作業仮説:生命現象の実体・本体・本質はガウス平面=内超平面=霊的平面(氣平面)
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
先に以下の参照のように書いたが、どうも、四元数の空間三次元世界だけでは、生命現象の実体がイメージできないので、ガウス平面を有機現象に組み込むことにした。
つまり、有機現象(生命現象)にガウス平面を内在させてみることにした。
しかしながら、ガウス平面を超越平面=霊的平面と捉えたので、ダイレクトには組み込めない。
だから、内在超越性として、組み込むことになるのである。言い換えると、即非性として組み込むである。
わかりやすく言えば、
有機現象(生命現象)・即非・ガウス平面
、即ち、
有機現象(生命現象)=ガウス平面、且つ、有機現象(生命現象)≠ガウス平面
ということである。尚、
ガウス平面=内超(内在超越)平面=霊的平面(氣的平面)
と書き換える。また、有機現象(生命現象)は自然現象と見てもいいと思われる。(今、ふと思ったが、今日の支配的自然科学は唯物科学であるが、自然現象科学とすると、対象が、単に、外的な現象だけでなく、内的現象も入ってくるだろう。)
さて、そのようにすると、有機現象・生命現象・自然現象には、ガウス平面のもつ氣と時間の生命情報エネルギーが内在超越(内超)することになる。(ここでのポイントは、生命・即・氣、且つ、生命・非・氣という即非性である。朱子の理気論であるが、それは、理がイデアであり、氣が現象的で、物質的なものと解釈されているが、氣自体が理であり、且つ、現象・生命体的と見るべきである。氣を物質的と見るのは、混乱であると考えられる。あるいは、理気論の「理」をガウス平面、「気」を生命・即・気とすれば、それは肯定されよう。)
とまれ、以上のように、有機現象(生命・自然現象)にガウス平面を内超させると、有機現象体には、生命情報エネルギーがいわば内属していることになる。
思うに、私が森の中で、氣を感じるが、それはとても明確にしがたく感じていたが、氣が森に超越的に内属していると考えると、それは、理解されよう。そう、氣は存在すると同時に、なにかあやふや、曖昧なもので、不在のように思えるものである。そう、在ると同時に無いというような、正に、即非的な「現象」(外的且つ内的現象)である。
では、問題は、有機体と氣(時間の問題は今は切り離す)の関係である。つまり、有機体的物質と氣の関係である。
直観では、氣による物質構成体が有機体である。
そう、有機体自体は、生命体ではないものも当然であるので、氣による物質構成体としての有機体ないし有機体的物質は、氣の情報によって構成された物質体ということになるのではないだろうか。
氣のエネルギー体が内属されていれば、それは、生命体であるが、氣の情報が内属する場合は有機体と思えるのである。
そう、ガウス平面は時間を含むもので、その時間が氣の情報をエネルギーにしていると考えると、その時間成分の帰結した現象が有機体ではないだろうか。
つまり、陰陽方程式、陰凹i*陽凸i⇒±1において、±1の部分が有機体ではないだろうか。生命エネルギーは⇒であり、生命体は⇒±1であろう。
では、そうすると、純粋物質とはどうなるだろうか。
±1が有機体とするなら、それは、氣の情報によって構成された物質体であり、当然、物質は含むが純粋物質自体ではない。
ここで、袋小路的になっているが、今作業仮説として、氣の情報を陰陽の複合性とすると、
陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n
という陰陽複合を考える。すると、
陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n⇒±1
となる。そして、陰陽kを構成要素単位(構成元素)で分解すると、
陰陽1,陰陽2,陰陽3,・・・、陰陽nとなる。
そして、それぞれ、陰陽1⇒±1、陰陽2⇒±1、・・・陰陽n⇒±1である。
そして、陰陽kがいわゆる、原子になるのではないだろうか。
つまり、物質、純粋物質とは、陰陽kではないのか。
勿論、この場合、内在超越における超越ではなく、内在・内属としての陰陽kである。
つまり、陰陽構成要素の内在・内属体が純粋物質となる。
以上はまったくの作業仮説ないし怪しい思いつきである。
追記:明快に言えば、氣の情報として、陰陽根源要素、あるいは、陰陽元素を考えるのである。つまり、
陰陽元素⇒±1
即ち、
陰元素凹i*陽元素凸i⇒±1
となる。これが、純粋物質方程式ではないだろうか。
参照:
生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間
一言。
先の予見【検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html】から、ガウス平面はいわば、超越平面となる。霊的平面とも言えよう。
しかし、実軸が時間軸であり、これが、超越界と現象界の境界になるようだ。(MPとは別に。)
そして、ガウス平面を超越するように現象三次元空間が出現する。それは、螺旋的現象をもつ。
そう、空間が三次元で視覚的に捉えられるのに、時間が不可視なのは、時間が超越平面であるガウス平面の実軸に存するからではないだろうか。
とまれ、以上はまだ作業仮説である。
次に、そのように出現する現象は、有機的現象と考えるのである。物質自体ではないのである。
超越平面・霊的平面であるガウス平面を超越するように出現する三次元有機的現象(あるいは生命現象)であるが、それは、虚軸の陰陽氣と実軸の時間を背景にもつが、
有機現象とは数学力学的にはどう表現されるだろうか。
四元数(しげんすう)を使えば、3つの虚数i、j、kによって記述されようが、しかし、ガウス平面的ベースはもつのである。
だから、ガウス平面の虚数と四元数の虚数は区別しないといけない。前者を大虚数、後者を小虚数でもしよう。とまれ、前者は凸iと凹iであり、後者はi、j、kである。
有機現象とは、不可視の超越平面=霊的平面であるガウス平面を内在超越的にもつ三次元空間現象である。
では、それと純粋物質とどう違うのか。
これは、もう明瞭と思われる。即ち、基盤のガウス平面のエネルギーが衰滅したときの残骸の現象三次元体が物質(体)である。
つまり、ガウス平面=超越平面=霊的平面が生命エネルギーであることになる。また、生命情報(生命イデア)ももっていることになる。
生命情報エネルギー体としてのガウス平面=超越平面=霊的平面ということになる。
今はここで留める。
追記:純粋物質世界とは、ガウス平面の生命情報エネルギー世界が消失した四元数の世界自体ではないだろうか。
これは、恐ろしい世界である。死の世界である。機械の世界である。そう、シュタイナー的に言えば、アーリマンの世界である。
唯物論の世界である。四元数の世界はどうもメカニズムだけの恐ろしい世界のような感じがする。
参考:
四元数 - Wikipedia
四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = -k, ij = -ji
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11796857549.html
テーマ:無双(太極)PS陰陽論:無双は陰陽未分化
先に以下の参照のように書いたが、どうも、四元数の空間三次元世界だけでは、生命現象の実体がイメージできないので、ガウス平面を有機現象に組み込むことにした。
つまり、有機現象(生命現象)にガウス平面を内在させてみることにした。
しかしながら、ガウス平面を超越平面=霊的平面と捉えたので、ダイレクトには組み込めない。
だから、内在超越性として、組み込むことになるのである。言い換えると、即非性として組み込むである。
わかりやすく言えば、
有機現象(生命現象)・即非・ガウス平面
、即ち、
有機現象(生命現象)=ガウス平面、且つ、有機現象(生命現象)≠ガウス平面
ということである。尚、
ガウス平面=内超(内在超越)平面=霊的平面(氣的平面)
と書き換える。また、有機現象(生命現象)は自然現象と見てもいいと思われる。(今、ふと思ったが、今日の支配的自然科学は唯物科学であるが、自然現象科学とすると、対象が、単に、外的な現象だけでなく、内的現象も入ってくるだろう。)
さて、そのようにすると、有機現象・生命現象・自然現象には、ガウス平面のもつ氣と時間の生命情報エネルギーが内在超越(内超)することになる。(ここでのポイントは、生命・即・氣、且つ、生命・非・氣という即非性である。朱子の理気論であるが、それは、理がイデアであり、氣が現象的で、物質的なものと解釈されているが、氣自体が理であり、且つ、現象・生命体的と見るべきである。氣を物質的と見るのは、混乱であると考えられる。あるいは、理気論の「理」をガウス平面、「気」を生命・即・気とすれば、それは肯定されよう。)
とまれ、以上のように、有機現象(生命・自然現象)にガウス平面を内超させると、有機現象体には、生命情報エネルギーがいわば内属していることになる。
思うに、私が森の中で、氣を感じるが、それはとても明確にしがたく感じていたが、氣が森に超越的に内属していると考えると、それは、理解されよう。そう、氣は存在すると同時に、なにかあやふや、曖昧なもので、不在のように思えるものである。そう、在ると同時に無いというような、正に、即非的な「現象」(外的且つ内的現象)である。
では、問題は、有機体と氣(時間の問題は今は切り離す)の関係である。つまり、有機体的物質と氣の関係である。
直観では、氣による物質構成体が有機体である。
そう、有機体自体は、生命体ではないものも当然であるので、氣による物質構成体としての有機体ないし有機体的物質は、氣の情報によって構成された物質体ということになるのではないだろうか。
氣のエネルギー体が内属されていれば、それは、生命体であるが、氣の情報が内属する場合は有機体と思えるのである。
そう、ガウス平面は時間を含むもので、その時間が氣の情報をエネルギーにしていると考えると、その時間成分の帰結した現象が有機体ではないだろうか。
つまり、陰陽方程式、陰凹i*陽凸i⇒±1において、±1の部分が有機体ではないだろうか。生命エネルギーは⇒であり、生命体は⇒±1であろう。
では、そうすると、純粋物質とはどうなるだろうか。
±1が有機体とするなら、それは、氣の情報によって構成された物質体であり、当然、物質は含むが純粋物質自体ではない。
ここで、袋小路的になっているが、今作業仮説として、氣の情報を陰陽の複合性とすると、
陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n
という陰陽複合を考える。すると、
陰陽1ー陰陽2ー陰陽3ー・・・ー陰陽n⇒±1
となる。そして、陰陽kを構成要素単位(構成元素)で分解すると、
陰陽1,陰陽2,陰陽3,・・・、陰陽nとなる。
そして、それぞれ、陰陽1⇒±1、陰陽2⇒±1、・・・陰陽n⇒±1である。
そして、陰陽kがいわゆる、原子になるのではないだろうか。
つまり、物質、純粋物質とは、陰陽kではないのか。
勿論、この場合、内在超越における超越ではなく、内在・内属としての陰陽kである。
つまり、陰陽構成要素の内在・内属体が純粋物質となる。
以上はまったくの作業仮説ないし怪しい思いつきである。
追記:明快に言えば、氣の情報として、陰陽根源要素、あるいは、陰陽元素を考えるのである。つまり、
陰陽元素⇒±1
即ち、
陰元素凹i*陽元素凸i⇒±1
となる。これが、純粋物質方程式ではないだろうか。
参照:
生命現象体と物質:ガウス平面と空間三次元と時間
一言。
先の予見【検討問題:1)MP(Media Point)の構造問題、2)氣から身体への次元変換の様態力学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11794887872.html】から、ガウス平面はいわば、超越平面となる。霊的平面とも言えよう。
しかし、実軸が時間軸であり、これが、超越界と現象界の境界になるようだ。(MPとは別に。)
そして、ガウス平面を超越するように現象三次元空間が出現する。それは、螺旋的現象をもつ。
そう、空間が三次元で視覚的に捉えられるのに、時間が不可視なのは、時間が超越平面であるガウス平面の実軸に存するからではないだろうか。
とまれ、以上はまだ作業仮説である。
次に、そのように出現する現象は、有機的現象と考えるのである。物質自体ではないのである。
超越平面・霊的平面であるガウス平面を超越するように出現する三次元有機的現象(あるいは生命現象)であるが、それは、虚軸の陰陽氣と実軸の時間を背景にもつが、
有機現象とは数学力学的にはどう表現されるだろうか。
四元数(しげんすう)を使えば、3つの虚数i、j、kによって記述されようが、しかし、ガウス平面的ベースはもつのである。
だから、ガウス平面の虚数と四元数の虚数は区別しないといけない。前者を大虚数、後者を小虚数でもしよう。とまれ、前者は凸iと凹iであり、後者はi、j、kである。
有機現象とは、不可視の超越平面=霊的平面であるガウス平面を内在超越的にもつ三次元空間現象である。
では、それと純粋物質とどう違うのか。
これは、もう明瞭と思われる。即ち、基盤のガウス平面のエネルギーが衰滅したときの残骸の現象三次元体が物質(体)である。
つまり、ガウス平面=超越平面=霊的平面が生命エネルギーであることになる。また、生命情報(生命イデア)ももっていることになる。
生命情報エネルギー体としてのガウス平面=超越平面=霊的平面ということになる。
今はここで留める。
追記:純粋物質世界とは、ガウス平面の生命情報エネルギー世界が消失した四元数の世界自体ではないだろうか。
これは、恐ろしい世界である。死の世界である。機械の世界である。そう、シュタイナー的に言えば、アーリマンの世界である。
唯物論の世界である。四元数の世界はどうもメカニズムだけの恐ろしい世界のような感じがする。
参考:
四元数 - Wikipedia
四元数数の単位の積を四次元空間の 90°-回転として視覚的に表現したもの。ij = k, ji = -k, ij = -ji
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11796857549.html
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