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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました2021 その2

2021年02月05日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出 2≫

関東代表  健大高崎(群馬)     5度目(2年連続)
                   夏3度出場 甲子園通算 13勝6敗      

秋の関東大会を連覇した健大高崎。昨年は関東を制した後の明治神宮大会でも準優勝。好投手・下を擁してかなり期待されたチームでしたが、春夏ともに甲子園大会は行われず。夏は県の大会、甲子園交流試合ともに何かモチベーションが上がらないというような試合ぶりを見せて、存在感を見せることができませんでした。しかし昨年来言われていた「チーム改革」は着実のその成果を表しているようで、昨秋の関東大会を見ても、完全にチームカラーが以前のものとは違うという印象になっていました。「機動破壊」よりも「打線の破壊力で粉砕」のチームへと変貌を遂げての関東大会連覇は、自信につながったことでしょう。健大高崎といえば、甲子園でしっかり勝っていくということでも定評のあるチームです。過去7回出場の甲子園で初戦敗退は一度としてありません。しかもほとんどの大会で2勝以上を挙げています。これは本当に特筆すべきことで、『甲子園に強い』チームカラーは何よりも心強い「先輩たちの遺産」としてチームに息づいています。2010年代を得意の機動力で駆け抜けたチームが、2020年代になって新たな姿で、甲子園に足跡を刻み付けようとしています。狙いは一つ、全国制覇しかないでしょう。ライバルの前橋育英、桐生第一が過去成し遂げている全国制覇に、健大高崎としてもたどり着かないわけにはいかないというモチベーションが、このチームを高みに引き揚げていくことでしょう。



昨年の記事 ⇒

秋の関東大会で優勝を飾り3年ぶりに選抜の舞台に戻ってくる健大高崎。ワタシの印象では、「空白期間が長かったなあ」という事がまず思い浮ぶほど、毎年甲子園に登場しなければ何かケツの座りが悪いというほどの存在になっています。下記の前回出場時の記事にも書いたとおり、何しろ”機動破壊”という言葉自体がセンセーショナルに頭からこびりついて離れないワードになっており、何か関東のチームの中でもかなり「特別な存在」となっている健大高崎。しかしここ3年程、甲子園をつかみかけながら逃し続け、ついにはその機動破壊の看板もやや下ろしかけるようなチームの変革を行っている最中だと聞きます。確かに秋の関東大会、明治神宮大会で見た健大高崎は、投打のバランスを軸にオーソドックスに戦っているような印象を受けました。果たしてこの選抜、どんなチームの姿で甲子園に登場することでしょう。 

前回の記事 ⇒

そして前橋育英とともに、強豪県となった群馬の盟主に躍り出たのが、この健大高崎です。すい星のごとく登場してきたのが2011年夏。デビューの年から、健大高崎はその輝きを甲子園で見せていました。初戦の名門・今治西戦で9回逆転勝ちを収めて鮮烈なデビューを飾ると、2回戦では横浜と対戦。この年の横浜。県大会で選抜優勝校である東海大相模を完璧な野球で下し、この大会でも堂々の優勝候補に名前を連ねるチームでした。関東にいる人間として、いつも関東大会等で見ている試合では、横浜や東海大相模などと対戦する北関東勢は、どこか気後れがあるのか普段の力を出せないままズルズルと強豪のオーラに飲み込まれ、結局完敗に終わってしまうということが多く、この試合もそういうイメージで試合を見ていました。しかしながら、この大会で初めて見る『健大高崎』という新興チームは、強豪の横浜に対して全くおくすることなく戦いを挑み、9回サヨナラ負けをしたものの、互角以上の戦いを見せてくれました。この戦いぶりは、ワタシにとってはかなりの衝撃でした。なんとなく関東における高校野球の流れが変わりそうな予感というものを、ほのかに感じることができる試合でした。
『おっ健大高崎って、注目していいチームだな』そんなことを思いました。そして翌年の選抜。健大高崎は、前年の勢いそのままに、選抜に出場を果たしました。そしてそのセンバツで、ついに健大高崎の代名詞である【機動破壊】が甲子園の舞台で存分に発揮されるのです。とにかく、塁に出たらランナーは『次の塁を狙う』ということが徹底されていて、選抜の大舞台で天理、神村学園などの強豪を連破して4強に進出。準決勝でも春夏連覇を達成する大阪桐蔭に対して果敢に挑み、終盤まで互角の勝負を展開しました。この選抜の活躍で、わずか春1回、夏1回の甲子園出場歴にもかかわらず、健大高崎は『野球が面白い』ということで全国のファンの脳裏に深く刻み込まれ、『次の全国制覇候補』として認識されていったのです。その後も健大高崎の躍進はすさまじく、5回の甲子園ではすべての大会で初戦突破。そして初出場時を除いては、必ず1大会で2勝以上を挙げています。チームの特徴は、攻めては”機動破壊”で相手を徹底的に痛めつけ、守っては必ず継投策を取って投手を早めに変えていくことで、相手に的を絞らせずトータルで失点を防いでいくという策を取ります。とにかく、勝つためのメソッドがしっかりしていて、選手たちはしっかりとベンチの意図を理解して動く、総合力の高いチーム。県内のライバル、前橋育英と桐生第一に全国制覇の先を越されていますが、今後『健大高崎の天下取り』はどんどん加速していくことと思われます。ストライプのユニフォームが輝く瞬間は、いったいいつになるのでしょうか。 


 関東代表   常総学院(茨城)   10度目(5年ぶり)
                  夏16度出場 甲子園通算 41勝23敗  優勝2回 準優勝2回

さあ、常総学院が甲子園に帰ってきました。16年にエース鈴木(ロッテ)を擁して選手権8強に入って以来遠ざかっていた甲子園。2010年代に入って佐々木監督の下、新しい常総カラーを出して新たな時代を迎えたと思っていた常総学院が、4年間足踏みをして甲子園出場を果たせませんでした。その間も茨城県大会や関東大会などでは常に「優勝候補」の冠を抱いての戦いでしたが、「あと1勝」などのところで必ず一敗地にまみれてしまう戦いが続きました。「まさか」の負けが続いたチームは、ついに昨夏、指揮官を交代して新たなチーム作りへと一歩踏み出しました。前佐々木監督は「取手ニの全国制覇メンバー」でしたが、新しい島田監督は「常総学院の全国準優勝エース」としてプロでも鳴らした人。ともにあの木内幸男監督の愛弟子です。「木内常総」として浮かぶのは、「何を仕掛けてくるかわからない」という試合巧者の姿。木内監督がベンチに座ってニヤッとしただけで、相手チームは疑心暗鬼に襲われ、通常のマインドで試合ができなくなってしまうという感じでした。佐々木監督は打って変わって、オーソドックスで正統派の野球を好み、トータルで相手を上回るという野球を目指した監督でした。さて、島田監督はどうでしょうか。『甲子園のスター』としてまばゆい光を放っていた高校時代、そして長い年月を過ごしたプロ野球。それらの経験をミックスして、これまでの木内野球、佐々木野球にはない味付けをチームに施すのでしょうか。「プロ出身のOB監督」が昨今はちらほらとみられるようになってきていますが、その代表格は智辯和歌山の中谷監督、天理の中村監督といったところでしょうか。いずれも甲子園の優勝を経験し、その後プロに進んで下積みを経験し、そのすべての経験をチーム作りに還元していると感じることができる監督さんです。さて、島田監督のチーム作りはいかに。今大会、優勝候補に名前は上がりませんが、注目度は高い常総学院。もちろん、昨年亡くなった”チーム中興の祖”木内監督の弔い合戦という意味合いもある大会です。さっさと負けて帰るようじゃあ、木内監督に顔向けできませんよ。あの「島田スマイル」が何度も甲子園に咲くことを、期待しています。


前回の記事 ⇒

もう、言わずと知れた北関東の代表的なチームで、名物監督である木内監督の姿とともに、高校野球ファンの脳裏に焼き付いて離れないチームです。今では強豪の名をほしいままにしている常総ですが、その登場は新しく、甲子園初登場は昭和62年のこと。まだ30年ほどの歴史しかありません。そして最初の登場は、『繰り上げ出場』だったこともまた、珍しいことですね。何しろ取手二であの強かった”最強PL"を破った木内監督が就任して、高校野球界の話題を独り占めしていた常総学院。『いったいどんなチームに仕上がるんだろう』とかたずをのんで見守っていたファンの前に登場したのは、大会のわずか数日前にバタバタと補欠校から繰り上がって出場したチームでした。しかしあのえんじ色の早稲田カラーのユニフォームが甲子園で躍動するまで、さほど時間はかかりませんでした。甲子園で戦うための準備など何もしていなかった『繰り上げ出場』の選抜大会では初戦敗退したものの、その悔しさと経験を持って臨んだ夏の甲子園では、そのえんじのユニが、甲子園狭しと躍動しました。小さなエース島田に一年生ショートの仁志ら、のちにプロ野球で活躍する選手も揃えたこの軍団は、この一度の甲子園だけでファンの脳裏に深く『常総学院』という名前を刻みつけました。尽誠学園・伊良部、沖縄水産・上原、中京・木村とのちにプロで活躍する三人の好投手を次々に攻略、そして『大会NO1』の呼び声が高かった東亜学園の川島相手に島田が一歩もひるむことなく投げ合い、最後はサヨナラで決勝進出を決めた準決勝は、語り草になるほどの好試合でした。決勝では春夏連覇のPLに敗れましたが、”大会の華”は間違いなく常総学院でしたね。その後は春も夏も全国制覇を遂げ、木内監督引退までの間に獲れる栄光はすべて獲った感のある常総学院ですが、やはり最初に挑んだ昭和62年の夏の大会が、いまだにワタシには一番印象に残っています。ワタシの勝手な印象なんですが、昭和59年の取手二、そしてこの62年の常総学院の頃の『木内采配』は、選手を伸び伸びとプレーさせるということが徹底されていて、『グラウンドに出たら選手に任せる』という様な采配だった印象が強いです。しかしマスコミに過度に『木内マジック』と喧伝され、また木内監督を慕って数多の好選手が集まってくるようになってから、なんだか試合の中で采配をこねくり回すような感じになっていった気がして、その変化があまりワタシ自身は好きではありませんでした。90年代~の木内采配は、『勝つための方法論』が変化したように、感じていました。
しかし2013年夏、佐々木監督が久しぶりに『オリジナルの常総らしいなあ』という戦いぶりを見せてくれて8強まで進出。更に昨春の8強進出。そのチームの変化が、なんだか妙にうれしくて、また常総を一生懸命応援するようになってきている自分に気が付いたりもしています。今の常総学院、いいチームです。いい野球をします。今年もまた、オーソドックスな戦法の中にキレを感じさせる野球で、上位を狙ってほしいものです。

 

関東代表  東海大甲府(山梨)   6度目(5年ぶり) 
                  夏13度出場  甲子園通算28勝18敗

昨秋の関東大会。2回戦(準々決勝)でタテジマ対決が実現しました。”元祖タテジマ”の東海大相模と対戦した東海大甲府は、戦前の「不利」の予想を覆す戦いぶりで、9回逆転サヨナラで東海大相模を破って、センバツを確定させました。しかしそこで安心したのか、続く準決勝では常総学院の強打の前になす術なし、0-10の6回コールド負けという惨敗を喫し、大きく評価を落として臨むセンバツとなってしまいました。ここ数年来、甲子園のかかった大事な試合ではことごとく山梨学院の後塵を拝し、かつての「2強」から、山梨学院の「1強」のような勢力図になっていましたが、このセンバツに久しぶりに登場することで、少しだけ勢力図をまた書き換えることができたかもしれませんね。下にも書いていますが、東海大甲府といえば、大八木監督時代のチームカラーは「緻密な負けない野球」そのもの。そのち密さで、巨大戦力を誇るPLや帝京などの強豪に立ち向かっていく姿が印象的でした。村中監督に代わって、打力などは当時とそん色ないレベルのチーム作りができているように思われますが、やはり試合のポイントとなるようなところで相手を凌駕するプレーが出るようなチームにはなっていないなあということが、なんだか試合を見ると思ってしまいます。そのあたりが、なかなか甲子園までたどり着けない要因になっているのかなあと、感じないでもありませんね。かつての輝きを取り戻す契機とするには、今年の大会は絶好の機会です。かつて「山梨に優勝旗を」と本気で期待していたファンに、「どっこいまだまだ」というところ、見せつけてほしいですね。


前回の記事 ⇒

東海大甲府というと、完全に2つの時代に分かれますね。チーム創成期から平成初頭にかけての名将『大八木監督時代』と、復活してまた甲子園の常連になった現在の『村中監督時代』のことです。両監督とも東海大相模出身、原貢監督の薫陶を受け、原貢野球の後継者ですね。地理的に近いこともありますが、『元祖』の東海大相模に次ぎ、この東海大甲府は東海大付属にとっても特別な学校に位置付けられているのでしょうね。さて、ワタシが東海大甲府と言ってもっとも思い浮かぶのは、やはり大八木監督時代の82年~90年の戦いでしょうね。81年夏に初出場を飾った東海大甲府は、82年夏に強烈な印象を残します。それまでややひ弱だと思われていた山梨代表としては、まさに異質の存在。ばんばんホームランを叩きこむ強力な打線の印象は鮮烈で、3回戦であの早実の荒木と対戦した試合でも、荒木をほとんど攻略するほどの鋭い振りを見せてくれました。85年には強力打線を引っ提げて4強へ。このころから東海大甲府はチームとしてのピークを迎え、関東では最も力強いチームでした。そして大八木監督の采配の凄さ。一歩も二歩も他校の先を行く、先進の戦いぶりという感じで、『近々に全国制覇だろうな』と思わせる充実ぶりでしたね。87年春の4強進出時は、春夏連覇を達成するPLを土俵際まで追いつめる戦いぶり、88年春も選抜で8強に進出すると、90年にはまたも4強へ。優勝した近大付属に延長で敗れましたが、この時が最も優勝に近づいたチームでした。最近ではセンバツ高校野球の試合の合間に毎年『選抜好試合』のハイライト映像として出ますから、何度も目にしたことがあると思います。あの試合をしのげば、山梨勢初の全国制覇もなったのではないかと、ワタシは今でも思っています。この9年間の大八木監督のチーム作り、すごいものでした。なぜ東海大甲府を去ったのか分かりませんが、その後の90年代、東海大甲府はずっと新興勢力である山梨学院大附や日本航空などの後塵を拝して、なかなか甲子園までコマを進められませんでしたね。最近は選手の素材で勝負する村中監督の下、また黄金時代を構築すべくチームを作り、ここ数年間は甲子園でも実績を残しつつあります。しかし、往年の東海大甲府の【(相手にとって)厳しい野球】を知っているファンとしては、『まだまだだなあ』と思ってしまうのも確かです。それにしても、大八木時代の東海大甲府、本当に強かったです。。。

 

関東代表   専大松戸 (千葉)     初出場
                    夏1度出場 甲子園通算 0勝1敗 

2015年に選手権にうれしい初出場を決めた専大松戸。かつての「野球王国」千葉にあって、なかなか出場がかなわなかった松戸市からの初出場ということもあって、市民は大喜びでした。そんな専大松戸の監督は持丸監督。高校野球ファンの間ではおなじみの監督ですが、すでに72歳になっているんですね。かつては竜ケ崎一、藤代、常総学院などを甲子園に導き、さらに投手育成能力には定評のある監督さんで、近年でも美馬、高橋令、原などそうそうたるプロ入りした投手が教え子ですね。イメージとしては、高校野球の監督として、勝負よりも選手の育成に力を入れているように見えます。常総の監督として何度か甲子園に出場していますが、その時も木内監督の時に見られたような勝負への執念というものは、持丸監督を見ていて感じることはできませんでした。あくまでオーソドックスに試合を進め、そこまでの練習の成果を出させるような試合っぷりだったように感じます。甲子園で勝つためには、「そのほかの何か」がないと厳しいんだろうなあ・・・・そんなこと、感じる采配でした。かつてはさほどの強豪校ではなかった専大松戸、しかし持丸監督が就任してからというもの、年々力をつけてきたのは確かです。特に秋春の関東大会においては、本当にあの緑のユニをよく見ます。千葉県大会はなかなか見ることができない(遠いから)ワタシも、必ず行く関東大会では専松も緑のユニを持丸監督の姿とともにしょっちゅう見るので、イメージとしては「甲子園常連校」のように感じることがありますが、実際は甲子園ではまだ1試合しか戦っていないチームなのですね。しかしながら、大ベテランの監督が采配を振るう姿、まだまだ見てみたい気がしています。この10年ぐらいで、「チームを一から強豪に育てた」監督さんが次々に引退する、または鬼籍に入るなどでグラウンドから去っていくということを経験しています。持丸監督は専松の「中興の祖」ではないとは思いますが、初めての甲子園に連れて行ってくれた監督です。その「おじいちゃん監督」に率いられ、孫のような存在である選手たちがグラウンドの中で暴れまわる。。。。。。ワタシの大好きな光景、また甲子園で繰り広げられることを願ってやみません。

 

関東代表   東海大相模(神奈川)   12度目(2年連続)  優勝2回 準優勝2回
                   夏11度出場    優勝2回 準優勝1回  甲子園通算 42勝17敗

昨年はクリーンアップだけで100発以上の強力打線を軸に3度目の選抜制覇を狙っていた東海大相模でしたが、残念ながら大会は開催されず。しかしながら夏の甲子園交流試合で、全国のファン待望の大阪桐蔭とのガチンコマッチが行われ、長く甲子園での高校野球を待ち続けたファンには「ご褒美試合」のように盛り上がりました。その試合では敗れたものの、最後まで接戦を繰り広げた東海大相模は、「やっぱり西の大阪桐蔭に対して、東は東海大相模だなあ」ということを印象付けてくれました。その東海大相模ですが、記録を見てみると、やはり全国の強豪校に比べて出場回数が少ないんだなあ・・・・・ということに気が付きました。あれだけ甲子園に足跡を残している東海大相模ですが、春夏ともに11度の出場しかありません。初めて全国制覇したのが70年と、もう50年前だというのに。。。。ちなみに大阪桐蔭は、本格的に甲子園に出場し始めたのは00年代以降なのにすでに選抜11回、選手権10回の出場を重ねていますし、80年代中盤から出場の智辯和歌山はそれぞれ14回、24回の出場、80年代初頭から出場の明徳義塾は19回、20回の出場です。東海大相模と同時期ぐらいから活躍している天理は24回、28回の出場です。ライバルの横浜も、ほぼ同時期ぐらいからの活躍になりますが、16回、18回の出場。関東の強豪ということでいえば、ず~っと後の平成期前後の登場になる浦和学院でも10回、13回、常総学院では9回、16回のいう出場回数で、東海大相模よりも甲子園出場回数は多くなっていますね。
それだけ神奈川県を勝ち抜くというのが厳しいということなのかもしれませんが、ここ10年前後でようやく東海大相模もコンスタントに甲子園出場を積み重ねていっているように感じますね。神奈川県内での試合でも、ここ7,8年ぐらいでしょうか、ようやく横浜に対する「直接対決した時に現れるコンプレックス」が払しょくされて、他チームと戦う時と同じようなマインドで戦っているように感じます。ここ数年では、やや精神的に優位な感じで戦うことができているかもしれませんね。
これから東海大相模が狙うのは、現在の大阪桐蔭のような「時代を席巻するチーム」ということなのでしょう。それには今何が足りないのか、探していくたびはまだまだ続いていきます。そういう意味から今大会、決して前評判の高くないこのチームが大阪桐蔭、智弁学園、天理、中京大中京などの「優勝候補」に対して、どんな戦いができるのかというのは、とても注目に値すると思っています。


去年の記事 ⇒

いまや横浜高校に代わって神奈川高校野球界の顔になりつつある東海大相模。長い苦難の道を通り抜けて数多のスター選手を生み出したこの「元祖タテジマ」の好チームは、脂の乗り切ってきた門馬監督の下、甲子園にやってくるときは必ず優勝候補の一角として乗り込んできます。21世紀に入ってからの20年で優勝3回、準優勝1回、4強1回の戦績はすべて門馬監督の指揮のもと。同級生である「21世紀高校野球界の盟主」大阪桐蔭の西谷監督を追って、「東の横綱」格として毎度甲子園に臨んでいきます。大型チームという事では大阪桐蔭に引けを取らないとも思いますが、東海大相模というチームにはしばしば「まさかの負け」という試合も見られて、そのあたりが安定感抜群の「負けない野球」をする大阪桐蔭との差になっているのではと個人的には思います。評するに、大阪桐蔭は「負けないチーム」であり、東海大相模は「勝つチーム」ではないか、そんなことも思う近年の戦いぶりではあります。今年はファン待望の、甲子園で初めての「大阪桐蔭vs東海大相模」の対決が見られるのか?そこが一番注目している点です。


前回の記事 ⇒    

高校野球ファンにはおなじみの、というより、高校野球界を代表するチームの一つである東海大相模が久しぶりの選抜登場です。その東海大相模ですが、選抜出場はなんと2011年の全国制覇以来。改めて聞くと、これにはちょっとびっくりです。その間には2015年夏の選手権制覇があったりしたのですが、考えてみると2014年以来3年間、神奈川県勢としても選抜出場はありませんですから、仕方がないかもしれません。東海大相模といえば強力打線やドラフト候補の好投手を擁した大型チームを毎年作ってくるのですが、ここ数年の栄光をつかむまでには、いろいろと苦労した時期もありました。というか、その時期が長く続きました。そのあたりのことを書いた記事がありますので、そちらを読んでいただければと思います。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/9ce8b4436071db4ba7f409fa5f6e6315



東京代表   東海大菅生(東京)    4度目(6年ぶり)
                   夏3度出場 甲子園通算 4勝6敗 

2009年、若林監督が監督に就任し、東海大菅生は一歩一歩、東京の強豪としての歩みを始めました。その前、96年、97年には牧野投手という好投手を擁して甲子園に夏春連続の初出場を決めたのですが、その後西東京では日大三や東から移転してきた早実などが全国レベルの強豪として力を伸ばしてきたので、どうしても一歩遅れて後塵を拝す時期が続きました。転機はやはり若林監督の就任でしょうね。プロ野球のメソッドをうまくミックスさせたチーム作りを進めて、夏の西東京大会では常に優勝を争うようなチームへと変身してきました。エース高橋(巨人)を軸に左腕二本柱で臨んだ14年、勝俣で勝負をかけた15年、伊藤を軸に優勝間違いなしといわれた16年と、「絶対優位」といわれた夏の西東京大会決勝でまさかの3連敗。ワタシは3年ともに観戦しましたが、いずれの試合も東海大菅生のほうがいいチームに見えました。「もう夏はいけないんじゃないか」という思いが駆け巡った翌17年、準々決勝でこの年の「絶対の2強」といわれた一角の日大三を完封(5-0)で撃破すると、決勝ではあの清宮がキャプテンの早実に対しても果敢に挑み、ついに苦節4年目にして初めて西東京の決勝を突破(6-2)。その見事な戦いぶりは、「決勝3時間前なのにスタンドがぎっしり埋まって座るところを探すのも一苦労」というフィーバーぶりとともに、昨日のことのように覚えています。東京では、固定ファンを抱える早実、日大三や動員されたファンがスタンドを埋める創価、判官びいきの声援が無数にバックにつく都立日野などが上位では相手になっていて、東海大菅生は常に「アウェー状態」で戦うことを余儀なくされている感じが、ワタシにはあります。しかしながら、そんな環境が彼らを一歩一歩強くしたような気がしています。この17年の甲子園では、選手たちは甲子園を楽しんでいるかのようにのびのびと戦い、4強まで進出しました。敗れた準決勝でも、優勝した花咲徳栄を寸前まで追いつめ、ワタシは今でも「あの試合さえ勝っておけば」ということを飲んだら言っちゃったりしますね。菅生は東京のチームとしては、ひ弱さを感じさせない「骨太なチーム」というイメージが、最近ではついてきました。翌18年には西東京準決勝で、日大三の気迫にリベンジを許し、秋は準優勝しながら、やや不可解な選考で選抜を逃すという悔しさも味わいました。その悔しさを持った19年夏、「このチームは甲子園で上位を狙えるだろう」と思った素晴らしいチームを作りながら、準決勝で無印の国学院久我山にまさか、まさか、まさかの敗退。そして20年は甲子園大会がありませんでした。しかしそんな中、東海大菅生はキッチリと夏の独自大会で結果を出し、東京NO1に輝き、面目を保ちました。2014年からの7年間、トータルで東海大菅生は、東京でNO1のチームだと思います。東では関東一が安定した強さを見せていて、この両チームが今の東京の高校野球を引っ張る存在です。しかし関東一と違い、それに見合った全国での成績を、まだ東海大菅生は残してはいません。そろそろ東海大菅生が本物の強豪として、甲子園の大舞台で、グラウンド狭しと暴れまわってほしいものです。その力は、十分にあると思っています。
ところで東海大菅生のあるあきる野市、県外から訪れたなら「えっ、ここが東京なの?」と思うような深い森と山に囲まれた地域です。タヌキはもちろんのこと、イノシシも出る?ような場所ではぐくまれた野球で、強豪の一角に食い込んで見せてほしいと思っています。「虎の穴」ならぬ「猪の穴??」から、すんごいチームが出てきたら、痛快なことこの上なし・・・・・ですよ。


  

(つづく)


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