藤田玄播氏がご逝去されました。
知らせが届いたのは先週でした。ここに記載するのを躊躇していましたが、You Tubeで氏の作曲された演奏や、11月3日にお会いした時のキャンパス・フェスティバル・マーチを指揮するお姿をみて書く気持ちになりました。
玄播氏とのエピソードは沢山あるのですが、一つだけにします。
地元の中学校が分離して、新しい中学校に長女は移ることになりました。
新しい学校には校歌が制定されることは必須で、私は写真の「具申書」を作り藤田玄播氏を推薦しました。
小さな町の予算では無理との声もありましたが、予算うんぬんでなく応えてくれと信じて、学校関係者を説得しました。
作曲者として決定し玄播氏との接触が続き、FAXで連絡をとりながら『校旗・校歌制定式』になりました。
私は「校歌制作協力者」として列席し、ステージ下で中学校の吹奏楽部を指揮し、藤田玄播氏はステージ上で全校生徒に向かって指揮をして校歌披露が行われました。
斉唱から右ページ2段目で3部に分かれる部分はグッときてしまいます。
当時3年生だった長女は初代Pf伴奏を担当しました。
その後数年して長男がPf伴奏を担当しました。
我が家の子供たちは全員この校歌を歌い、中学校を卒業しました。
3枚目写真、吹奏楽編曲も快諾していただき、吹奏楽演奏用楽譜が出来上がりました。
翌年4枚目写真のお手紙をいただきました。
いろいろな事柄が思い出されます。
今年の年賀状には奥様の字で「◎◎◎中学には、玄播作曲校歌の石碑があります。今年中には自力で歩ける日を夢見て励んでおります。」とありました。 合掌
Yahooで氏のお名前で検索してみてください。
検索3ページ目で、11月3日の演奏指揮がYou Tubeで鑑賞できます。2階席からのと1階席からのがあります。「若人の心」他も鑑賞できます。