「敵対国で軍を停滞させることはできないのです、ベルガリオン王殿」ブレンディグ大佐が説明した。「常に移動を続けていなければ、たちまち現地の住民に食糧を略奪されたり、夜中に寝首をかかれることにもなりかねません。そんなことをすれば、軍勢の半分を失う結果になるのです」
「カル=トラクにしても、われわれと同様ボー?ミンブルでの戦いを望んではいなかったのだ」ベルガラスはなおも続けた。「だがラク?ハッガからの援軍は山中で春の暴風雪に見舞われ、何週間も身動きがとれなくなってしまった。結局援軍はそこから退却せざるを得ず、トラクは数のうえで圧倒することもできず、そのような戦いが不利だと教える者もないままに戦わざるを得なくなったというわけだ」
「そういった場合には自分の軍勢が相手のそれより四分の一以上、数においてまさっていなければ、勝ち目があるとは言えないのです」マンドラレンが言った。
「いや、三分の一以上だな」バラクが低いがよくとおる声でつけ加えた。「もし事情が許せば半分以上まさっていることが望ましい」
「それじゃ、ぼくたちは東の大陸の半分に散らばって、あちこちで小さな戦闘を繰り返していくしかないのかい」ガリオンは信じがたい思いでたずねた。「そんなことをしたら何年、いや、何十年、ことによったら一世紀近くかかるかもしれないじゃないか」
「必要ならそうせねばならんだろう」ベルガラスがにべもない声で言った。「おまえはいったいどんなことを期待していたのだ、ガリオン。太陽の光を浴びてちょっとした遠乗りをして、いとも簡単に敵をたいらげ、冬が来る前に戻れるとでも思っていたのか。残念ながら本物の戦争は違うぞ。おまえも今から鎧と剣の生活に慣れておいた方がいい。下手すればそれをつけたまま残りの人生をずっと過ごすことになるかもしれん。いいか、これはかなり長い戦争になるんだぞ」
ガリオンはそれまでの幻想ががらがらと音をたてて崩れていくのを感じた。
そのとき、突然会議室のドアが開き、ブランドの末息子のオルバンが入ってくると、父親と何やら会話をかわした。天候は再び荒れ模様に逆戻りして、春の嵐が島じゅうを吹き荒れている最中だった。部屋に入ってきたオルバンの灰色いマントも、ぐっしょり濡れて滴をたらしていた。
これから何年も東の大陸をめぐって戦わなければならない見通しに、すっかり落胆したガリオンは、静かな声で父親と話をかわす若者の足元にできた小さな水たまりをぼんやりと眺めていた。かれはつい今までの習慣から、オルバンのマントの縁に目をあげた。若者のマントの左端は小さくちぎれ、布の一部が失われていた。
ガリオンは何とはなしに手元の証拠の布とちぎれた箇所を見較べていた。次の瞬間、かれの体は凍りついた。ガリオンは気づかれないように、そっとオルバンの顔に視線をあげた。ブランドの末息子はガリオンと同じくらいの年で、かれより背は低かったがもっとがっしりした体格をしていた。白っぽい金髪の下の若い顔は、きまじめな表情を浮かべ、すでにリヴァ人特有の謹直さを反映していた。かれはつとめてガリオンの視線を避けているようだったが、特にやましげなようすも見られなかった。だが何かの拍子でうっかり若い王を見てしまったかれの目が、かすかにたじろぐのをガリオンは見逃さなかった。ガリオンはようやくかれを殺そうとした犯人を見つけだしたのだ。
会議はなおもえんえんと続いたが、もはやガリオンの耳には何も入ってはこなかった。これからいったいどうすればいいのだろう。果たしてこれはオルバンひとりの犯行なのか、それともまだ共犯者がいるのだろうか。ブランドまでがこの陰謀に加担してるなどということはあり得るだろうか。この忠実なリヴァ人の心中をおしはかるのは困難だった。ガリオンはむろんブランドを信頼してはいたが、〈番人〉と熊神教の結びつきはその忠節にある程度影響を及ぼしているとも考えられる。この事件の背後にはグロデグがひそんでいるのだろうか。あるいはグロリムだろうか。ガリオンはアシャラクに魂を売り渡してヴァル?アローンで謀反をたくらんだジャーヴィク伯爵のことを思い出していた。オルバンもまたジャーヴィクのようにアンガラクの血の色の金貨に心を奪われてしまったのだろうか。だがこのリヴァは島国なので、およそグロリムの侵入には不向きな場所のはずである。ガリオンはなおも買収の可能性を考えてみた。だがこれはまったくリヴァ人らしくないやり方である。それにオルバンがグロリムと接触するような機会があるとも思えなかった。ガリオンは憂うつな思いで善後策を考え始めた。
まずレルドリンには絶対に伏せておかねばならない。すぐにかっとしやすいアストゥリアの若者は、こういった慎重な取り扱いを要することがらにはまったく不向きだった。レルドリンがいったん剣のつか[#「つか」に傍点]に手をかけようものなら、まっしぐらに破局へ突き進んでいくのは目に見えている。
ようやくその日の午後遅く会議が終わると、ガリオンはオルバンの姿を探した。さすがに護衛をつけることまではしなかったが、剣だけはしっかり身につけていた。
ガリオンがようやくブランドの末息子を見つけたのは、暗殺未遂が起こった場所と同じようなうす暗い廊下でのことだった。廊下を行くガリオンの反対方向からオルバンが近づいてきた。王の姿を見たオルバンはかすかに青ざめ、表情を隠すために深々と一礼した。ガリオンはうなずいたまま行き過ぎると見せかけ、すれ違いざまにくるりと振り向いた。「オルバン」かれは静かに呼びかけた。
振り返ったブランドの息子の顔には恐怖が浮かんでいた。
「きみのマントの端がやぶれているようだが」ガリオンはほとんど感情をこめずに言った。
「修理したければきっとこれが役立つと思う」そう言いながらかれは胴着の下から一片の布きれを取り出すと、まっ青な顔をしたリヴァ人の若者に手渡した。
オルバンはじっと目を見開いたまま、微動だにしなかった。
「ついでにまだ渡すものがあった」ガリオンはなおも続けた。「これも持っていくがいい。たぶんどこかで落っことしたんだろうと思うが」かれは再び胴着の下に手をいれて、今度は先の曲がった短剣を取り出した。
オルバンは激しく震え出したかと思う間もなく、がっくりとひざをついた。「陛下、お願いです」若者は嘆願した。「どうかわたしをこのまま死なせて下さい。父がこれを知ったら悲しみのあまり胸が張り裂けてしまいます」
「では聞くが、何でぼくを殺そうとしたんだ」ガリオンは詰問した。
「すべては父を愛するあまりのことです」ブランドの息子は告白した。その目には涙が浮かんでいた。「あなたが来るまでは父がリヴァの支配者でした。父はあなたの出現で退任を余儀なくされました。わたしにはそれが我慢できなかったのです。どうかお願いです、わたしを他の犯罪人のように絞首刑にするのだけはやめて下さい。その短剣を返していただければ、すぐにこの場で胸に突き立ててみせましょう。どうかこの不面目から父だすように」
「馬鹿なことを言うんじゃない」ガリオンは厳しい声で言った。「いいから早く立ち上がれ。そんなふうにひざまずいているとまるで間抜けみたいに見えるぞ」
「ですが、陛下――」オルバンが何かを言いかけた。
「頼むから黙っていてくれ」ガリオンはいらいらしながら言った。「少し考えさせてくれ」ようやくかすかに解決らしきものがほの見えてきたような気がした。
「よし」かれはやっと口を切った。「それではこうしよう。今すぐにこの短剣と布切れを持って港へ行き、ただちにその二つを海に投げ捨ててこい。それが終わったら、なにごともなかったように振る舞うんだ」
「ですが、陛下――」
「最後までよく聞くんだ。いいか、ぼくもきみももう二度とこの話はしない。きみの涙ながらの罪の告白も聞きたくはない。そして絶対に自殺することは許さない。いいな、オルバン」
若者は無言でうなずいた。
「ぼくにはきみのおとうさんの助けが何としても必要なんだ。こんなことが露見して、かれが個人的な不幸に悩むようなことがあっては絶対に困る。今回の事件はいっさいなかったことにする。これでこの件に関してはおしまいだ。さあ、これを持ってさっさと行ってくれ」そう言ってガリオンは短剣と布きれを若者の手に押しつけた。とたんにむらむらと怒りがわきあがってきた。肩ごしにびくびく視線を送った何週間かはまったくの徒労――もしくは無用の日々だったのである。「もうひとつ言っておくことがある、オルバン」かれは踵を返しかけた失意の若者に向かって言った。「これ以上ぼくに短剣を投げるのは止めてくれ。もしどうしても決着をつけたければ、ぼくに面と向かって言うがいい。どこか人目につかない場所で互いの体を切り刻むまで相手をしてやるから」
オルバンはすすり泣きながら逃げ去った。
(なかなかみごとな手際だったぞ、ベルガリオン)内なる乾いた声が称賛するように言った。
「ああ、もうやめてくれ」ガリオンは言った。