が震えて来た。お湯なのか涙なのかわからない。 髪をいくら流しても生ゴミの匂いが取れないような気がした。
俺は臭い。俺はキモチ悪い。俺は変態。なんでだ? 父親がいないからか? 父親が俺を捨てたのは俺が臭いからか? 俺は価値がない。俺はつまらない。俺は。
「おい。溺れてんのか? ひっくり返るぞ。手当てするからそろそろ出ろ」
風呂場の外から親切なお化けが声をかけて来た。
驚いた。俺は息が止まってたみたいだ。まだ両手がぶるぶる震えている。なんとか深呼吸した。大丈夫。まだ大丈夫。多分。
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