≪選抜出場校の思い出 その3≫
東海代表 日大三島(静岡) 2度目(38年ぶり)
夏1度出場 甲子園通算 1勝2敗
あの報徳学園の名将にして、高校日本代表の監督も歴任した永田監督が、日大三島の監督に就任すると聞いた時は驚きました。永田監督といえば「闘将」という感じで、ベンチの前で吠えている姿が思い浮かびます。実はワタシ、まだまだ幼少の我が息子を連れて、報徳の練習試合を見に行ったことがあります。まさにベンチの横で観戦していたのですが、永田監督のあまりのド迫力に、我が息子すっかり毒気を抜かれてしょげかえり、元気をなくしてしまったという事もありました。。。。昔の思い出です。さて、その永田監督が就任した日大三島。春夏ともに1度ずつの甲子園経験がありますが、夏は89年に初戦大敗で、ワタシもほとんど記憶には残っていません。しかし、春に唯一出場した84年の選抜1回戦は、鮮やかに今も記憶に残っています。初戦の相手は大阪の公立進学校、三国ヶ丘。この80年代の初頭、大阪はPLの天下でしたが、一方で公立校が甲子園にやってきて、わかせてくれました。82年夏の神前監督に率いられた春日丘は一大センセーションを巻き起こしましたが、この三国ヶ丘も負けず劣らず大歓声を受けて甲子園に登場しました。日大三島は、春夏初出場ながら三国ケ丘に比べて地味な存在。試合は引き立て役に回ってしまった日大三島が常に劣勢を強いられて2-4のビハインドで最終回を迎えました。しかしここから今までためていたものが爆発して大反撃。三国ケ丘は最終回を守り切ろうと固くなり、そこに付け込んだ日大三島が相手のミスにも助けられて、一気に3点を挙げての大まくり勝ち。歓喜のサヨナラでこの「初顔対決」を制し、今に至るまでの甲子園での唯一の白星を挙げたのでした。ちなみにその後の2回戦で対戦したのが、この大会大旋風を巻き起こす大船渡。一気に攻め立てられ、打線も好投手金野に抑え込まれての完敗。そこから長いトンネルに突入していってしまいます。さて、今大会の日大三島はどんな戦いを見せてくれるでしょうか。あの選抜のように終盤の粘りか、それとも永田監督直伝の甲子園戦法で勝ちを手繰り寄せるのか。注目されます。
東海代表 大垣日大(岐阜) 4度目(11年ぶり) 準優勝3回
夏5度出場 甲子園通算 13勝8敗
物議をかもした出場校の選考の末に11年ぶりの出場を飾った大垣日大。77歳の名将、阪口監督が率い、就任2年で甲子園初出場を果たしてから15年。出始めのころの衝撃は薄れましたが、まだまだ元気な阪口監督の下、オーソドックスなチーム作りで頂点を目指しているチームです。選抜に初出場した07年は、全国に衝撃を与える戦いぶりでした。もともと阪口監督が新任校での初采配という事で注目されていたチームでしたが、その戦いぶりは堂々としたもの。1,2回戦を完勝して準々決勝も快勝。準決勝は優勝候補の帝京に対して初回2点を先制されながら、すぐさま4点を返して逆転。エース森田の好投で、堂々と逃げ切っての勝利でした。決勝がまさかの東海決戦、常葉菊川との対決になったのには驚きました。ギリギリの勝負で敗れて「初出場初優勝」とはなりませんでしたが、夏もその力を維持して甲子園にやってきて、堂々と8強まで勝ち進んだのにはさらに驚きました。「さすがは阪口監督」という声が、たくさん飛んでいましたね。ちなみに夏も8強で敗れたのは常葉菊川。リベンジはならずでした。大垣日大はその後も力を維持して、10年のチームは前年秋の明治神宮大会で一足先に「全国制覇」を達成し、選抜でも強打と2枚看板の投手力で4強まで進みました。この頃になると、阪口監督の「複数校での全国制覇」の夢はすぐそこ・・・・・と思っていましたが、その後はなかなか勝ち運に恵まれずに、ベテラン監督は喜寿を迎えています。全国の高校野球監督の中でも最高齢ではないでしょうかね。(数年前には80代の監督もいましたが、今はどうなんでしょうか。)かつての東邦の監督時代から、いわゆる「マジック」と言われる作戦などを駆使して勝つ監督ではなく、しっかりと選手を育成して、グラウンドではオーソドックスな戦法で勝ちに結び付ける監督です。この阪口監督、昭和の時代にバンビ坂本、左腕山田を擁して準優勝2度、平成の時代にはその左腕山田で選抜優勝、そして前述の森田で準優勝に輝いています。特に選抜には強く「春の東邦(阪口)」とも呼ばれていたので、もしかすると現役最後の甲子園になるかもしれない今回の春、上位まで駆け上がる快進撃を見せてくれるかもしれません。
北信越代表 敦賀気比(福井) 8度目(5年ぶり)
夏9度出場 優勝1回 甲子園通算 27勝15敗
昨年も春夏連続出場を飾り、もうすっかり「北陸路の高校野球の代名詞」的なチームになっている敦賀気比。その豪快無比な打線で今年も全国の頂点を狙っています。東監督が就任した11年から敦賀気比は華麗なる復活を遂げて、春夏で甲子園に登場しなかったのは17年のみ。同じ福井県勢としてはかつての福井商と同じぐらいの出場頻度ですが、大きく違うのはこの敦賀気比は出場する都度に「優勝候補」に名を連ねていることです。平沼を擁して選抜制覇を飾った15年のチームは強かったですが、近年のチームもその時代とそん色ないほどの力を持ったチーム。明治神宮大会でも、優勝した大阪桐蔭と最も互角に近く戦ったチームであり、昨年の甲子園経験も豊富な上加世田が完全復活すれば覇権に近づいていくチームだと思われ、今大会も大きな期待を寄せられています。
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90年代にすい星のように高校野球界に登場し、そこから今「第2のピーク」を迎えている敦賀気比。星稜などとともに、「強い北陸」を作っていくチームとして全国のチームに恐れられています。平沼投手(日ハム)を擁して驚きの強打で全国制覇を飾った選抜から6年。その後も笠島投手+強打という「いつもの敦賀気比のチーム作り」で驚かせてくれた一昨年のチームなど、「2度目の全国制覇」へ着々と進んできている感じがする好チームです。高知、鳥取などといつも「全国最小」の出場校数を競う福井県ですが、代表校はいつも甲子園に爪痕を残してくれる存在で、野球熱が高いのが傍から見ていてもわかるほど。今年のチームも粘り強さを持っていて、県民の期待は高まっていることでしょう。
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記憶にも新しい、昨春の選抜優勝校。今年は堂々と、連覇を狙いに行きます。敦賀気比は、これからチームとしてのピークを迎える気配がプンプン。強豪として、甲子園に君臨するチームとなるでしょうが、このチームも2つの時期に分けられます。一つは、渡辺元監督がチームを作り甲子園の常連にのし上がった90年代。そして低迷期を経て、現在の東監督が全国の強豪と伍していくチームを作った現在です。まずは渡辺監督がチームを作り、強豪に育て上げた90年代から。このチーム、シニアの名監督だった渡辺監督が高校に転出し、京都・福井のシニアの有望な選手を集めてチームを作り福井商が君臨していた福井県高校野球界に殴り込みをかけるというので、当初からかなり話題になっていました。『果たして、高校野球の名門が勝つのか?それとも新参のクラブチームのような学校が勝つのか?』注目されていましたが、素材と野球力で勝負の敦賀気比は、周りの批判など何のそので強豪チームを作り上げ、短期間で結果を出しました。エース内藤を擁して94年に福井商の壁を破り甲子園に初出場すると、翌95年の連続出場時には全国制覇寸前の4強に進出。そして97年には三上投手と快足・東出選手で8強へ。この時の選手に、現在の東監督がいますね。チームのテイストはまさに”クラブチーム”。シニアの野球を見ているような感じでしたが、圧倒的な選手の素材力には、唸らされるものがありました。そしてその集大成と言えるようなチームが、00年の内海(巨人)-李(元巨人)の強力バッテリーを擁したチームでしたね。このチームは強かった。甲子園でも優勝候補の筆頭に上がるのは確実とみられていましたが、不祥事で選抜を辞退。そしてチームの歯車は狂い、その夏は圧勝するはずの県大会決勝でまさかのサヨナラ負け。この強いチームが甲子園の土を踏めなかったことで、その後チームの歯車は狂い、元に戻すのに時間がかかりましたね。00年代は、『あの強かった敦賀気比はどこへ』という様な感じで、時折甲子園には出るものの、また時代は福井商へと先祖返りした感じとなりました。しかし08年、東監督がコーチとしてチームにかかわるようになると、チームはまた右肩上がりの成長曲線を描くようになりました。岸本投手を擁した13年春に『こんなに強かったっけ?』という様な驚きとともに4強進出。そして14年夏には、驚きの強打で完全復活の4強入り。そして15年春。14年の4強を経験した大黒柱、エースの平沼を擁してついに、『北陸勢初』の全国制覇を成し遂げたのでした。今や完全に『顔と名前、ユニで勝負できるチーム』になりつつある敦賀気比。大阪桐蔭らとともに、時代を作っていくチームとして、高校野球界に君臨する”予定”です。
北信越代表 星 稜(石川) 15度目(2年ぶり)
夏20度出場 準優勝2回 甲子園通算 33勝33敗
またまた星稜が甲子園にやってきます。1970年代の速球王・小松を擁してセンセーショナルな全国デビュー、箕島との延長18回の激闘、1990年代の松井秀喜の5打席連続敬遠、傷だらけのエース・山本で初めての決勝進出、そして2010年代、最終回8点差大逆転で甲子園をつかむ奇跡、そして記憶にも新しい、超絶エース・奥川を擁して決勝進出。。。。様々な記憶が頭の中によみがえってくるチームですが、あの山下智茂名誉監督に続いてカリスマ監督になる雰囲気を醸し出していた林監督がこの春をもって退任することを発表。まだ46歳で、円熟味が増すのはこれからと思っていたので非常に残念ではありますが、今大会は是非、「星稜野球第2章」の最後を飾る戦いをしてほしいと思っています。林監督は、いい意味で高校野球という鎖に縛られない柔軟な監督さんで、それゆえ栄冠に向かって最短コースを通ってはいなかったかもしれませんが、ここ数年でグッと「林メソッドの成果」が形となって表れてきていたので、個人的にはとても残念に思っています。智辯和歌山・高嶋元監督の言う「高校野球10年周期」の「最良の10年」に突入してきたチームだと思っていましたので、後任となる監督さんにも、ぜひ志を受け継いで「星稜らしい野球」を追求していってほしいと思います。そして、まだ見ぬ真紅、紫紺の大旗をその腕に抱く日を、楽しみにしています。
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昨年奥川を擁して甲子園を席巻した星稜。その戦いぶりはまさに「激闘王」の言葉そのまま。最後は敗れてまたも栄冠には届かなかったものの、やはり星稜は「甲子園の美しい敗者」そのもので、見ている者に強烈なインパクトを与えてくれる存在でしたね。今や「星稜に言葉はいらない」って感じの存在なのですが、今年のチームにもスーパー球児である内山がいたり、先輩である奥川が大絶賛する1年生がいたりと、話題には事欠きません。おまけに今年は全国で暖冬傾向が強く、雪国である金沢でもしっかり調整ができたのではないかと思っています。今年もあの黄色と青のユニフォームを見ると、心が弾んでしまうワタシです。さて、今年は聖地でどんな戦いを見せてくれるのでしょうか。
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さあ、星稜の登場です。昨年春夏連続出場を飾り、春夏ともに大激戦を繰り広げたうえ甲子園を去った星稜。しかしそのレギュラーメンバーの主要な選手は今年のチームに残り、いよいよ今年の「星稜史上最強チーム」で捲土重来を期しています。”甲子園最速”のエース小松を擁したチームや”神様の創った試合”で箕島と延長18回を戦ったチーム、はたまた松井を擁して”5打席連続敬遠”で敗れ去った伝説のチームや、クレバーなエース山本で星稜初の決勝に進出したチームなど、枚挙にいとまがないほどの好チームを甲子園に送り込んできた星稜ですが、今年ほど期待される年もなかったのではないでしょうか。ドラ1確実と言われる超絶なエース奥川に、寺沢、寺西、萩原など他校に行ったらエースになる実力派がわんさかとベンチに控えていて、盤石な投手陣を形成しています。そして打撃は、昨年春、夏ともに大打撃戦を展開して敗れ去ったものの「星稜の打線はものすごい」と甲子園ファンに印象付けた猛打線が健在。どこをどう切り取っても、今年の狙いは「悲願の初全国制覇」しかありません。それを十分に達成できる力を持ったチームです。今年の星稜は、見る者をワクワクさせる力を持った強豪。このチームを見るのが、楽しみで仕方ありません。
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さあ、”北信越の雄”星稜の登場です。この星稜のあの黄色いユニフォームに、今もたくさんのファンが声援を送っています。とにかく星稜というと、ドラマチックなチームという形容詞をつけたくなりますが、力を伸ばしたのは山下監督の時代から。センセーショナルな実質の甲子園デビューは1976年でしょう。ワタシもこの大会の前、「星稜」という名前を聞いても、何も反応できるものはありませんでしたが、大会が始まってみると驚きばかり。2年生エース・小松(中日)の球の、そりゃあもう速いこと速いこと。3回戦では当時の超大型チームである天理を、接戦の末破って8強へ。そしてそこでも小松は、豊見城の赤嶺と堂々と投げあって撃破して4強まで進出しました。その大会、海星の酒井をはじめ、好投手が目白押しの大会でしたが、大会前には全く無名だった小松が、最も速い球を投げていたという記憶があります。翌年は3年生になった小松を擁して春夏ともに甲子園出場も、打線が振るわず両方ともに初戦敗退。しかし夏の初戦、智弁学園・山口との素晴らしい投手戦は、見るものに高校野球の面白さを存分に味あわせてくれました。思えばこの試合、星稜ベンチには山下監督、智弁ベンチには高島監督(現智辯和歌山)という『稀代の名将』が、若き指揮官としてどっかりと腰を下ろしていたんですね。感慨深いものがあります。その後の歩みは周知のの通りです。甲子園の常連となった星稜が一番輝いたのが、79年の【伝説の延長18回】箕島との激闘です。延長で2回にわたる奇跡の同点アーチ、そして1塁手・加藤の”伝説のつまずき”など、今もって「甲子園最大の激闘」「神様が創った試合」といわれる試合を経て、高校野球ファンの間で”星稜ファン”は爆発的に増えた気がします。そして時を経て、「国民栄誉賞男」松井秀喜が登場。92年夏の選手権では、あの「5打席連続敬遠」という社会現象にまでなった試合が行われました。そしてその試合での松井のあまりにも素晴らしい試合態度、山下監督の男気などにも触れることができ、星稜はチームとしてのピークを迎えたと思います。95年には頭脳派エースの山本を擁して快進撃。決勝までたどり着くも、選手はもうボロボロで試合すらできないのではと思われる状態でした。最後には帝京に敗れて山下監督の”夢”であった全国制覇は逃しましたが、決勝では何かといわくつきだった相手の帝京が完全に”ヒール”の役割になり、スタンドは星稜の応援一色でしたね。その後山下監督の退任とともに星稜は力を落としていき、2000年代に入るとなかなか甲子園への出場すら難しい時期を過ごしました。しかし2014年、県大会決勝で9回に8点差をひっくり返すという「星稜の奇跡」という出来事があり甲子園へ。そして久しぶりに甲子園でも暴れ、『星稜復活』を力強くアピールしてくれました。時代は変わっていきますが、星稜は全国強豪に成長した付属中学からの選手がチームの骨格を担い、着実に「初の全国制覇」を狙うチームへと変貌を遂げています。北陸勢では敦賀気比があセンバツを制覇し、紫紺の大旗を持ち帰りましたが、まだ真紅の大旗は北陸路にはためいてはいません。その栄光を狙って、「ニュー星稜」が今年も甲子園にやってきます。ドラマチックな試合が見たいのなら、星稜の試合は、見逃せませんよ
21世紀枠 丹 生 (福井) 初出場
夏出場なし
21世紀枠としては、意外にも東北や四国、山陰などと比較して非常に”冷遇”されていた北信越地区から、福井の丹生高校が選出されました。地区別でいうと最も選出頻度が低かった北信越からの選出で、関係者の喜びは大きいでしょうね。丹生という名前を意識したのは、やはり19年の玉村投手を擁した時でしょうか。決勝まで進出して、決勝でも強豪の敦賀気比に食い下がった試合は見事でした。ワタシはこの試合を見て、福井、高知、鳥取、和歌山当たりの「4勝すれば優勝」という参加校の少ない地区なら、まだまだ「名もなき公立校」であっても超絶なエースがいれば、勝ち抜ける可能性はあるんだなあ・・・という事を、改めて感じました。そしてなんとなくではありますが、このチーム気になってはいたんです。その丹生が選抜に出場。楽しみですね。今年のチームは戦績を見ると、玉村がいたチームよりはかなり厳しいとは思われます。新チーム結成以来の勝敗では負け越し、チーム打率は2割台、防御率は5点台後半。。。。。不安な要素を上げれば枚挙にいとまがありませんが、それでも「やってみなけりゃわからない」のが野球、特に高校野球というもの。いっちょジャイアントキリング、起こしてみますか?!
(つづく)