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選抜出場校 こんなこと思い出してしまいました 2021 その3

2021年02月06日 | 高校野球

≪選抜出場校の思い出3≫

東海代表   中京大中京(愛知)     32度目(2年連続) 優勝4回 準優勝4回
                   夏28度出場      優勝7回   甲子園通算 133勝47敗  

昨年は超高校級エース高橋(中日)を擁して秋の神宮大会を制覇。選抜でも優勝候補に名を連ね、東邦に続く「愛知連覇」を視野に入れていた中京大中京。しかし無情にも大会は行われず、「世代No1」といわれた高橋も甲子園でその本領を発揮することはできませんでした。しかし昨年から続く「強者のDNA」は今年のチームにも受け継がれて、今年も堂々と優勝候補の一角に名を連ねそうです。数多のOBを輩出した高校野球界No1の伝統校だけに、もちろん甲子園は「出るところ」ではなく、「勝つところ」に他ならないでしょう。昨年に引き続いて今年もまた、東海地区は戦前からの”超名門”中京大中京と県岐阜商の甲子園登場。戦前から連綿と続くこの流れに、超オールドファンも涙を流して喜んでいるところでしょう。ここ数年、また全国屈指の実力を持つようになったこの中京大中京、全国のファンもその雄姿を楽しみにしています。

昨年の記事 ⇒

戦前からずっと「高校野球の顔」であり続けた中京大中京。甲子園の歴史は中京の歴史であったと言い換えても何らおかしくないほどの超名門校です。その輝かしい戦歴を振り返ってみると、本当にものすごいという言葉では言い表せないものがありますね。1931年に最初の甲子園の土を踏んでから、その30年代には12回甲子園の土を踏んで優勝5回、準優勝2回、ベスト4が2回と、まさに超強豪の名に恥じない成績を残しています。その間何と40勝7敗。勝率は.850というすごさです。その中に、31年~33年の輝く3連覇があり、33年の準決勝の明石中戦は、高校野球史に残る延長25回の激闘でした。この試合を記録でひも解くと、お互いの安打は明石中8に対して中京商(当時)は7。四死球の数も違いがありませんが、勝負を分けたのは失策の数。明石中が7に対して、中京商はなんと無失策でこの試合を戦い抜いています。やはり中京は、昔から「安定感のある堅い守備で投手を盛り立てる」野球が徹底されていたことがうかがわれますね。その伝統は脈々と受け継がれ、中京が甲子園で好成績を残すときは必ず、堅い守備力がクローズアップされますね。66年の春夏連覇、そしてワタシが強烈に思い出として残っている78年~83年ぐらいにかけて強烈な光を放っていたチームたちも、そんな堅い守備力がベースにあったと思います。その傾向は平成に入っても続きましたが、90年代に入って学校の方針が変わったとかで一時期ぐっと力を落とした時期がありました。90年代にはなんと、あの強かった中京が甲子園に出場したのはたったの1度っきり。その出場した97年選抜では準優勝に輝いたものの、中京の低迷に愛知をはじめ全国の高校野球ファンの嘆きがよく聞かれました。その中京も2000年代に入ってからは徐々に復活して、09年にはエース堂林、主砲河合、磯村らを擁した強力打線で久しぶりの全国制覇を達成しました。監督は大藤監督。若くして中京の監督に就任し、集大成の夏となったのではないでしょうか。思えば中京は、超名門ながら若い”これだ!”と思った監督にチームを任せて、じっくりとチーム作りをさせるというチームですね。だからこそ長くその強さを維持していけるというのも真理でしょう。昭和40年代から監督に就任し、ワタシなぞ「中京といえばこの人」と今でも思ってしまう杉浦監督は大学卒業後すぐに監督に就任して3年で春夏連覇を達成、その後もずっと強い中京を作り続けた人物です。大藤監督も若くして監督に就任し、20年の長きにわたりチームを支え続けた人で、多くの野球人を輩出しました。思えば愛知って、そういう名将が多い地域でもありますね。『私学4強』と言われた中京、東邦、享栄、名電の4校には、それぞれ個性の強い『名将』がデンと鎮座していた印象です。中京の杉浦監督⇒大藤監督、東邦は阪口監督⇒森田監督、享栄は柴垣監督が30年以上にわたって指揮を執り、名電は中村監督⇒倉野監督と受け継がれています。いずれの監督も20年は最低監督としてのキャリアを同じ学校で積んでいて、愛知県の高校野球に関しての何とも言えない懐の深さみたいなものを感じることが出来ます。中京大中京の現在の監督は高橋監督。まだまだ中京として甲子園で実績を残している監督ではありませんが、既に就任10年目を迎えました。これからどんどん円熟味を増していくことが予想され、「強い愛知」の復活に一役買いそうです。今年の中京大中京はドラ1が確実と言われるエース高橋を擁して昨秋の明治神宮大会で優勝。昨年の東邦に続いて、愛知県勢の選抜連覇を狙っています。果たしてどんな戦いを見せてくれるのか?ワタシを含めオールドファンにはうれしい伝統のユニフォームに復活して臨む今年の選抜、注目度は非常に高いです。



東海代表   県岐阜商(岐阜)      30度目(2年連続) 優勝3回 準優勝3回
                    夏28度出場 優勝1回 準優勝3回  甲子園通算 87勝52敗   

昨年に続いての連続出場となったこの選抜。昨年よりもさらに戦力は充実し、県岐阜商も優勝候補の一角に上がる充実ぶりが伝えられています。それにしても県岐阜商の歴史を見ると、いかにこの学校が高校野球界を引っ張ってきたかが、よくわかりますね。特に戦前の戦績はすごい。戦前は愛知、和歌山などと並んでこの岐阜がまさに高校野球界の中心だったことがわかります。「出れば優勝、あるいは準優勝」だった1930年代から、もうすぐ100年がたとうとしています。その激動の時代の中、時代の移り変わりに抗うように強さをいまだに保っている県岐阜商、そして中京大中京には、畏敬の念を抱きます。これからの100年間も、また強い「GIFUSHO」でいてほしいですね。願わくば、オールドスタイルのユニフォームと一緒に。。。。。。
(昨年の記事でも書きましたが、鍛治舎ワールド全開の現在のユニは、鍛治舎氏退任後は元に戻されるのではないかと、ワタシはそんな風に感じています。)

昨年の記事 ⇒

県岐阜商も中京と並び、甲子園の超名門校。戦前から「高校野球の顔」として甲子園を席巻し、輩出した野球人は数知れず。先日亡くなった元中日の高木守道氏もその一人です。中京と同じく1930年代の活躍はすさまじく、初出場した32年から40年までの9年間では優勝4回準優勝2回と、中京とまさに全国における高校野球の盟主の座を争っていた学校です。戦前の名選手のストーリーを読むのがとても好きなワタシなのですが、中京や和歌山勢(海草中、和中など)のストーリーの中に、必ず県岐商の名前を発見することが出来る名門校ですね。そんな県岐阜商ですが、ワタシの中では「さほど強くない微妙な名門校」として位置づけられていました。ワタシがこのチームを初めて意識して見たのは77年の選抜。8強に進出して気を吐いたチームのエース関谷投手、そして翌78年選手権で同じく8強に進出して強さを見せたチームのエース野村投手がいずれも横手(下手)投げの好投手だったので、県岐阜商と横手の好投手という印象がセットになって残っています。名門らしく基本に忠実な「投手を盛り立てて少ないチャンスをものにする野球」での勝ち進みでしたが、時代が池田、PLを中心とする「打って打って打ちまくる」野球に移行する時期と重なり、その後は低迷していきます。名門の公立校が全国で苦戦し始めるさきがけのような感じで、その後は甲子園には出てくるものの聖地で勝ち進むことはままならずという時期を過ごしていきます。79年~08年までの20年間には、16度も甲子園に登場しながら戦績は6勝16敗と、かつての名門としては歯ぎしりするような戦いぶりに終始してしまいました。しかし10年代にかかってきてようやくちらほらと甲子園での戦いに光明が見え始めてきて、09年夏は久々の4強進出。13年選抜では藤田監督とエース藤田の親子鷹で前年春夏連覇の”絶対王者”大阪桐蔭を下して8強入り。15年選抜でも超高校級のエース高橋を擁して8強入りと気を吐いています。その県岐阜商に2年前あの鍛治舎巧監督が就任。独特の手法で鍛え上げ、初めての甲子園を掴みました。OBでもある鍛治舎氏、「切り札」としての投入だと思いますが、70という年も見えてきたこともあり、長く監督にとどまるつもりはないとみています。監督としての前任校で、甲子園で暴れまわった熊本の秀岳館が鍛治舎氏が抜けた途端に勢いを失ったようなことには、なってほしくはないと思っています。前述の愛知県の各校のように、長くその強さを維持できるような体制づくりにいそしんでほしいなあというのが、勝手な高校野球ファンとしての願いです。多分現在の「青・黄色」の新ユニフォームは鍛治舎氏がチームを離れると自然に元の伝統のユニフォームに戻るような気もしているので、特にそのことに関しては感想はないのですがね。。。。「劇薬」であってはならない、畑を耕す人になってほしい、OBなんだから。。。。。そんな願いを持って、この選抜を見ていきたいなあと思っています。

 

北信越代表   敦賀気比(福井)     8度目(5年ぶり)
                     夏9度出場  優勝1回  甲子園通算 27勝15敗  

90年代にすい星のように高校野球界に登場し、そこから今「第2のピーク」を迎えている敦賀気比。星稜などとともに、「強い北陸」を作っていくチームとして全国のチームに恐れられています。平沼投手(日ハム)を擁して驚きの強打で全国制覇を飾った選抜から6年。その後も笠島投手+強打という「いつもの敦賀気比のチーム作り」で驚かせてくれた一昨年のチームなど、「2度目の全国制覇」へ着々と進んできている感じがする好チームです。高知、鳥取などといつも「全国最小」の出場校数を競う福井県ですが、代表校はいつも甲子園に爪痕を残してくれる存在で、野球熱が高いのが傍から見ていてもわかるほど。今年のチームも粘り強さを持っていて、県民の期待は高まっていることでしょう。
 

前回の記事 ⇒

記憶にも新しい、昨春の選抜優勝校。今年は堂々と、連覇を狙いに行きます。敦賀気比は、これからチームとしてのピークを迎える気配がプンプン。強豪として、甲子園に君臨するチームとなるでしょうが、このチームも2つの時期に分けられます。一つは、渡辺元監督がチームを作り甲子園の常連にのし上がった90年代。そして低迷期を経て、現在の東監督が全国の強豪と伍していくチームを作った現在です。まずは渡辺監督がチームを作り、強豪に育て上げた90年代から。このチーム、シニアの名監督だった渡辺監督が高校に転出し、京都・福井のシニアの有望な選手を集めてチームを作り福井商が君臨していた福井県高校野球界に殴り込みをかけるというので、当初からかなり話題になっていました。『果たして、高校野球の名門が勝つのか?それとも新参のクラブチームのような学校が勝つのか?』注目されていましたが、素材と野球力で勝負の敦賀気比は、周りの批判など何のそので強豪チームを作り上げ、短期間で結果を出しました。エース内藤を擁して94年に福井商の壁を破り甲子園に初出場すると、翌95年の連続出場時には全国制覇寸前の4強に進出。そして97年には三上投手と快足・東出選手で8強へ。この時の選手に、現在の東監督がいますね。チームのテイストはまさに”クラブチーム”。シニアの野球を見ているような感じでしたが、圧倒的な選手の素材力には、唸らされるものがありました。そしてその集大成と言えるようなチームが、00年の内海(巨人)-李(元巨人)の強力バッテリーを擁したチームでしたね。このチームは強かった。甲子園でも優勝候補の筆頭に上がるのは確実とみられていましたが、不祥事で選抜を辞退。そしてチームの歯車は狂い、その夏は圧勝するはずの県大会決勝でまさかのサヨナラ負け。この強いチームが甲子園の土を踏めなかったことで、その後チームの歯車は狂い、元に戻すのに時間がかかりましたね。00年代は、『あの強かった敦賀気比はどこへ』という様な感じで、時折甲子園には出るものの、また時代は福井商へと先祖返りした感じとなりました。しかし08年、東監督がコーチとしてチームにかかわるようになると、チームはまた右肩上がりの成長曲線を描くようになりました。岸本投手を擁した13年春に『こんなに強かったっけ?』という様な驚きとともに4強進出。そして14年夏には、驚きの強打で完全復活の4強入り。そして15年春。14年の4強を経験した大黒柱、エースの平沼を擁してついに、『北陸勢初』の全国制覇を成し遂げたのでした。今や完全に『顔と名前、ユニで勝負できるチーム』になりつつある敦賀気比。大阪桐蔭らとともに、時代を作っていくチームとして、高校野球界に君臨する”予定”です。



北信越代表   上田西 (長野)       
初出場
                       夏2度出場  甲子園通算 1勝2敗   

このセンバツに初出場を飾った上田西。最近10年ぐらいずっと長野県内の強豪としての地位を確立していて、夏の甲子園には2度出場しています。印象に残っているのは、2度目の出場となった15年の夏の大会1回戦、2年生エースの草海投手が相手打線を完封して、学校としての甲子園初勝利を飾ったことですね。キレのあるいい投手でした。長野県の高校野球といえば、その代名詞は松商学園。そして戦前は長野中(現長野)なども強く、選抜も選手権も、第2回から出場を続ける強豪県ですね。しかし戦後は北信越地区の中でも新興の石川、福井、そして隣県の新潟などにも押されてすっかり「野球後進県」のイメージすら定着してしまいました。選抜でも出場自体がなかなかままならず、91年に上田投手を擁した松商学園が突如決勝に進出した年を除き、なかなか勝利にもたどり着けない年が多くなっています。ここ20年間では6校目の選抜となるこの上田西、果たしてどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。そういえば長野の高校野球としては、松本市、長野市、佐久市などと比較して上田市はなかなか甲子園に行くことができませんでしたね。しかしかつて、87年の上田、88年の上田東と、2年連続して上田勢が甲子園出場を勝ち取った時がありました。そのことははっきりとワタシも記憶しています。87年の上田はしんがりの登場というのが記憶にあり、88年の上田東は、優勝した広島商に食い下がって素晴らしい戦いをしたという記憶があります。両校ともに勝利で校歌をうたうことはできませんでしたが、鮮やかな記憶として残っています。そして今、強豪としての地位を確立しつつある上田西。今度はどんな記憶に残る戦いをしてくれるのか。。。。やっぱり高校野球は、記録より記憶。何十年経っても「ああ、あの時はすごかったなあ・・・・」といわれるような戦い、それこそが”華”です。


(つづく)


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