肝心のドラマの内容。
舞台は(多分)1950年代のまだ貧しい感じの日本、物語序盤は風呂屋の親父(角野卓造)の後妻でヒロイン(この時点では子役の黒川芽以)の継母になった三田佳子の視点で話が始まる。
彼女はかつて何かの事情で最愛の男(仲代達矢)と別れた過去と「赤線の女(いわゆる公娼)」だった過去があるらしいが、それらを隠して風呂屋の親父の後妻になっている。
この親父には10歳くらいの娘がいてそれが一応主人公。
この後妻さん、人が良くて愛情深い女性らしく、継母に懐こうともせず笑顔も見せずろくすっぽ口もきこうとしない娘を何故かやたら深く愛していらっしゃる(言動や態度が不自然に見える位献身的な熱愛ぶりというのか;)
一緒の部屋に寝ていても朝になると娘は母子ふたりの部屋から姿を消していて、慌てて探しに行くと親父の布団に潜り込んでいた、というシーンも。
(普通は夫婦が同室で娘が別室で寝るものでは、、?とも思うが)
文章だけで書くと子供の微笑ましい行動みたいだがこのドラマの(よーするに脚本家の)視点は「少女」を「子供」として描いてはおらず、かなりハッキリと「オッサンから見た性的な視点」を前面に出している、だからむしろエロティックな印象さえある。
(や、別にそれに文句がある訳じゃない;それはあくまで個々の作品のカラーって事だから)
10歳位といえば全般に女の子の方が大人びてる年頃で、まだ子供子供してる事の多い男の子に比べて割と体も大きくもう既に女性的な雰囲気になっている子が多いらしい。
この子役も既に「子供」というより「娘」という感じで青いライトの中で映されたヌードシーンは大層美しかったっす;
小学生だけにまだとても華奢ですんなりしているのに女性的なラインがほんのりと出来上がっている身体、成熟がまだ始まったばかりの儚く危うく不安定な年頃の身体はまるで人形師が丹精にこしらえたようなシルエットでそりゃもうカネ払ってでもいっぺん見とけって感じでした(笑)
ええ、映像は素晴らしかったです;
ただ必然性はちょっとわからんかった;彼女が隠れキリシタンの生まれ変わりっつー事らしいんだけどキリスト教の洗礼って女性が鏡の前で真っ裸になってやるとか?聞いた事は無いが、、;まぁ脚本家の趣味によるサービスシーンって事で有難く見とけばいいのかな?
ある夜突然継母の赤線時代の客が押しかけてきて「当時上げ代代わりに置いていった鏡を返してもらいに来た」と言って札束を押し付けて鏡を持ち去って行く(う~ん;娼婦を買う料金の代わりに巨大な鏡を置いてゆくっつー状況が今一わからん;あとそんな理由で手放した物をわざわざ何で必死でカネ貯めて奪い返しに来る?)
後妻がもと公娼だと知った親父は
「よぉ化けたもんやのぉ!汚らわしい!とっとと出て行けェ!!」
と寒空の中、着の身着のまま女房を叩き出す。
一方既に鏡に魅せられていた娘は鏡を奪い返そうと男を追って行き、彼を刺殺する。
そこへ出くわした継母は「全部私が引き受けるから家へ帰りなさい」と、娘を逃がす、娘はそのまま帰宅。
(この時点で男の死体は崖から落とされてそこに無かった、娘が落としたのか母が落としたのかは失念;すんません;)
ふらふら歩いてるとそこに偶然かつての恋人、仲代達矢が。
「○○さん!(役名忘れた;)また会えるなんて!もう僕は貴女を離さない!!」
と、盛り上がるも女は
「貴方とは参れません、私はひとを殺しました」
と、娘の罪をかぶってそこから去る。
、、、、そして10年たち、成長した少女がまた鏡を手に入れようとして計画的なんだか何も考えてないんだかわからん(見てて妙に腹の立つ)破綻した言動と行動で周囲に迷惑かけまくる、、ストーリーが始まる。
これ以降の話も色々癇に障る部分多いんだけれどもそれでもつい見続けてしまったのは(両親が見てたからってのもあるが)何より
「三田佳子がここまでこの娘に尽くす理由を知りたかったから」である。
だって娘は継母を自分の代わりに十年も服役させながらそれを忘れている人なのだ;
こんな娘の為に取り返しのつかない犠牲を払う理由が一体どこにある?
当時私は何とか納得してみようと色々考えた。
「母としての無償の愛」を捧げようにもまず一緒に暮らした期間は大して長くない。
ましてや後妻に入った時点で娘は思春期に入っていて継母には全く懐かず、作中では母を居ないもののように扱い口も聞かない。
「夫への愛情から?」 これもまぁ↑上を見てもらえばわかるように親父との絆も無い、この亭主は過去はどうあれ自分にも自分の娘にも心底愛情深く尽くしてくれた妻をたった今問答無用で叩き出した男でしかない。
「人生に絶望して自暴自棄になっていた?」 これも変;何しろたった今最愛の男と再会し、恋人は自分を今度こそ離さないと誓った所、目の前に希望があるのだ、ここに至って投げやりになる理由も無いだろう。
あとは最後の手段、「彼女は前世でこの娘の実母だった!」これでどうだ!何しろ前世がらみの話なんだからその位のオチもありだろう!!
、、、、結局これもハズレでした;単なるいい人だったらしい;
この脚本、イメージと萌え感情のみで突っ走ってて登場人物に全く厚みが無い。
(それでも男性はまだマトモなんだな;この人の脚本で違和感を感じるのはいつも女性キャラクター)
「心を開かず人形のように表情を変えぬ長い髪の少女萌えっ!」
「禿げたお父さんのお布団に潜り込んでる寂しげな少女のほんのりエロスいいなぁv」
「ああ、少女よ君は今何を考えているのか、この愚かなおぢさんに教えておくれ!」
、、的な少女崇拝はあくまで「脚本家のおじさん」の感情であって作中人物にとっては別だ、薄幸の継母の立場になってみい;
悲しい過去を伏せて風呂屋の後妻になるも夫の連れ子はすでに幼子ではない年齢で自分がどんなに優しく接しても完全無視するような難しい娘。
こんな態度を取られりゃどんなに出来た女性だって傷つくし嫌な気分にもなろうというもの。(少女が継母に言葉を返すシーンは見事に「一言も」ない;むかつくなぁ)
脚本書いてるおじさんがどんなにウットリと萌えようともそれは「作り手の趣味」。
心を閉ざした無口な少女に人生を犠牲にする価値を見出してるのはあくまでロリコンのおっさんの目線;
三田佳子の目線から見ればこんな娘「可愛げのない連れ子」にしか成り得ないだろうに;
無視され続けた継母にとってそんな価値があろう筈がない(叩き出された時点でもう「娘」でも無いのだから義理すら無い)
「これが薄幸の継母」ではなくまさしく脚本家の分身たる「少女好きで思考がちょっとイっちゃってるおっさん」ならキッチリ辻褄合うんだけどね、いっそそうすべきだったと思うよ;
舞台は(多分)1950年代のまだ貧しい感じの日本、物語序盤は風呂屋の親父(角野卓造)の後妻でヒロイン(この時点では子役の黒川芽以)の継母になった三田佳子の視点で話が始まる。
彼女はかつて何かの事情で最愛の男(仲代達矢)と別れた過去と「赤線の女(いわゆる公娼)」だった過去があるらしいが、それらを隠して風呂屋の親父の後妻になっている。
この親父には10歳くらいの娘がいてそれが一応主人公。
この後妻さん、人が良くて愛情深い女性らしく、継母に懐こうともせず笑顔も見せずろくすっぽ口もきこうとしない娘を何故かやたら深く愛していらっしゃる(言動や態度が不自然に見える位献身的な熱愛ぶりというのか;)
一緒の部屋に寝ていても朝になると娘は母子ふたりの部屋から姿を消していて、慌てて探しに行くと親父の布団に潜り込んでいた、というシーンも。
(普通は夫婦が同室で娘が別室で寝るものでは、、?とも思うが)
文章だけで書くと子供の微笑ましい行動みたいだがこのドラマの(よーするに脚本家の)視点は「少女」を「子供」として描いてはおらず、かなりハッキリと「オッサンから見た性的な視点」を前面に出している、だからむしろエロティックな印象さえある。
(や、別にそれに文句がある訳じゃない;それはあくまで個々の作品のカラーって事だから)
10歳位といえば全般に女の子の方が大人びてる年頃で、まだ子供子供してる事の多い男の子に比べて割と体も大きくもう既に女性的な雰囲気になっている子が多いらしい。
この子役も既に「子供」というより「娘」という感じで青いライトの中で映されたヌードシーンは大層美しかったっす;
小学生だけにまだとても華奢ですんなりしているのに女性的なラインがほんのりと出来上がっている身体、成熟がまだ始まったばかりの儚く危うく不安定な年頃の身体はまるで人形師が丹精にこしらえたようなシルエットでそりゃもうカネ払ってでもいっぺん見とけって感じでした(笑)
ええ、映像は素晴らしかったです;
ただ必然性はちょっとわからんかった;彼女が隠れキリシタンの生まれ変わりっつー事らしいんだけどキリスト教の洗礼って女性が鏡の前で真っ裸になってやるとか?聞いた事は無いが、、;まぁ脚本家の趣味によるサービスシーンって事で有難く見とけばいいのかな?
ある夜突然継母の赤線時代の客が押しかけてきて「当時上げ代代わりに置いていった鏡を返してもらいに来た」と言って札束を押し付けて鏡を持ち去って行く(う~ん;娼婦を買う料金の代わりに巨大な鏡を置いてゆくっつー状況が今一わからん;あとそんな理由で手放した物をわざわざ何で必死でカネ貯めて奪い返しに来る?)
後妻がもと公娼だと知った親父は
「よぉ化けたもんやのぉ!汚らわしい!とっとと出て行けェ!!」
と寒空の中、着の身着のまま女房を叩き出す。
一方既に鏡に魅せられていた娘は鏡を奪い返そうと男を追って行き、彼を刺殺する。
そこへ出くわした継母は「全部私が引き受けるから家へ帰りなさい」と、娘を逃がす、娘はそのまま帰宅。
(この時点で男の死体は崖から落とされてそこに無かった、娘が落としたのか母が落としたのかは失念;すんません;)
ふらふら歩いてるとそこに偶然かつての恋人、仲代達矢が。
「○○さん!(役名忘れた;)また会えるなんて!もう僕は貴女を離さない!!」
と、盛り上がるも女は
「貴方とは参れません、私はひとを殺しました」
と、娘の罪をかぶってそこから去る。
、、、、そして10年たち、成長した少女がまた鏡を手に入れようとして計画的なんだか何も考えてないんだかわからん(見てて妙に腹の立つ)破綻した言動と行動で周囲に迷惑かけまくる、、ストーリーが始まる。
これ以降の話も色々癇に障る部分多いんだけれどもそれでもつい見続けてしまったのは(両親が見てたからってのもあるが)何より
「三田佳子がここまでこの娘に尽くす理由を知りたかったから」である。
だって娘は継母を自分の代わりに十年も服役させながらそれを忘れている人なのだ;
こんな娘の為に取り返しのつかない犠牲を払う理由が一体どこにある?
当時私は何とか納得してみようと色々考えた。
「母としての無償の愛」を捧げようにもまず一緒に暮らした期間は大して長くない。
ましてや後妻に入った時点で娘は思春期に入っていて継母には全く懐かず、作中では母を居ないもののように扱い口も聞かない。
「夫への愛情から?」 これもまぁ↑上を見てもらえばわかるように親父との絆も無い、この亭主は過去はどうあれ自分にも自分の娘にも心底愛情深く尽くしてくれた妻をたった今問答無用で叩き出した男でしかない。
「人生に絶望して自暴自棄になっていた?」 これも変;何しろたった今最愛の男と再会し、恋人は自分を今度こそ離さないと誓った所、目の前に希望があるのだ、ここに至って投げやりになる理由も無いだろう。
あとは最後の手段、「彼女は前世でこの娘の実母だった!」これでどうだ!何しろ前世がらみの話なんだからその位のオチもありだろう!!
、、、、結局これもハズレでした;単なるいい人だったらしい;
この脚本、イメージと萌え感情のみで突っ走ってて登場人物に全く厚みが無い。
(それでも男性はまだマトモなんだな;この人の脚本で違和感を感じるのはいつも女性キャラクター)
「心を開かず人形のように表情を変えぬ長い髪の少女萌えっ!」
「禿げたお父さんのお布団に潜り込んでる寂しげな少女のほんのりエロスいいなぁv」
「ああ、少女よ君は今何を考えているのか、この愚かなおぢさんに教えておくれ!」
、、的な少女崇拝はあくまで「脚本家のおじさん」の感情であって作中人物にとっては別だ、薄幸の継母の立場になってみい;
悲しい過去を伏せて風呂屋の後妻になるも夫の連れ子はすでに幼子ではない年齢で自分がどんなに優しく接しても完全無視するような難しい娘。
こんな態度を取られりゃどんなに出来た女性だって傷つくし嫌な気分にもなろうというもの。(少女が継母に言葉を返すシーンは見事に「一言も」ない;むかつくなぁ)
脚本書いてるおじさんがどんなにウットリと萌えようともそれは「作り手の趣味」。
心を閉ざした無口な少女に人生を犠牲にする価値を見出してるのはあくまでロリコンのおっさんの目線;
三田佳子の目線から見ればこんな娘「可愛げのない連れ子」にしか成り得ないだろうに;
無視され続けた継母にとってそんな価値があろう筈がない(叩き出された時点でもう「娘」でも無いのだから義理すら無い)
「これが薄幸の継母」ではなくまさしく脚本家の分身たる「少女好きで思考がちょっとイっちゃってるおっさん」ならキッチリ辻褄合うんだけどね、いっそそうすべきだったと思うよ;
してましたらダビングして下さい。