妻がいて孤独

基本的にふざけろ

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2008-02-29 21:46:08 | Weblog
 TVの、夕方六時半からやっている、こども向けとしか思えないアニメーション番組の音が耳障り。
 それを見ているのは、妻。
 無言の抗議を表明せんがため、壁のほうを向いて横たわっている。声優たちの鼻にかかったような嬌声が、ぽよんぽよんいう一層ふざけた効果音とともに、質の悪いスピーカーを通して、しょっちゅう六畳間内で爆発する。そのうえ画面のちかちか光るのが眼前の土壁にまで反射して、やはり抗議のつもりの瞑目の、その閉じたまぶたを通過して、視神経の暗がりまでをちくちく刺激する。
 妻がこの手のサブ・カルチュアを好むことは、付き合いはじめてすぐに知れたことのひとつである。ただ、そこは惚れた弱み。まんがやTVに熱中するおんなの横顔が、最初はかえって魅力的に映ったものだ。
「こういうモノのほうが、現実社会を反映している」 
 というような趣旨のせりふを、吐いたこともあった。
 しかし、相容れないものは仕方がない。
 ぼくはどうにも、こういうキャラッチャラしたものが分からない。
 ただ最初に許容して、あとから苦情をねじ込むというのも、わずかに残る男の矜持が邪魔をする。
 そういう手順で、いつもじっと我慢。
 それでも、せめてもうちょっと音を小さく出来ないものか、とも思う。
 ただそういう細かい小言じみたことを言うことにも、なんだか抵抗がある。
 そもそもはやく、晩ごはんの支度にとりかかってもらいたい。
 それもお腹がすいていらいらしていると思われそうで、やっぱりなにも言えなかった。
 エンディング・テーマに続き次回予告になって、ようやくぷつんと切れる。
 首をねじまげて背後をうかがう。畳のうえにリモコンが転がっており、そのむこうで安物のTVが静かにうずくまっている。足先のほうに目を転じると、妻が台所に通じるガラス戸をすり抜けるのが、ちらりと見えた。
 その格好のまま、声をかけた。
「部屋入るぞ」
「なんで」
 すきな世界を堪能した直後だからだろう、やや上機嫌な妻の声。
「電話」
「ええ?」
 起き上がって言う。
「電話かけんだよ」
 コンロに火がつき、なにかを炒める音が、返事のかわりに返ってきた。
 歩いていって、四畳半の襖を大きく開ける。ゴムの質感をともなった闇が六畳間を通って中空に霧散するのを待ってから、じめじめする畳に踏み込んだ。
 ほの暗い部屋の隅に、きちんと畳まれた布団があって、反対側の壁際に鏡台と書棚と、こぶりな洋服箪笥がある。整頓された、ふつうのおんなの部屋ではある。床のあちこちに、ねずみやカエルといった小動物のおもちゃやぬいぐるみが落ちている。
 腐りかけた木の雨戸を苦労して開け放ち、残りの闇を手でぱたぱた追い払う。生あたたかい初夏の夜風が吹き込んできて、柱に画鋲でとめてあるカレンダーが揺れ、乾いた音を立てた。
 見上げると西の空はまだ暮れきらず、澄んだ藍色に輝いている。
 ぼくたちの借りているのは、アパートの二階の角部屋である。この窓からは、小道をへだてた対面に、こまごまとならぶ住宅なんかが見える。はずむかいの家では、やはり夕飯時なのだろう、リビングにいくつかの人影が動くのが見えた。オレンジ色の明かりが庭にもれて、横倒しになった三輪車を照らしている。隣人や近所の人たちと、ぼくたちが交際することはほとんどない。
 雨戸を閉めて、ふたたび妻好みの暗闇を作る。
 ただアマゾンなみによどんで湿気た空気ばかりは、だいぶましになったと思う。
 箪笥のうえに、町の電気屋でフンパツして買った、ホコリをかぶった電話機がある。これは我が家のなかでは炊飯器とならんで比較的あたらしい製品で、本体の受話器や子機を取り上げると同時に、小さなディスプレイと数字ボタンが、鮮やかに点灯したりする。買った当初はもの珍しくて、妻とふたり点けたり消したり、目にやさしくもあるその人工のライト・グリーンを、飽かず楽しんだものだ。
 今はむろん、そんな無邪気さを共有する気持ちなど、お互い残されていない。
 着信音もいくつか選べて、それをときどき変えたりするのも楽しいものであったが、ぼくたち夫婦に電話をかけるものがほとんどいないことに遅ればせながら気づき、そんな生活上の情熱も、とっくに冷めてしまった。
 なんとなくそのまま放置されてしまったドヴォルザークのユーモレスクを、ここ数年どちらも変えようとはしない。
 子機を取って、後ろ手に襖を閉めて六畳間に戻る。
 義男から電話があったことを、親が知ったら喜ぶかなと昨夜寝しなに思いつき、ずっと電話をかけたかったのである。ぼくも疎遠にちがいないが、弟の義男は両親と、ほとんど絶縁状態にあった。
 台所に耳をすませ、「電話帳」に登録されている、数少ないメモリーの「鱸晴一」を選んで電話した。肉親との会話を、なるべく妻に聞かれたくない。
 四回ほど続いたコール音が、ぷつっと途切れた。
「もしもし」
 と言って思わず前かがみになるが、そのままつんのめる。
 夜のしじまにも似た静寂が、子機のむこうから流れている。
 それは母親。
 実家の居間にある電話に出るのは、家族の中で母親の役割だった。
 ただこのおんなは、昔から電話に出てもなにも言わないのである。受話器をガチャッと取って、相手の出方をえんえんとうかがい続けるのだ。いつまでも。
 相手がなにか喋りはじめて、その話の輪郭が虹のようにつながってはじめて、ようやく人間らしい反応を示すのだ。
 こういう電話の出方をするおんなを、ぼくはほかに知らない。
 相手が面食らって、そのまま電話を切ってしまうことはしばしばで、子供のころからそういう場面をなんども目撃した。そんなとき母親は、困ったような、でもどこかほっとしたような、そして恥ずかしそうでもある顔で笑っていた。
 諸事こだわらない性格の親父は、このことでもなにも小言らしいことは言わなかった。だからぼくも、そういう不可思議な母親をだまって眺めるほかなかった。ただ弟だけが、友達が気味悪がって電話をしてくれない、といって泣いた。昭和四十年代で、もちろん携帯電話なんて、だれも持っていない時代のはなしである。
 電話のむこうの静寂を懐かしく聞いたのち、
「松男です」
 と言ってみた。たぶん二、三年ぶりくらいの息子の声も、母親のフォームは崩せなかったようだ。で、勝手に喋りはじめた。
「義男がね、昨日電話してきたよ」と。
 あんまりうまくいっていないらしい野郎の細部については伏せながら、現在マヨネーズ工場で働いていること、その勤務先がなぜかぼくのアパートにほどちかいこと。金は無いらしいが健康だということ、付き合っているおんなの人がいるらしいこと。
「でね、こんどの日曜日に遊びにくるって」
 と言うと、
「あら」
 と母。
「あら、かいな」
「そうね。うふふ」
 そこそこ柔らかい声が聞けた。
「親父はいるの」
 少しほっとしてそう聞いたら、ガサガサ音がして、
「お父さあん。お父さん。松男、松男が」
 と、前触れなしに親父に代わろうとする。妙なおんなだとつくづく思う。
「松男か」
「ああ」
「今日九時からNHKでフランス料理の特集やるみたいだぞ」
「そうなの」
「お前、見るか」
「いや。分からない」
「フランス料理は知ってるな」
「食べたことはないけれど」
「おれもない」
 親父は三流どころの私立大学で、国文学を教えている。小さいころは、プロ野球選手になりたかったそうだ。
 はじめて春子を家に連れて行ったとき、白いスーツでかしこまっている未来の嫁を見て、「きれいなひとじゃないか。お前にしては上出来だ」
 と、型通りに持ち上げて、
「サソリじゃなくてほっとした。ガハハ」
 という浮世離れした応対をした男である。
 義男のはなしをしたら、
「マヨネーズか」
 と、そこだけピン・ポイントに反応をしめし、なぜかしんみりした口調で、
「うまいマヨネーズ送れって。義男にはそう伝えておけよ」
 実家は東京都下、多摩地区の奥まったところにある。そばを多摩川が蛇行して流れ、山も近い。これといって趣味も、また職業も持ちあわせていなかった母親は、ふたりの息子がなかば出奔するようなかたちで家を出てから、だれにも相談せずに近所の畑を借りた。その畑で母親は、あれは一種の魔法なんだろうと思うのだが、これといった経験もないくせに、近隣の農家が腰を抜かすほどの、べらぼうにうまい野菜を作りはじめた。
 これはすぐに評判になり、高級食材ばかりをあつかう仲買人の目につくところとなる。親父がこの野菜を酒のつまみに口にしたり、また息子夫婦のもとへ送られてくることはすぐになくなった。この魔法は長く続くたちのもののようで、現在でも高値で売れ続けていいる。
 ところで、この日のわが家の晩ごはんは、もやしとえのき茸の炒めもの、それにこのころ供給過剰ぎみだったおからと、メイン・ディッシュの生卵。あとはコップにはいった水道水だけであった。
 妻といえば、ぼくの食事を整えるとすぐに、夜の闇に乗じて、するすると外へ出てゆく。アパートの近くには竹やぶや雑木林といったものがあり、そういう湿潤な草むらには、まだまだただで彼女が食べられるものがあるという。
 ひとりですます、屋根のしたの食事ほど味気ないものはないし、ほかにも不満がむろんないわけではない。しかしこういった妻の節約術には、ほそい収入しか得られぬ男として、慚愧の念にちかい感謝がわきあがる。
 ありがたく食事を終え、おぼんを持って台所に行く。
 電気が点けっぱなしで、掛けたつもりで落ちたのであろう、チェック模様のエプロンが、床に落ちてのびている。流しで洗いものをすませてから、エプロンを拾って壁に両面テープでくっついた、プラスティックの輪っかに掛けてやった。
 すぐそばに、小さい食器棚に乗った炊飯器がある。
 ほこりをかぶって、五分ほど遅れた時刻を、液晶画面が点滅して告げている。
 アマリリスを、そういえばしばらく聞いてない。
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