下記は、琉球新報2018年9月28日(金)の記事(意見広告)より抜粋しました。
読んでいて涙が出た部分です。
冷えるところがあっても沖縄人の心の底から熱いマグマはどんどん溢れ出てきます。
玉城デニーさん 頑張ってください。
(前略)正直、翁長が亡くなって、頭の中では理解しているつもりなのに、心がなかなか追いつきません。洗濯物をたたんでいる時だとか、ご飯を出している時に突然、「あ、そうだパパ」って顔をあげちゃうんですよね。そしたら遺影の翁長がいつも笑っているの。「ばかだなあ君は」って言って。
翁長が恋しいです。あの笑顔がもう一度見たい。あの笑い声がもう一度聞きたい。でも、かなわないから。(後略)
琉球新報2018年9月7日の記事を紹介します。
8月8日に急逝した翁長雄志沖縄県知事=享年67=の妻、樹子(みきこ)さん(62)が6日、那覇市の自宅で琉球新報のインタビューに応じ、翁長氏が4月下旬に膵臓(すいぞう)がんの切除手術を受けた直後に、肝臓への転移が発覚していたことを明かした。翁長氏は「12月まで持たないかもしれない」と死を覚悟しながら、家族以外には病状を伏せ、名護市辺野古の埋め立て承認撤回のために公務を続けていた。
樹子さんは「自分で最後まで撤回をやり遂げたかったと思う。でも、副知事ら県庁の人たちが遺志を継いで頑張ってくれたことを喜んでいるはずだ」と語った。
7月27日に承認撤回を表明する記者会見を開いた翁長氏は、まともに歩けないほどの衰弱を隠していた。再入院した病室で「県民に足りないと言われるかもしれないけど、自分にできることは精いっぱいやった」と語る翁長氏に、樹子さんは「あなたに足りないと言うウチナーンチュはいない」とねぎらったという。
樹子さんは「『県民が右と左で対立しているのを、後ろで笑っている人たちがいる。だから沖縄は一つにまとまらないといけない』とずっと言っていた。最期まで命懸けでウチナーンチュのために闘っていた」と話した。