K.M. Rodsmiths

自分で作ってしまえ (バンブーロッド、ランディングネットetc.)、ネコ、

風が渓を吹き抜けて―3

2006年10月28日 | Weblog
スキー場へとつながるあまりにも立派な道路やトンネルが、地元自治体によって整備されたのだ。
流れも、その姿を変えてしまった。
ごく普通の乗用車でも、気軽に行くことが出来るようになった。
弁当を持ってどころか、あたかも管理釣り場に行くように1時間釣って帰るなんてことも可能となった。
それでも魚影の濃さは相変わらずであった。
フライを流せば魚は先を争って出るというような釣りをしばらく楽しんだ。
今思えば、人間の都合でいじりまわされても、自然はその広い懐の中で僕を遊ばせてくれていたに違いない。

開発のすべてがいけないなんて言うつもりはない。
僕だって、釣りなどして自然にインパクトを与えているのだから。
ただ、釣りはあくまでも自然があって始めて成り立つ遊びだから、それが破壊されてしまったらもはや遊びは成立しない。
このことには、釣りをしていたから気付くことができたのかもしれない。
勝手な言い分だが、いつまでも楽しい釣りができる自然であって欲しい。
このまま行けば、遊びどころか、人間の存在すら自然は受け入れてくれなくなってしまうのではないか‥‥
地方の自治体としては、開発は雇用の確保などいろんな経済効果を期待してのことであろう。
地元に暮らす人にとって切実な生活の問題である。
しかし、思惑は外れ、10年も経たずににこのスキー場は閉鎖されてしまった。
開発の傷跡だけが、山や渓に残されてしまった。

それにもかかわらず魚たちは流れの中にいる。
カモシカや熊もそこに暮らしているだろう。
自然の均衡を崩し続けていけば、いずれ岩魚やヤマメ、オイカワやハヤそしてカジカなどの魚が住めなくなる。
鳥やカモシカ、そして熊だって同じだ。
自然の中で生きていかなければいけないとすれば、人間も特別な存在ではなく、魚や熊と同じではないのか。
そうだ、僕たちは神様ではないことに、もっと早く気付くべきだったのだ。
我々自身、自然の一部なのだから。

僕は、岩に座り、澄んだ流れを見ながら、渓を抜ける風に心地よく吹かれていた。
流れの音、風の感触、草木の匂い、そして日の光、すべてが僕の中に染み込んでいった。
―おわり―
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バンブーロッド完成 | トップ | フィッシュカービング »

コメントを投稿