妻がいて孤独

基本的にふざけろ

渥美清

2007-02-28 22:46:52 | Weblog
 故・渥美清が好きで、TVで寅さんをやっていると、ついつい最後まで見てしまう。
 
 以前学校の課題で、宮本武蔵のキャラクターを借り戯作調にして提出したのだが、その時ぼくの武蔵は、巌流島へ行くの船の中で、まずこう呟く。
「やりたくねえなあ」
 ぼくは普段から(一人のときは特に)ボヤーッとしていて、まあそうすることを心掛けているわけではないが、そういう状態でいられるほうが世のため人のため自分のため、いいんじゃねえかなあとは思っている。
「やりたくねえなあ」が、実は渥美清のせりふだったと気付いたのは、そうしてボヤーッとしていた時だった。
 あ、あれ渥美清だったんだ。
 早稲田の現場の帰り道、駅までの道をトボトボ歩きながら、急に思い出した。

 亡くなってから一、二年経って、伝記のようなものを読んだ。
 タイトルも忘れたが、故人に昔から因縁の浅からぬ人物の著書だった。
 その中で、もう何十何作目かも憶えていないが、まさに映画の撮影の前に、この日本でもっとも有名な、浅草のコメディアン出身の役者は腹からしぼり出すように言うのである。
「ああ、やりたくねえなあ」

 手元にその本が無いし、記憶の中でニュアンスが違がってしまっている可能性も大きい。
 ただ、一人の男が仕事を前にして、
「やりたくねえなあ」
 と独語するという図が、ものすごく胸に響いた。そう言えば、影響されやすいタチのぼくは、読了してしばらくは、よく現場でこの言葉を心の中で言っていた気がする。
 面白い顔で、無類に細かい芸で一つの典型を演じ切った役者の、やりたくねえなあ、というため息は、一度そばで聞いてみたかった。
 男女とも、アメリカ流の上昇志向が本流となりつつある昨今、こういう部分をお分かりになる人は、少ないかも知れない。



 
  
 



 

渥美清

2007-02-28 22:43:44 | Weblog
 故・渥美清が好きで、TVで寅さんをやっていると、ついつい最後まで見てしまう。
 
 以前学校の課題で、宮本武蔵のキャラクターを借り戯作調にして提出したのだが、その時ぼくの武蔵は、巌流島へ行くの船の中で、まずこう呟く。
「やりたくねえなあ」
 ぼくは普段から(一人のときは特に)ボヤーッとしていて、まあそうすることを心掛けているわけではないが、そういう状態でいられるほうが世のため人のため自分のため、いいんじゃねえかなあとは思っている。
「やりたくねえなあ」が、実は渥美清のせりふだったと気付いたのは、そうしてボヤーッとしていた時だった。
 あ、あれ渥美清だったんだ。
 早稲田の現場の帰り道、駅までの道をトボトボ歩きながら、急に思い出した。
 亡くなってから一、二年経って、伝記のようなものを読んだ。
 タイトルは忘れたが、故人に昔から因縁の浅からぬ人物の著書だった。
 その中で、もう何十何作目かも憶えていないが、まさに映画の撮影の前に、この日本でもっとも有名な、浅草のコメディアン出身の役者は腹からしぼり出すように言うのである。
「ああ、やりたくねえなあ」

 手元にその本が無いし、記憶の中でニュアンスが違がってしまっている可能性も大きい。
 ただ、一人の男が仕事を前にして、
「やりたくねえなあ」
 と独語するという図が、ものすごく胸に響いた。そう言えば、影響されやすいタチのぼくは、読了してしばらくは、よく現場でこの言葉を心の中で言っていた気がする。
 面白い顔で、無類に細かい芸で一つの典型を演じ切った役者の、やりたくねえなあ、というため息は、一度そばで聞いてみたかった。
 男女とも、アメリカ流の上昇志向が本流となりつつある昨今、こういう部分をお分かりになる人は、少ないかも知れない。



 
  
 



 

水木しげる

2007-02-27 20:24:05 | Weblog
 先日近所を歩いていたら、水木しげる氏を見かけた。
 白昼、四十半ばくらいの女性が、ねずみ男の人形を持って血相変えて走っていて、何じゃいな、と思ったら、高齢の男に追い付いて、サインをねだっている。
 男には、片腕が無かった。
 で、合点がいった。
 水木氏がかなり近くに住んでいるんだろうことは分かっていたが、ちゃんと見たのは初めてである。サインを貰って喜んでいた女性も近所に住んでいて、機会をずっと伺っていたのだろう。
 数メートル先での出来事で、水木氏は「ずっとファンで、これは鳥取まで行って買ったもので」などと早口でまくしたてる女性にこれといった言葉も返さず、淡々とサインをして去って行った。
 
 ちくま文庫の「ねぼけ人生」という著書を読んで以来、ぼくも氏の大ファンである。
 少年時代の詳細な記述。これが強烈で、内容は氏を含む町内外のガキ大将同士の戦史なのであるが、おおげさに言えば一大叙事詩といった趣きになっている。
 そして本物の戦争に駆り出され、南方で現地人と仲良くなるくだり。
 まったく、そんな頓珍漢な野郎がいるのだろうか。
 戦後の貸本屋時代の、苦難に満ちた思い出(仲間では餓死者がいたそうだ)。
 妖怪の話に満ちた「のんのんばあとオレ」のほうが有名らしいが、ぼくは断然コッチである。
 
「自分の人生に、あんまり期待していなかったから生きて来れた」
 みたいなことを書いていたような気がする。 
 男らしいなアと思う。
 

 

いつもここから

2007-02-26 23:24:07 | Weblog
 芸風はさておき、現今のコメディアンでは出色のコンビ名だと思った。
 いつもここから。
 芸能界においては、さすがに詩情が濃すぎるきらいがあるのが諸刃の剣で、めくるめくような大成は願うでもないだろうが、いつまでも頑張って欲しいコンビである。
 そのデンで行くと、スキマスイッチというバンド名にも感心した。
 スキマスイッチ。
 いいとこ付いてる、と思う(曲は知らんけど)。
 ぼくもスキマにスイッチあるぞ、と思った(曲は知らんが)。
 ネーミングのセンス、というのはパフォーマーにおいて、その活動の半分近くを占める重みがあると思う。受け手もソフィスティケートされている当今、着眼点と主張したいことは同義だろう。

 胸の痛み倶楽部、はまあまあだが、いまぼくは、もう一つ新しい会を作ろうとしている。
「日雇い人夫商業組合」がそれだ。
 仲の良い若者を巻き込もうと思っている。
 まあだからといって、何をするわけでもないけれど。

太田光

2007-02-23 23:18:13 | Weblog
 爆笑問題の太田光氏は好きなタレントである。
 見ると大抵スーツを着ているというのも好ましいし、何より大阪弁を使わないのがいい。
 TVに出てくる芸人さんというのは、眺めていると何やら競輪を連想させる位置取りのレースがあって、好きな人はそういう人間くさい部分を楽しんでいるんだろうなあと思うのだけれど、そういう世界と別のコースを走っているらしいのがまたよろしい。
 討論番組みたいなのをやっているのを見て、それは多分に政治的なテーマを論じる番組であったのだが、その画面の中で熱弁を振るったり、不貞腐れたりする太田氏の顔は、それはそれは痛ましいものであった。
 ぼくはセクシーな男が好きである。
 負ける勝負に挑む男の姿に、無類のセクシーさを感じる。
 その勝負も、出来れば華々しいものでない方が好ましい。
 無駄と知りつつ、素足でつかつか歩く程度のものがいい。
 山男はあまり好まない。
 TVで見た太田氏は、とってもセクシーだった。
 自分の言わんとしていることが、理屈ではとうてい適わないのが分かっている言っている。
 理想論、というのとも違う。
 日本の国防について、憲法九条遵守の立場に立ち、「次に戦争を起こしたら、人類がみんな確実に死ぬというよう状況を作れば戦争は起らないだろう」みたいな主旨のことを言っていた気がするが、発想の源は痛みであり、つまりなかなか伝わらないことである。
 ところで、ぼくはこの番組を途中から見て、「胸が痛たくなる注射、または薬」を夢想した。
 太田氏に反論するみんなは、ただ理屈を通そうとすることに懸命になるばかりだから。
 それで思ったんだ。
 先進国の政治指導者たちが、こぞって同じ痛みに苦しめられたなら、戦争なんて起らない。
 ちくしょう。
 ぼくの胸はいつも痛てえ。 

甲本ヒロト

2007-02-20 00:05:51 | Weblog
 ちょっとコムズカシイ言い方になるが、ヒロト氏の歌詞は技術的にすごいと思う。
 まああんまり、音楽詳しいほうではないので、他のミュージシャンのことはよく知らないんですが。
 ハイロウズなんか聴いてても、歌詞を書いているのがヒロト氏なのかマサシ氏なのか、数フレーズ聞けば一発で分かりますよね。あれ、何でしょう。
 ちょっと悪口みたいになってしまうが(そんなつもりはないけれど)、マサシ氏は文学趣味の匂いがする。
 ヒロト氏のは、その比較でゆけば、あれはまんま文学だ(むろん文学ではないけれど)。

 好きな人は誰でも思うと思うのだが、ヒロト氏はまず感性がすばらしい。その上で、言葉選びのセンスがいい(ぼくに言わせればもっと単純に、「言葉使いが正確」。これは人間性が深いというのと同じ)。
 という前置きの上で、技術的に素晴らしいと思うのだが、あれは「飛躍の技術」とでもいうのか、曲の展開部で、それまでの歌詞の流れから、ガラっと飛躍するんですよね。まるで百面相みたいに。ベターっと来ない。素晴らしいレトリック。あれが曲に強烈なパワーを産む。

 別の機会に、例を挙げて書きたいと思います。

星印

2007-02-19 21:39:02 | Weblog
 環七を走っていたら、右から八トンくらいのトラックが車線変更して来た。
 古ぼけたコンテナ車で、そいつはしばらくすると、さらに左車線に移動した。
 で、豊玉のあたりで左折して、すぐに視界からは消えた。

 罪だよなあ、と思う。
 その車は、コンテナ部分上方に、シールが三枚貼ってあったんだ。
 それが、三つとも星型なんだぜ。
 星のマークのシールなんだ。
 それぞれ色が違ってね、垢抜けない深緑、すすけた明るいキイロ、赤、としか言えない無個性極まる汚れた赤。
 目の前を走っているわずかの間に、ぼくはすっかり悲しくなってしまった。
 今でも悲しい。

 星のマークで元気だそうと思ったのかなあ。
 いつの時代のセンスよって話だよなあ。
 色も取り揃えて、原色三つも使えば、楽しくなると張り切っちゃったのかしら。
 逆効果なんですけど。
 世界は悲しみに満ちている。



 

もののあはれ

2007-02-19 00:40:55 | Weblog
 日雇い人夫も、雨の日に駆り出されちゃあラクじゃない。
 買ったばかりのレイン・ウェアの、足が破けてしまって、それも残念だ。

 アルバイト青年二人と、雨の中、つるはしで土を掘ったり、モッコで担いで運んだり。
 一人はずいぶん前からの顔馴染みで、朝礼会場でぼくを見つけると、顔をほころばせ寄って来た。歳は知らないがミュージシャン志望の、線の細い若者である。
 もう一人は檻に入れられたばかりの獣のように、表情を固くし彼の後ろに隠れている。
 午前中はひどく降り、アルバイト青年たちは全身濡れネズミになり、ようやく言うことを聞いてコンビニエンス・ストアに簡易なカッパを買いに行く。着替えも無いのに、濡れるだけ濡れてからカッパを買いに行く、その若い野郎の感覚が懐かしい。
 獣のほうは、あとで聞いたら二十一だという。
 作業の指示を出すと、急にはきはきとして来て、礼儀正しい。
 そうなんだよなあ。
 こういう野郎、たくさんいるよなあ。
 そう思う。
 陰でさぼって、要領よく給金だけ貰おうというような、小賢しい若者はこの世界、案外少ない。 
 ただそれは、真面目、というのとはちょっと違う。
 単純作業で、息を付いているんだ。
 生きて行く以上、凡人ならみんな下らない世間と交渉を持たざるを得ないし、はっきりした夢がある場合もたくさんあるが、それも無い野郎どもにとって、肉体労働というのが実はうってつけの思考停止になることもある。
 
 正午ちかくには雨も小降りになった。
 その時間には仕事も片づいた。
 まっすぐ帰ろうと思ったが、顔馴染みの方に、昼飯に誘われた。
 五百五十円で、ゴハンお代わり自由の定食屋が、近くにあるんです。
 一緒に行きましょう、と。
 ぼくはこいつらの仲間なんだな、と思う。
 
 あ。
 と奴。
 カッパ買っちゃったから、と財布をのぞき、でもやっぱり、定食、食えないや。
 獣も連れて、汚い居酒屋のお盆に供される、その定食をおごる。
 ポケットの中に入っていたちょうど二枚あった千円札は、勘定の時に出すと、やっぱりぐっしょり濡れていた。

 胸の痛み、ということについて日々考えているのだが、あれは実は、近世日本で(日本人の美意識として)ほぼ定説となった感のある、もののあはれ、と同義ではないかと気が付いた。
 そう思うと、何だか決められていたレールに乗せられたようで、やっぱり面白くない。
 ただ、そのデンで行くと、おおもとである中世貴族たちも、人生にまつわる「悲しい気持ち」を、これこそ人生の醍醐味と捉え、愉しみ、涙を流しながら実はナルチズムに浸り、むさぼり、鑑賞し、弄び、レコードが擦り切れるまで繰り返しくりかえし聴き、嘆じ、個である自己を普遍化し、そこでようやく安心してそれを舐め、吸い、咀嚼し嚥下し、すなわち味わい尽くし、ロジックでなく感覚で彼我を超越し、ヨロコンデいていたということになる。 

 もののあはれ、という言葉をにきびだらけの中学生日記ぶりに思い出したついでに、をかし、についても考えた。
 どっちも結局、ぼくの感性の根幹をなしているように思えてしまう。
 つまりあはれもをかしも、一緒だ。
 悔しいことにその思考を継いで行くと、古今東西、たいていのぼくの好きなものは、あはれとをかし、またはそれらの同居、と説明がついてしまう気になってしまうから不思議だ。
 TVなんか見てて、そこに出てくるあまり売れていない芸人さんたちも、それをやっている人が多い気がやっぱりしてしまう。

 技術が飛び抜けた画家だけは、そうじゃないな。
 本物の絵描きは大工と同じで、感傷とべつの部分で勝負している。
  
 関係ないけど、アパートの近所に飛行場(調布飛行場)があることが、最近急に気になり始めた。
 それに乗れば、飛行場までの徒歩も含めて四、五十分で島に行けるんだよなあ。
 島、いいよなあ。
 島に行きたい。
 たまにはすっかり、解放されたいよね。 

もののあはれ

2007-02-19 00:36:48 | Weblog
 日雇い人夫も、雨の日に駆り出されちゃあラクじゃない。
 買ったばかりのレイン・ウェアの、足が破けてしまって、それも残念だ。

 アルバイト青年二人と、雨の中、つるはしで土を掘ったり、モッコで担いで運んだり。
 一人はずいぶん前からの顔馴染みで、朝礼会場でぼくを見つけると、顔をほころばせ寄って来た。歳は知らないがミュージシャン志望の、線の細い若者である。
 もう一人は檻に入れられたばかりの獣のように、表情を固くし彼の後ろに隠れている。
 午前中はひどく降り、アルバイト青年たちは全身濡れネズミになり、ようやく言うことを聞いてコンビニエンス・ストアに簡易なカッパを買いに行く。着替えも無いのに、濡れるだけ濡れてからカッパを買いに行く、その若い野郎の感覚が懐かしい。
 獣のほうは、あとで聞いたら二十一だという。
 作業の指示を出すと、急にはきはきとして来て、礼儀正しい。
 そうなんだよなあ。
 こういう野郎、たくさんいるよなあ。
 そう思う。
 陰でさぼって、要領よく給金だけ貰おうというような、小賢しい若者はこの世界、案外少ない。 
 ただそれは、真面目、というのとはちょっと違う。
 単純作業で、息を付いているんだ。
 生きて行く以上、凡人ならみんな下らない世間と交渉を持たざるを得ないし、はっきりした夢がある場合もたくさんあるが、それも無い野郎どもにとって、肉体労働というのが実はうってつけの思考停止になることもある。
 
 正午ちかくには雨も小降りになった。
 その時間には仕事も片づいた。
 まっすぐ帰ろうと思ったが、顔馴染みの方に、昼飯に誘われた。
 五百五十円で、ゴハンお代わり自由の定食屋が、近くにあるんです。
 一緒に行きましょう、と。
 ぼくはこいつらの仲間なんだな、と思う。
 
 あ。
 と奴。
 カッパ買っちゃったから、と財布をのぞき、でもやっぱり、定食、食えないや。
 獣も連れて、汚い居酒屋の定食をおごる。
 ポケットの中に入っていたちょうど二枚あった千円札は、勘定の時に出すと、やっぱりぐっしょり濡れていた。

 胸の痛み、ということについて日々考えているのだが、あれは実は、近世日本で(日本人の美意識として)ほぼ定説となった感のある、もののあはれ、と同義ではないかと気が付いた。
 そう思うと、何だか決められていたレールに乗せられたようで、やっぱり面白くない。
 ただ、そのデンで行くと、おおもとである中世貴族たちも、人生にまつわる「悲しい気持ち」を、これこそ人生の醍醐味と捉え、愉しみ、涙を流しながら実はナルチズムに浸り、むさぼり、鑑賞し、弄び、レコードが擦り切れるまで繰り返しくりかえし聴き、嘆じ、個である自己を普遍化し、そこでようやく安心してそれを舐め、吸い、咀嚼し嚥下し、すなわち味わい尽くし、ロジックでなく感覚で彼我を超越し、ヨロコンデいていたということになる。 

 もののあはれ、という言葉をにきびだらけの中学生日記ぶりに思い出したついでに、をかし、についても考えた。
 どっちも結局、ぼくの感性の根幹をなしているように思えてしまう。
 つまりあはれもをかしも、一緒だ。
 悔しいことにその思考を継いで行くと、古今東西、たいていのぼくの好きなものは、あはれとをかし、またはそれらの同居、と説明がついてしまう気になってしまうから不思議だ。
 TVなんか見てて、そこに出てくるあまり売れていない芸人さんたちも、それをやっている人が多い気がやっぱりしてしまう。

 技術が飛び抜けた画家だけは、そうじゃないな。
 本物の絵描きは大工と同じで、感傷とべつの部分で勝負している。
  
 関係ないけど、アパートの近所に飛行場(調布飛行場)があることが、最近急に気になり始めた。
 それに乗れば、飛行場までの徒歩も含めて四、五十分で島に行けるんだよなあ。
 島、いいよなあ。
 島に行きたい。
 たまにはすっかり、解放されたいよね。 

わたしのエネミー

2007-02-13 23:22:12 | Weblog
 朝、駅の駐輪場で、自転車を整理する係のおっさんに、挨拶したら無視された。
 そもそもぼくは、以前からこのおっさんに根深い反感を持っており、挨拶なんてあまりしないのである。理由の一つとして、少いだろうが給金を貰っているはずなのに、雨の日に限ってゼッタイと言っていいほど居ないこと。その二として、自転車整理上の都合を優先するあまり、自転車があらぬ方面に寄せられていたりして、帰りに自分の自転車を探すのに思わぬ骨を折らされること。
 その三は、やや酷な話で、正直あんまり書きたくないのだが、それはぼく自身性格の悪さというか狭量さを自覚せずにはいられないという理由からなのだが、いい歳をして、自転車整理係というハシにもボウにも掛からぬ職業を選んでしまっている彼の処世上の要領の無さへの嫌悪。もっともこれは、明日は我が身的なやりきれなさが伴っているが。
 その四は、彼の風貌。ちんちくりんで、地味なジャンパー、白髪アタマ。
 まあざっと、そんな理由でぼくは彼に挨拶をしなかったのであるが、いつもいつも、OL風の娘たちや学生らしき男の子が、ちんちくりんに小さくオハヨウゴザイマスと声を掛けるのを横目で見るたびに、今時の若者は感心だなあとは思っていた。思っていたが出来なかった。それに対するちんちくりんの返答が、またオハヨオという変なイントネーションの横柄極まるものであるのも腹立たしかったからでもある。
 実はぼくは、案外紳士な側面もあり、というのも普段は極力目上の人は重んじ立てよう、また弱い立場の人がいたらなるべくそっちに気持ちをシンクロさせようというフォームを心掛けており、だから通勤自転車組のためにその愛車を整理するなんて立場の人には本来、極めて好意的で、先頭立って味方になる筈なんである。
 でもずっと出来なかった。
 どうしても出来なかった。
 よっぽど深い宿世の縁が、ぼくとちんちくりんにあるとしか思えないほどに。
 でも今日は挨拶をした。
 ここんとこバカに弱気になっていて、携帯電話の電源を切ったままシゴトも一週間くらい休んでいたからかも知れない。ひどく無気力で、だが三日目には横浜の会社が騒いでついに実家に連絡が行き、瀕死なのかと思い込んだ母親が血相変えてアパートのドアを蹴破って入って来、風邪で寝込んでいるという言い訳で状況を揉みしだいてなお三日ほどじっと川の底にひそむ蟹のように何もせず過ごして来た。
 その弱気のまま仕事を受け、結句ちんちくりんに挨拶を無視された。
 きっとぼくのことも、ずっと嫌いだったのだろう。
 ちんちくりんよ!
 お前は敵だ!
 お前こそ敵!
 明日からまた、ゼッタイ挨拶なんかしないからな。
 でもいつか、ぼくが本当に状況を乗り越えた時、ちんちくりんよ。
 ぼくはあなたの、きっとやっぱりちんちくりんの女房や、ちんちくりんの子供たちの住うゴチャゴチャした家に行き、簡易な卓袱台を囲み、いつかビールで乾杯がしたい。
 すべての思い込みや立場を、ぼくたちは過ぎ去ることが出来るのだろうか?
 そんな日を想像することは、まったく楽しいことではないかね?
 それは世界の中で、どんな意味を持つのだろう?
 しかしまったく、駅前の歯科医の鼻は、キウリのようだと思わないかね。