家の花、道端の花、花器

自宅庭や道端の花を「一種類だけ」花器に入れてみたい。私には二種以上を組み合わせ美しく見せる、センスも技術もないので。

白い椿

2023-11-05 14:22:24 | 庭の花、道端の花

横浜から来た白椿が咲いた。白い椿が咲くと、冬の到来を感じさせる。ところが今年は、一向に寒くならない。今日もちょっと歩くと汗をかいた。

侘助とは違う。苗で買ったときは名がついていたのだろうが、今はわからない。茶席に使えそうな花である。私たちは「白い花」が好きだった。

葉の傷も川瀬敏郎先生なら「風情」にするのだろうが。
花器:備前徳利


白い菊

2023-11-05 12:25:23 | 庭の花、道端の花

今朝庭を見ると、昨日まで蕾だった菊が咲いていた。コヨメナやシロヨメナより少し大きい。今は本数が少ないが、増えれば結構見栄えしそうだ。私が知る「開聞」なのかな、と思い、葉を比較したが、「開聞」ではなさそうである。
因みに、鹿児島旅行したとき、開聞岳の見える道端で、群生する菊の数本を採取した。「開聞」と名づけた。わが家の庭に植えると、これが猛烈な繁殖力で、またたく間に他の花を駆逐する勢いだった。純白できれいな花だが、強すぎた。以来、注意しながら育てている。それだけに遠慮なく切り花にできる。
同じような事情でもう一つ名をつけた菊に、「鏡山」がある。これは佐賀県鏡山の坂道で、道沿い山肌を覆っていた蔓性の菊である。小さい黄色の花をつけ、可愛い。これも少し摘んで持ち帰り、庭に植えた。これがまた、姿の可愛さとはうらはらに、凄まじい繁殖力だった。放っておいたら庭をダメにされる勢いだった。
「開聞」も「鏡山」も徳島へ持って来たが、性格は分かっているので、心得て育てている。
「開聞」も「鏡山」も、まだ蕾である。そのうち紹介できるだろう。

今日咲いた白菊には、はっきりした記憶がない。鹿児島でもう一カ所、採取した記憶がある。
そしてもう一カ所、京都・圓通寺を訪ねる最寄駅からの途中、道端の菊を1本、いただいた。
その折、圓通寺で妻がメモした句が残っている。
  ○ 一片の紅葉浮かべて手水鉢
圓通寺入口手水鉢に、紅葉が一葉浮かんでいた。それは、ふつうにそうなる場所だった。紅葉はひらひら落ちていた。しかしその手水鉢に浮かんだ一片の楓の葉は、「人が浮かべた」ものと思えた。

この菊は、娘によれば、私がひっくり返した花鉢の、本来底である穴から、首を出していたらしい。おそらく庭に雑草が生い茂り、鉢も雑草でいっぱいになっていたので、ひっくり返した。その底穴から逆転して首を出した。
「開聞」や「鏡山」の闘争力とは違った、生命力だ。大切にしよう。
この菊を、わが家では「圓通寺」と呼ぼう。



菊[圓通寺] 花器:ベネチアングラス

(※ 道端の花を摘むことは、顰蹙を買うでしょうが、「人の目につく場所に」「大量に生息している」もの以外は、絶対手を出しません。例えば、近々アップしますが「那賀川野菊」は、自生地を知っていますが、撮影はしても、触ったことすらありません)

====================

この記事を読んで娘が、旧宅、[圓通寺菊]最終姿の画像をくれた。娘の移住は私から一年余り遅れ、旧宅の最終的な荷出し役だった。

鉢をひっくり返したのは、私である。草が充満、根を張り、引き出すことができなかった。鉢を割るしかなかった。しかしこの鉢に未練があった。だから、ひっくり返した。光と水を遮断すれば草は枯れると思った。この中に「圓通寺菊」は、潜んでいたのだ。
「雑草を引き抜かないようにと妻は言った。草を引き抜けば、潜んでいるが横にいる花の、根も抜いてしまうことになる。」
雑草と同じ姿で、圓通寺菊は、いた。まったく見分けられなかった。
イエスも語っている。「主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。』」

ひっくり返され光と水を遮断された花鉢の底穴(「狭き門」)から、この菊は首を出し、私の徳島まで、来てくれた。神のプレゼントかもしれない。美しい花だ。私たちの基本、白の一重。

 


野菊(コヨメナ、シロヨメナ)

2023-11-05 07:46:31 | 庭の花、道端の花

60を過ぎた頃から、菊を無性に好きになった。それも園芸種でなく「野菊」の類いである。
ここで生けた2種類も、横浜から持ってきたものであるが、横浜でも、いわば勝手に生えてきたものと思う。
Picture This の判定では、「コヨメナ」「シロヨメナ」と出る。

[コヨメナ](Picture This の判定による):花器 備前徳利
ごく薄い菫色をしている。

[シロヨメナ](Picture This による)花器:青銅花瓶