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心に移り往く、日々の由無し言.....

不動国に生ぜん

2005-04-03 | 呟き
不動心というものの大切さ、難しさ。
これは永遠のテーマというくらい、大変なことです。

「不動国に生ぜん」はとても重要な部分ということで
以下に記すことにする。

『大般涅槃経高貴徳王菩薩品第二十二』

爾の時に無畏菩薩、六万(八万ともいう)四千の諸の菩薩等と倶に座より起ちて、
更に衣服を整え、長跪合掌して仏に白して言さく
「世尊、此の土の衆生、当に何の業を造りてか、
彼の不動世界に生ずることを得べき。
其の土の菩薩、いかんが智慧成就し、人中の象王として大威徳ありて、
つぶさに諸行を修し、利智捷疾(りちしょうしつ)にして、
聞きて則ち能く解することを得る」

爾の時に世尊、即ち偈を説きて言(のたま)わく
「衆生の命を害(そこな)わず、堅く諸の禁戒を持して仏の微妙の教を受くるは、
則ち不動国に生ぜん。

他人の財(たから)を奪わず、常に一切に施恵(ほどこ)し、
招提僧坊を造らば、則ち不動国に生ぜん、
自他の為の故に、利を求め及び恐怖せず、口を慎みて妄語せずば、
則ち不動国に生ぜん。
善知識を壊(え)すること莫(な)く、悪眷属を遠離し、
口常に和合語せば則ち不動国に生ぜん。

諸の菩薩等の如く、常に悪口を離れ、説く所人の聞かんことを願わば
則ち不動国に生ぜん。
乃至戯笑においても、非時の語を説かず、謹慎して常に時語せば、
則ち不動国に生ぜん。
他が利養を得るを見て、常に歓喜心を生じ、嫉妬の結を起さずば、
則ち不動国に生ぜん。
衆生を悩まさず、常に慈心を生じ、方便悪を生ぜずば、
則ち不動国に生ぜん。

邪見の言を、父母及び去来に施すなかれ、
是の如きの見を起さずば、則ち不動国に生ぜん。
若しくは利福を希うが為に、能く一日の中(うち)において、
是の経典を読誦せば、則ち不動国に生ぜん。
若し無上道の為に、一日一夜の中(なか)に八戒斎を受持せば、
則ち不動国に生ぜん。
犯重禁(ばんじゅうこん)と同じく、一処を共にして住せず、
方等を謗する者を呵せば、則ち不動国に生ぜん。
僧鬘物を犯さず、善く仏の財供を守り、
仏僧の地を塗掃(ずそう)せば、則ち不動国に生ぜん。
像及び仏塔を造ること、猶し大拇指の如くし常に歓喜心を生ぜば、
則ち不動国に生ぜん。
若し是の経典の為に、自身及び財宝を説法者に施(けんずれ)ば
則ち不動国に生ぜん。

若し能く、諸仏の秘密蔵を聴き、書写し、受持し及び読誦せば、
則ち不動国に生ぜん。」




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なくしたもの (ばんこ)
2005-04-03 07:05:06
日本人が無くしたものかも。



一番大事なことは、相手の言葉に耳を傾けることかな?真摯に聞かなきゃ、良い教えもコトバの塊でしかないですよね。

今、自分の言いたい事を心の中で組み立てながら相手の話を聞いている人が多い気がします。
返信する
Unknown (akira)
2005-04-06 20:03:04
こんばんは葵さん。

トラバありがとです。



世の中でおきたことは所詮ヒントにしか過ぎず答えを出すのは本人。

心という水に起きた出来事という絵の具を入れたときにどういう変化を起こすか。

他人本位に考える。

簡単なようで難しいですね。
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