風評被害のブログ

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システムとしての社会主義

2020-10-23 03:50:07 | 日記

今まで自分は社会主義に良い点は無いと断言して来た。
しかし、民主主義に社会主義が入り込み、民主主義の良い点を阻害するが故の悪としての評価であった。

そうしているうちに民主主義国家である筈の日本の政治家が社会主義国である中国の政治家よりも劣っている事に気付いた。
つまり、政治家を通して民主主義における欠点とは何かが見えて来たと言える。

民主主義とは、「無計画な行動における失敗の記憶から学ぶ、抑制を伴う行動進化」と考えられる。
一方、社会主義とは、「計画的な見通しを持って完成を目指す、不可逆的な一過性の行動」と考えられる。
民主主義に始まりや完結は無いが社会主義には必ず始まりと完結が有る。

アシナガバチを例に上げると、女王蜂が春先に1匹で巣を作り始めて働き蜂を育て、子孫を増やしていくが、この行動は計画的であり、餌となる芋虫がいる間に完結させる(冬を越す蜂の確率を上げる)という目標を持った不可逆的な創造行為である。
こういった計画的な創造行為は社会主義的であるが、民主主義的な自由競争によって確定された進化の痕跡とも言える。

日本の政治家の現在の状況に目を転ずると、民主主義国家における社会主義的な行動を見る事ができる。
つまり、行動は社会主義の一過性の目標を持った行動なのだが、民主主義の自由行動が合わさると、無計画で有りながら、何もそこから学ばないという両方の欠点を併せ持つ事になる。

社会主義の良い点は目標を達成して完結した場合のみに見られる。
不可逆なので失敗すれば、それまでであり、何も残らない。
失敗が許されないのが社会主義であり、失敗が続けば通常は生命が危うくなるのが一般的である。

民主主義の特徴は、完全な自由競争である為に、失敗が非常に多いが、これらは織り込み済みである。
失敗が前提になっているので、必ず記憶に残る。
人であれば、記録を残して同じ失敗が繰り返されない配慮が行われる。
つまり、記憶や記録に残らない一過性の行動は失敗から何も学ばないという、失敗が繰り返し行われる破滅的な創造行為である。

民主主義と社会主義については今まで相対的な視点で見て来たが、失敗を経験として捉えない自由競争や感覚に頼った行き当たりばったりのプロジェクトの様に両方の欠点を併せ持つ事が、社会主義思想の中国よりも更に劣る存在になる事を知った。

現在の日本が破滅に向かっている原因は、正確な失敗の記録を取っていない事だ。
民主主義思想においては失敗は当たり前であり、そのデータの蓄積が長期的な目標において重要な役割を持っている。
「民主主義国家における隠ぺいや改ざんは重罪である。」
一旦、改ざんされた情報は修正不可能であり、ついては、日本が滅ぶ原因となる。