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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

選抜出場校  こんなこと思い出しました (その9)

2016年02月20日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第9回『九州編』です。


≪選抜出場校 思い出編9≫


九州代表  秀岳館(熊本)     2度目(13年ぶり)
                            夏1度出場  甲子園通算1勝2敗  

秀岳館高校は、今年のセンバツでは『最も注目される学校』の一つです。何しろ『あの』鍛冶舎巧さんが監督となって戻ってきた学校です。秀岳館というよりも、『鍛冶舎ボーイズ』がどこまで甲子園で暴れるのか、そのことに注目が集まります。2010年の夏の甲子園を最後として、『さわやか解説』で人気のあった鍛冶舎巧氏がNHKの高校野球解説を”卒業”する時、ワタシはこんな記事を書きました。

当時の記事 ⇒ http://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/8690b8bffb973a3896ca5e0b817a00e6

鍛冶舎さんの弁舌さわやかで、それでいて鋭い指摘は、NHK高校野球解説の華と言ってもいい存在で、その解説を楽しみにしていたファンも多いことでしょう。そういうファンにとっては、鍛冶舎さんの率いるチームが甲子園で戦うということは、本当に注目に値することですね。特に今年のチーム、鍛冶舎さんが情熱を傾けて育ててきた中学硬式野球の『枚方ボーイズ』のメンバーを中心に、中学時代には激戦区大阪で数々の栄光を手にしたメンバー揃いだけに、『初めての甲子園で、いきなり優勝』は決して夢物語ではありません。それだけ力を持っているチームと言えますね。
もともと秀岳館は、八代第一として『甲子園一歩手前』まで何度も進出するチームでしたが、熊本工、九州学院を中心とした名門校の厚い壁に阻まれ、長いこと”甲子園初出場”を手にすることが出来ませんでした。初めての歓喜は、ちょうど校名を秀岳館と代えた年の夏でしたね。初戦シードの位置で迎えた甲子園の初戦(2回戦)、相手は最も当たりたくない相手である、春の選抜優勝の常総学院でした。常総は初戦を大勝して『強いなあ』というオーラを漂わせての2戦目。一方の秀岳館は初出場で、おまけに散々待たされた挙句の初戦。『もう戦う前から、試合の趨勢は見えているなあ』なんて思われていた試合でしたが、秀岳館は見事すぎる戦いで、3-0とこの”ディフェンディングチャンピオン”を葬り去り、一躍全国の舞台でその名前をとどろかせました。エースの山田投手が、常総学院の強打線に対して、何度もピンチを迎えながら冷静なピッチングで抑え込んでいった試合、よく覚えています。『いつか打てるだろう』という常総に対して、だんだん試合が進むとともに山田投手のピッチングが冴えて、『おやおや』と言っている間に最後まで行ったという覚えがありますね。2戦目では横浜に敗れ、翌々年出場したセンバツでは花咲徳栄と延長の激闘を繰り広げたこの秀岳館。出場回数こそ少ないものの、『甲子園では何かやる』という印象のチームです。鍛冶舎監督にチームを託し、『全国制覇を狙う』この秀岳館から、しばらくは目が離せませんね。




九州代表   海星(長崎)      5度目(15年ぶり)
                             夏17度出場 甲子園通算 10勝21敗    

智弁和歌山の高嶋監督の母校でもあり、阪神の平田コーチら好選手を輩出した名門校である海星。夏は17度もの出場を誇っていますが、春は4度出場してまだ勝利を挙げていません。海星の歴史は、甲子園での苦杯の歴史と言ってもいいかもしれません。しかしそんな中で、一度だけピッカピカに輝いた大会があります。それが76年(昭和51年)の夏の大会。そう、オールドファンには懐かしい、サッシー酒井投手が大活躍した年です。その年からさかのぼること3年前、甲子園は『戦後最高の投手』と言われた江川(作新学院)を大会に迎え、大いに沸きました。それから3年後のこの年、春先から高校野球界では『江川に勝るとも劣らない剛腕がいる』と評判の一人の投手に、注目が集まりました。その人こそ酒井投手。何しろ、『投げれば三振の山』は江川のそれと同じ。長身から投げ下ろす右腕本格派だっただけに、江川との比較に世間は沸き、『酒井を甲子園で見たいなあ』という声しきりでした。その酒井。この夏の予選の島原中央戦で、どえらいことをやってのけました。何しろ6回1死までだったかなあ、そこまで相手を『すべて三振』に切って取り、全国に『酒井は凄い!』を強く印象付けたのでした。何しろその頃は、今のようにyou tubeもなけりゃあ、地方予選の映像もニュースに映されない時代のことですから、映像すら見たことのない『まだ見ぬ剛腕』に対する私たちファンの”妄想”はMAXまで膨れ上がっていましたね。何しろこの年の甲子園。センバツ優勝校で”原爆打線”と剛腕黒田の超大型チームである広島の崇徳、そしてあの”若大将”原辰徳が3年になった東海大相模が『東西の横綱』にでんと座っていましたから、まれにみる注目を集めた大会でした。そのほかにも”アイドル”である豊見城の赤嶺とか、甲子園でブレークする星稜の小松、そして強豪の名をほしいままにした柳川など、強豪が多かった。結局決勝は意外や意外、その有力校や有力選手がすべて倒れ、東京の桜美林vs大阪のPLという、まさかの全員野球のチーム同士の『大都市決戦』となったのでした。
そんな中での酒井のピッチングは、やっぱりすごかったですね。特にその真価は、3回戦の崇徳との試合で発揮されました。海星・酒井vs崇徳・黒田の『めっちゃすごかった』投げ合いは、これまでの甲子園の歴史の中でも、忘れることのできない凄いものでした。ドシーンと『剛球』を投げる酒井に対して、『ビシッ』とキレキレの球を投げる黒田。『ドラ1確実』と言われた両投手の投げ合いを、観衆はかたずをのんで見守りました。結局9回を投げて、酒井は被安打2、黒田は被安打3、両投手の四死球は2ずつという凄い投げ合いでした。決勝点は、投手と捕手の前にコロコロと転がった緩いゴロが内野安打になったという不運なもの。これがなかったら、両投手が崩れる気配を全く見せなかったため、0-0で延長18回まで行ったのでは……というのがワタシの”妄想”です。それほど『すごかった』というイメージが、頭の中を離れない試合です。あの試合こそが、海星の長い歴史の中でも『もっとも甲子園で輝いた』試合なのではないでしょうか。近年では、永江(西武)がエースとして投げた2011年の東洋大姫路戦が印象に残っています。東洋大姫路の監督が『ルールを勘違いして』エースの原をおろしてしまった事から、後半一気に緊迫感が高まった試合でした。時は流れ、あの時のエース原はヤクルトにドラ1で入団、一方『西武の希望』と言われた5年目の永江は、なんだかまだ芽を出せずにいます。永江~~~そろそろブレークしろよ~~。(西武ファンの、心からの叫び)




九州代表   日南学園(宮崎)     5度目(12年ぶり)
                                夏7度出場 甲子園通算 11勝11敗     

九州の中で、甲子園で戦績を残せていなかった宮崎県勢。そんな中で、90年代中ごろから突如として高校野球戦線に顔を出したこの日南学園。一時は『いつ全国制覇?』と言われ、強豪として名をはせましたが、近年はやや勢いを落としていますかね。95年のセンバツで初出場ながらいきなり8強入りしたこの日南学園は、その夏も初出場を飾り、一気に強豪の仲間入り。98年のチームは主砲に赤田(元西武)で2勝、その時2年生エースだった春永を擁した翌年のチームは、センバツでは優勝候補の一角にあげられて見事8強入りを果たしました。そしてチーム力がピークだったのは、何と言っても01年夏。『甲子園最速』の寺原(SB)を擁して、甲子園の話題を独占しました。寺原は、これまでの剛腕と比べると『球は速いけど、完成度はまだまだ』の投手でしたが、それでもその【速さ】が凄かった。甲子園最速の158キロ(当時)は、2回戦の玉野光南戦。しかしまったく本調子ではなかった寺原は、終盤つかまって、同点の9回裏は四球連発でストライクが入らず四苦八苦。最後の方は、『最速王』が泣く、ストライクを取りに行く130キロ程度の『半速球』の連発で、何とか抑えたのでした。この試合、ネット裏で観戦していたワタシ。『ああ、これじゃあ、優勝はできねえなあ』と思ったものでしたが、やはり試合巧者の横浜に足元をすくわれて、悲願達成はなりませんでしたね。チームの総合力という点では、この01年のチームよりもプロに入団した有馬・中崎の『2年生左腕コンビ』を擁した07年のチームの方が、上だったかもしれません。3回戦の『選抜優勝校』常葉菊川戦で見せた見事な野球で、この試合を勝っていれば上位進出は間違いなかった気がします。その後はチームを一から作り上げた小川監督が去り、大型チームは作り上げることが難しくなっている気がします。11年、14年と夏の甲子園に進出するものの、いずれも初戦敗退で、ライバルの延岡学園が甲子園準優勝に輝いたのとは対照的な戦績となっています。このセンバツで再度『アップトレンド』にチームを導いていけるのか。注目されます。




九州代表   鹿児島実(鹿児島)     8度目(5年ぶり)
                                  夏18度出場 甲子園通算 32勝25敗  優勝1回   

高校野球で、『南の名門校』と言えば真っ先に名前が上がるのがこの鹿児島実。名将・久保監督が長くチームを率いて全国屈指の強豪に育て上げたこのチームは、甲子園では何度もファンの心に残る激闘を繰り広げている【激闘王】ですね。私などオールドファンが真っ先に思い浮かべるのは、やっぱりエース定岡を擁して東海大相模と延長15回の大激闘を戦った74年の準々決勝でしょうね。先日NHKが『故郷の心に残るベストゲーム』でも、鹿児島県の項で挙げられていたのは、この試合でした。夜の帳が下りて、カクテル光線に浮かび上がる甲子園、その中で繰り広げられる激闘は、『美しい試合』だったなあ。。。。。。。そんな印象ですね。延長でのサヨナラ負けを防いだ鹿児島実・中村2塁手のダイビングキャッチ。その瞬間の写真、『高校野球史上で、最も素晴らしい写真の一つ』とワタシは今でも思っています。記録を見ると、鹿児島実のチームとしてのピークは90年代ですね。90年のチームの内之倉のホームランは、華がありました。翌年もエース不在をものともしない活躍で、この2年間で4季連続8強以上という素晴らしい成績を残していますね。そして96年センバツ、エース下窪でついに悲願の全国制覇を成し遂げました。久保監督率いる鹿児島実と櫨山監督率いる樟南(鹿児島商工)、全国レベルの強豪の両ライバルの、どちらが一体全国制覇を成し遂げるかという苛烈な競争に、終止符が打たれました。このセンバツ、鹿児島実は決してチームの調子が良かったとは思えませんでしたが、エース下窪がとにかく頑張って、『守りの鹿実』という、今までのチームカラーからは考えられない勝ち進み方での全国制覇でした。98年の杉内(巨人)のノーヒットノーランも、印象深い出来事です。近年も、08年、10年、11年、14年など、出てくるたびに甲子園に確かな足跡を残す鹿児島実というチーム。胸に”鹿実”と漢字で入ったシンプルなユニフォーム、いつも甲子園のグラウンドでは、とても映えますね。今年のチームも、いったいどんな戦いを見せてくれるのか、楽しみです。




(つづく)


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