先日購入した明菜ちゃんの本。
まだ途中だけど、もうね、凄く興味深い。
来生さんのお話は、ライブで聴いたり、何かの記事で読んだり、大百科さんで読んだりして「あ〜それ知ってる」な事も載ってるんだけど、初めて知った事も結構書いてあった。
インタビュー形式になってるので、読んでるとついつい来生さんが実際に話してるところを思い浮かべてしまう
ここはきっと「あ〜」って感嘆の声が出ちゃったんだろうな〜とか、ここは「いや〜」って謙遜してるんだろうな〜とか、苦笑いの表情とか、懐かしんでる表情とか…。
本を読んでいるのに、来生さんの話す声が聞こえてくるし、姿が目に浮かんでくる。
この本は、明菜ちゃんの初代ディレクターである島田雄三氏が関わった85年までの作品とその背景についてが書かれているのだが、この方の存在が来生さんのその後の活動にとても大きな意味を持っていた事が分かる。
もし、明菜ちゃんが別のレコード会社からデビューしていたら、島田氏が関わっていなかったら、「スローモーション」は別の歌手が歌っていたか、もしくは生まれなかったかも知れない。
「セカンド・ラブ」が作曲大賞を受賞する事もなかったかも知れない。
そして、明菜ちゃんが来生さんの作品を歌うことも無く、もしかしたらその後の明菜伝説も生まれなかったかも知れない。
島田氏が明菜ちゃんのデビュー曲を来生さんに依頼しようと決めたきっかけは、「夜ヒット」で「夢の途中」を歌ってる来生さんを観て楽曲の素晴らしさに感動したからなんだそう。
という事は、「夢の途中」が存在してなかったら、「セーラー服と機関銃」が映画の主題歌になってなければ、明菜ちゃんのデビューは全く違う形になっていたと考えられる。
以前ライブのトークで、陽水さんとの出会いを「縁(えにし)」という言葉を使って話されていた来生さん。
ここでも「縁」があったんだなぁと。
そんな事を感慨深く考えながら、明菜ちゃんと来生さんの「スローモーション」「セカンド・ラブ」をそれぞれ繰り返して聴いていた。
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