☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
人間は生きるために食ふのぢゃなくて
食ふために生きてゐるのだとしか思へない。
『山頭火 日記(一)』山頭火文庫5(1989)春陽堂より
「美味しいものを食べるのが生き甲斐」という人がいるかもしれませんが、健康を維持するために身体にいいとされるものを食べるという食生活を送っている人もいると思います。どちらかというと、私は後者です。
少々、胃腸虚弱のきらいがあり、脂っこいものや味の濃いものを食べるとお腹を壊してしまいますし、ちょっと無理をして沢山食べたりするとお腹が痛くなって、動けなくなることも珍しくありません。
私の場合は消化に良いものを少量ずつ摂るという食事が合っているのだと思います。
まさしく、「生きるために食ふ」のです。
しかし、家族や友人の場合、私のように胃腸を気遣うことなく、食べたいものを食べたいだけ食べているように見えます。
それが、私には「食ふために生きてゐる」のではないかと思える時もあり、少なからず羨ましいと思ってしまいます。
もちろん、私だって人気のラーメンや焼き肉を食べたいという欲求はあります。
決して嫌いではありません。むしろ好きなのですが、お店の料理のサイズは私には多すぎるのです。
一口二口ならば、美味しさを堪能できて幸せですが、全部を食べきるとその後の腹痛に苦しむことになるので、私は外食が苦手です。
お店で提供される料理を食べ残すことに抵抗のない人もいるかもしれません。
個人的には、私の食べ残したお皿を見たお店の人の反応が気になりますし、量を少なめにして下さいとお願いするのも気が引けます。
結局、こんなふうにいろいろ悩むくらいなら、家で自分で作った方がストレスがなくて良いという結論に落ち着くのです。
新型コロナウイルスの流行で、外食店でもテイクアウトが利用しやすくなったので、この点は嬉しく思っています。
食べたい物を買って来て、何回かに分けて食べることもできますし、私が食べきれない分は家族が食べてくれたりもします。
ウイルス感染が問題になる前は、家族や友人たちから外食に誘われる機会が今より頻繁でした。
その度に、私は自分の胃腸の状態と相談しなければならず、調子が悪い時は残念ながら誘いを断らざるを得ないことがありました。
そのことについて、何かを言われることはないのですが、世間的には「人付き合いが悪い」とか「外食ではお金を使いたくないケチな人」というイメージを持たれがちなのだろうと、勝手に落ち込んでしまうのです。(特に気にすることはないのでしょうけど、、、)
食事を「たかが食」と片付ける人もいれば、人生をかけて食の追求をする人もいます。
人と食との関わりは様々ですが、一つ言えることは「人は食べなければ生きていけない」ということです。
食べるということは生きるということに直結している。そんな印象を受けた山頭火の言葉です。
ヒトコトリのコトノハ vol.10
=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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人間は生きるために食ふのぢゃなくて
食ふために生きてゐるのだとしか思へない。
『山頭火 日記(一)』山頭火文庫5(1989)春陽堂より
「美味しいものを食べるのが生き甲斐」という人がいるかもしれませんが、健康を維持するために身体にいいとされるものを食べるという食生活を送っている人もいると思います。どちらかというと、私は後者です。
少々、胃腸虚弱のきらいがあり、脂っこいものや味の濃いものを食べるとお腹を壊してしまいますし、ちょっと無理をして沢山食べたりするとお腹が痛くなって、動けなくなることも珍しくありません。
私の場合は消化に良いものを少量ずつ摂るという食事が合っているのだと思います。
まさしく、「生きるために食ふ」のです。
しかし、家族や友人の場合、私のように胃腸を気遣うことなく、食べたいものを食べたいだけ食べているように見えます。
それが、私には「食ふために生きてゐる」のではないかと思える時もあり、少なからず羨ましいと思ってしまいます。
もちろん、私だって人気のラーメンや焼き肉を食べたいという欲求はあります。
決して嫌いではありません。むしろ好きなのですが、お店の料理のサイズは私には多すぎるのです。
一口二口ならば、美味しさを堪能できて幸せですが、全部を食べきるとその後の腹痛に苦しむことになるので、私は外食が苦手です。
お店で提供される料理を食べ残すことに抵抗のない人もいるかもしれません。
個人的には、私の食べ残したお皿を見たお店の人の反応が気になりますし、量を少なめにして下さいとお願いするのも気が引けます。
結局、こんなふうにいろいろ悩むくらいなら、家で自分で作った方がストレスがなくて良いという結論に落ち着くのです。
新型コロナウイルスの流行で、外食店でもテイクアウトが利用しやすくなったので、この点は嬉しく思っています。
食べたい物を買って来て、何回かに分けて食べることもできますし、私が食べきれない分は家族が食べてくれたりもします。
ウイルス感染が問題になる前は、家族や友人たちから外食に誘われる機会が今より頻繁でした。
その度に、私は自分の胃腸の状態と相談しなければならず、調子が悪い時は残念ながら誘いを断らざるを得ないことがありました。
そのことについて、何かを言われることはないのですが、世間的には「人付き合いが悪い」とか「外食ではお金を使いたくないケチな人」というイメージを持たれがちなのだろうと、勝手に落ち込んでしまうのです。(特に気にすることはないのでしょうけど、、、)
食事を「たかが食」と片付ける人もいれば、人生をかけて食の追求をする人もいます。
人と食との関わりは様々ですが、一つ言えることは「人は食べなければ生きていけない」ということです。
食べるということは生きるということに直結している。そんな印象を受けた山頭火の言葉です。
ヒトコトリのコトノハ vol.10
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