amber's company

基本的には猫日記です。

んで、次。

2006-02-26 04:43:17 | Weblog
着地の瞬間。
計算通り、黒小僧寄りに着地。
爺の事は踏まないように気を付けているようだ。
つまり、黒小僧=踏んでもよい。


最近更新時間がおかしくなってるな・・・

2コマ前。

2006-02-25 08:12:52 | Weblog
22日の3番目画像に続く2コマ前。
もはや説明は要らないだろう・・・


ところで。
様々な理由で昼夜が逆転してしまっているので、
女子フィギュアをLIVEでばっちり観た。
作業しながら背中で聞いてた(否ジュリー)ので、
全部を観たわけではないけど。
当然、日本人選手出場時は手を止めて観賞した。

う~ん、感動。

最近のフィギュアスケートを観ているといつも思うのだが、
昔に比べて転倒する選手がとても多いように感じる。
それだけ全体の技術が向上していて、
多少の無理をしなければ上位に食い込めないのだろうと思う。

私がはっきり覚えている選手は、男子は五十嵐(だった?)、
女子では伊藤みどりのデビュー(15~6歳だったか?)当時。
女子で3回転を飛べる選手はあまりいなくて、
アクセルなんてさらに希。
ブンブン回っているだけでもスゴイ点数が出たものだ。
それでも当時は、表現力があって
スケーティングの巧い選手が上位だった。
3回転を飛べていたのかどうかの確かな記憶は無いが、
ジャネット・リンなんかもその類だったように思う。

その後、特出した技を持っている選手が強くなり、
トリプルアクセルのみどりさんや
ビールマンがその典型だったような気がする。
で、さらに全体のレベルが上がった今は、
技だけでは無く美しさもなければ勝てない時代なのだろう。
美しくあるためには当然、
スケーティングテクニックも高くなければならない。

・・・などと、ご多分に漏れず、
にわか解説者のような事を言ってみる今日このごろ。
それにしても、荒川静香さん、素晴らしかった。
技を磨き、修練する事の価値を目の当たりにさせられた。
己を振り返って考えさせられる。


ま、壱はほっといても技を磨き続けてるけどね。
襲撃専門で。

結末。

2006-02-24 02:13:00 | Weblog
んでこれが結末。
私の位置からは確認できなかったものの、
黒小僧の背中に対して
ちょっとした暴力行為が行われた模様。

ほんとはも少し続きもあるんだけど、
とりあえずここまで。


時間が無いので、
今日はこれだけ。

工場跡風。

2006-02-23 02:37:39 | Weblog
月曜日の事。土砂降りの中、春日町から帰宅しようと思って手近の地下鉄口に飛び込んだところ、そこは都営地下鉄の穴だった。春日町から馬場に出るには、飯田橋で東西線に乗り換えなければならない。営団南北線と都営大江戸線どちらでもいいのだが、料金的には当然南北線に乗りたいわけだ。
けど、外は土砂降り、靴はびしょびしょ、階段にはエスカレーターも無い、ときていたので、しぶしぶそのまま都営の切符を買った。
しかし、そこから大江戸線までは三田線のホームをまるごと経由しなければ辿り着けないというちょっとした罠もありつつ・・・飯田橋での乗り換え時にちょっとした感動を覚えた。

飯田橋は有楽町線、東西線、南北線、大江戸線が乗り入れていて、地下はちょっとしたターミナル状態。営団同士の乗り換えをした事は何度もあるのだが、都営→営団の乗り継ぎをした事は無かった。そんなわけで今回初めて体験したのだが、大江戸線から営団への連絡通路はちょっとスゴイ。

道幅は狭く、ついでにどことなく薄暗い。同じ地下でも営団同士が連絡している空間はとても広く、通路でさえ視野は横に広がっているのに、とても同じ駅内(厳密に言えば別駅なのだけど)とは思えない。
沢山の曲がり角(90度じゃないとこがミソ)、乱立するエスカレーターと階段群。
とあるエスカレーターの数メートル後ろにさらに別の小さいエスカレーターと階段が並んでいるが、それぞれがどこへ辿り着くのかは一見しただけではまったくわからない、といった具合。
それぞれのエスカレーターや階段はどれもとても小さく、登り口だけが見えている。通路に面してもいくつかの階段があり、たぶんそれらは上に建っているビルに繋がっているのだとは思うのだが、壁はどこも妙に古びている。そんな多数の出口(?)に入って行く人も皆無だし、通路を通る人自体も少なく、全体的にかなり廃墟風味。FFの工場跡もかくや、というアヤシイ雰囲気を醸し出している。

だいたいにおいて、大江戸線のホームから上がってくる時、コンクリート剥き出しの天井にパイプに色を塗っただけ(しかも緑)という意味不明の飾りが幾何学的に繋げてある(単なるパイプなので飾りにしようと思ったら幾何学的になるのも道理なのだが)のを目にした時から違和感は感じていたのだが・・・あまりに楽しくて、ちょっと興奮してしまった。
また行ってみたいけど、わざわざ都営に乗ると料金が嵩むので・・・残念。

※ちょっと興奮状態だったので、細部の印象には偽りがあるかもしれません・・・念のためお断り。


本日の画像は、4枚目。
壱の向きが変わっているのがポイント。

ご無沙汰。

2006-02-22 03:47:09 | Weblog
しとります。
いろんな不徳の致すところです。
面目ないです。

で、勢揃いでお詫び(?)。
珍しく全員意識のある状態だったから・・・
連作の途中画像となっとります。
これは3番目。

更新停止中にもそれなりに書きたい事があったので、
適当に振り返りながら掲載するつもり。
(『つもり』ってとこが弱気)

ないない。

2006-02-13 01:44:06 | Weblog
「貧乏ひま有り」が自慢だったのに、
近頃何故か「貧乏ひま無し(正当)」状態。
ないないづくし。
腑に落ちない・・・
なんか色々と間違ってるらしい。


コイツらのためだけに頑張っていると言っても
過言ではないのに・・・寝てばかり・・・
特に、壱ときたら・・・
寝てるか破壊工作してるかどっちかしかない。

かなりへべれけ。

2006-02-10 23:57:05 | Weblog
「うすのろばかまぬけ」。
各々4枚の手札を持ち、「いっせーのーせっ!」などと間抜けな掛け声と共に不用なカードを隣にまわす・・・
カードが乱れ飛び、グラスは倒れ、つまみは宙を舞い・・・ある者は生爪を剥がし、またある者は手の甲から鮮血を滴らせる、あの狂乱のカードゲーム。
今度人が集まる時にでも提案してみよう。
大の大人が目の色変えて熱狂する姿は、
さぞかし醜くて清々しいものだろう。
ちなみに、自宅ではなく、よその家でやるのが賢明だろうな。

などと脈絡なく考えていた本日の帰宅電車の中。
思考経路=高田馬場→ばば→ばばぬき→トランプ→うすのろ~
すっかり酔っぱらった私の思考は激しく短絡的。


画像は、とりあえず
毎度うっとうしい程 LOVE LOVE のおっさんず。

終了。

2006-02-09 23:51:32 | Weblog
というわけで、鳥取ネタ終了。
最後は鳥取→新大阪の特急車内から。
なんとなく「真っ白」だという事は伝わるかな・・・
迂闊にもデジカメを忘れてしまったので、
全部携帯での撮影で残念。

今回の岡山&鳥取ツアーは、
5年前に亡くなった父方の祖母の墓参りと
年明けに転んで頭を打って入院している
母方の祖母のお見舞いを目的としていた。

何かと理由をつけて故郷に寄りつかない父が、何かの拍子に「気になる」的発言をした事から話が進んだ。にもかかわらず、ぎりぎりまで「墓参りはお盆にするもんだ」とか、「わしゃ別に行きたくない」などと抵抗していたが、とっくに先方にも話をつけてしまっていたので、強行。

今は亡き母は5人姉弟の長女で、ひとりだけ年が離れていた事から、姉弟の中では絶対権力者だった。私たち姉妹(実は三姉妹)が子供の頃は、夏休みになると必ずと言っていいほど、母のすぐ下の叔母のところや、茨城で働く叔父の元へ預けられていた。祖母がいる所を狙って、夏休みまるまるになる事もあった。
すでに家庭を構えて私と同い年の従兄弟のいた叔母はまだしも、叔父なぞは会社の単身者用マンションに住んでいた時期もあったのに、よく預かってくれたものだと感心する。
大人になってから母に聞いてみた事があるのだが、「子供の世話から解放されて、大変幸せだった」とのたまっていた。小学校を卒業するまでの就寝時間を夜8時に設定されて、何があっても厳守させられていたのと同じ理由だ。「自分の時間が持ちたいから」。
見事だ。

預けられていた間、平日は祖母が近場の海に連れて行ってくれ、叔父叔母は休日ごとに(叔母もフルタイムで働いていた)遠くの海や観光地まで連れ出してくれたものだ。鳥取に戻っていた末の叔父も、休日にはよく面倒をみてくれた。
当時は気付かなかったが、大変な迷惑だった事と思う。
私なら絶対拒否する。

そんなわけで、姉である我が母からおしつけられた姪っ子たちを、嫌がりもせず面倒みてくれた叔父叔母には大変感謝している。そして当然、めったに会わない父方の親戚よりも親しいし、気持ちも近い。

そんなことも、父は気に入らないらしい。
「おまいらは、鳥取側だからな」などと言う。
元々敵同士でもないのに、意味わからん。
そういえば、もともと「奴ら」「わしら」という組み分けをよくする人でもある。この場合の「わしら」は彼独りを指す事が多いのだが・・・。
「だったら、もっと頻繁に行き来して刷り込めば良かったんだよ」と言うと黙る。

そんな父も、いざ気のいい鳥取人に囲まれてしまうとまんざらでもなく嬉しそうで、従兄弟の子/4歳と我が孫/5歳とを相手にハッスルしていた。さらに、ぐずっていたわりにはすんなりと2泊目も楽しんだようだ。
岡山で久しぶりに兄である伯父と会い、二人揃って伯母にいいようにあしらわれていた様子も微笑ましかった。

祖母はまだ退院できないまでも、血色も良く、私たちが付き添った昼食も残さず食べていた。年明けに94歳になったところだが、頭もハッキリしていて、よくしゃべる。
このまま100まで行けるかな?

そんなこんなで、全体的に良い旅行だったと思う。
私の帰宅時のトラブルを除いては・・・
ちなみに、父達の帰宅予定だった翌日は東京ですら雪の予報だったのに、電車はちっとも遅れなかった。

鳥取駅は雪の中。

2006-02-05 23:49:32 | Weblog
父方の祖母の墓参りin岡山
母方の祖母さん見舞いin鳥取
というツアーを1泊で終了。
私以外の家族は鳥取でもう1泊してるんだけど、
猫たち&仕事が××な私はひとりで本日帰宅。

親戚一同集まって混沌の昼食(というより宴会)を終え、
首尾良く皆と別れたまでは良かったんだけど・・・
乗るはずだった15:30の京都行き特急が45分遅れ。
遠出嫌い&超マイホームラブだから、
銀座に夜9時でも悲しい気分に襲われる位なのに!
新大阪で夜7時過ぎって・・・・・・シンジラレナイ。
サノバビッチ。
その上、荻窪←阿佐ヶ谷間で線路に人が入ったとやらで
東京駅では折り返しの中央線が20分ほど遅れて到着。
まるで猫様の呪いのようだ・・・とか思いながら
11時過ぎにやっとの事で帰り着いた。

エレベーターを降りてからはわざわざ足音を忍ばせ、
ドアを開けた途端走り出て来る様子を期待したものの・・・
普段は迎えに出てくれてる若者たちまでが完全無視。
「なんだよぅ」とか思いながら荷物を置いた頃、
やっとおもむろに近寄って来た。
家の中も全く荒れておらず、平和そのもの。
準備万端で臨んだとはいえ、ちょっと拍子抜け。

んで、これから明日納品のフォーマットを作らにゃならん。
無理だよ。間に合わないよ。


画像は、特急待ちの駅の中から。
ガラス越し&携帯とはいえ、
もうちっと何とかならないものかな?

火事ですよ。

2006-02-01 23:57:18 | Weblog
昨夜の事。
いつものように部屋着にきがえ、
顔を洗ったり猫家事をこなしている時に
鳴り止まないサイレンに気が付いた。

目の前の青梅街道は昼夜を問わず救急車や消防車がサイレンを鳴らして行き来する。もう慣れっこになってしまって、大抵の事では気にもとまらない。中でも一番ひどいのは深夜2時3時にすぐそばの交差点で突然鳴り始めるパトカーのサイレンで、流石にこの時は「まただよ・・・」と思う。青梅街道と五日市街道への抜け道が交わるこの交差点は、夜はほとんど車通りが無く、スピード違反だけでなく信号無視の車も多い。月に2~3度、違反車両を狙って張り込んでいるらしい。間抜けな違反ドライバーが捕まる事に文句はないけれど、住民としては迷惑千万だ。

そんな愚痴はさて置き・・・
夜11時過ぎに帰宅してから、まだ30分も経っていない。

それでも、1台や2台じゃない消防車が断続的に通り過ぎる事もよくあるので、ちょっと台数が多いな・・・と思いながら聞いていると、通り過ぎずにすぐ真下で止まってドアの開く音がした。
流石に「をいをい」とばかりにベランダに出てみると、小さい消防車が向かいのビルの真下に止まり、消防士が4~5人。その2軒左のマンションの前に大型の消防車。
そして、その後ろに延々と繋がる警告灯の列・・・さすがに仰天した。隣のオリンピックの駐車場前にも救急車と消防車が1台ずつ止まっている。遠くから、まだ到着していないサイレンの音がいくつも聞こえて来る。そして、こげ臭い。そこここの建物の通路に人が出て、消防車を見下ろしている。「えぇ?まさか、うちのマンションじゃあるまいな?」と、間抜けな考えが頭をよぎった。
冷静になって考えるとありえない事でも、混乱すると変な想像をしてしまうもんなんだな。「案外落ち着いてる猫を運び出すのはそれほど苦労せずにすみそうだけど・・・」などと、ついさっき着替えたばかりのヨレヨレ部屋着を見下ろして逡巡しながら玄関を開けて確認してみた。「煙草の煙でも反応するので、通路では絶対吸わないで下さい」と念を押された非常ベルも静まり返っている。どうやらうちのマンションではない(アタリマエダ)。

気を取り直して改めてベランダに出てみたが、なかなか現場がわからない。真下にいる消防士たちはそれ程緊迫した様子も無く、おしゃべりしながらゆっくり装備を整えている。どうやら消火そのものはほぼ終了しているらしい。でも、その間にも警告灯はどんどん増えて行き、終いには消防車大小併せて11台、救急車2台、パトカー2台・・・えらいこっちゃ。

そのうち次第に目が慣れて来て、はす向かいのマンションの見物人(何だかよくない表現だけど、他に言いようもなく)の視線が、うちのマンションからオリンピック駐車場を挟んだところにある建物に向いている事に気付いた。そこで、そちら側に大きな窓のある北の部屋に移動し、窓を開けてみると・・・所々に小さな非常灯がついている他は真っ暗になった建物の中で、たくさんの人影が動き回っている。さらに、2階の給水タンク付近で時折強い照明灯がたかれ、何やら集まってごそごそしてる数人の消防士の頭も見える。
11時で閉店したオリンピックにはまだ灯りがついていて、入口前に数人が固まって事の成り行きを見守っている。

当該の建物は、青梅街道に面した南側が6階、北側が4階建てになっていて、間に5階までのエレベーターがある。南側の1~4階は流通系の会社等が入っていて、上の2階分と北側の建物は住居スペース。今回初めて気付いたのだが、エレベーターが5階までしかない事からも、南の4、5階はビルのオーナーの住居となっているのだろうと思う。こちらに向いている西側がそれぞれ大きなルーフバルコニーとなっていて、いつも羨ましく思っていた。
ちょっと話題が逸れてしまったが・・・つい30分前に、このビルの目の前を通ったのだ。オリンピックの駐車場(シツコイ)を挟んだ自転車置き場で苦労して自転車を止め、現場との間を遮るもののない外階段を(2階まで)使って帰宅した。たぶん、その直後に通報されているだろう。

なんて事に多少動揺しながらしばらく見ていたが、消火は終わったようなのに、建物の中にはずいぶんたくさんの消防士が入っているようだった。並んだ消防車もいつまでも減らない。
「まあ、事は終わったようだから、一安心」と思って一度窓から離れたが、しばらく後、にわかに慌ただしい気配がしたので改めて見てみると、オリンピック駐車場(いいかげんめんどくさい)の入口で「黄色のテープ持って来て~!」などと叫ぶ消防士。
・・・何故そこに?
火事の現場跡は何度も見た事があるし、消防に通報した事もある。あのテープは現場建物の入口に張るもんだろう。
と、不審に思っていると、歩道に進入禁止テープを張った入口から、救急車が一台駐車場内に入って来た。「怪我人が出たのか!」と思ったが、運ばれる所を覗くのは悪趣味だと思い、また窓を閉めて引っ込んだ。駐車場とオリンピック本体は細い遊歩道で隔てられている。その遊歩道に面した、現場建物の裏口から運び出すつもりなのだろう。

その後も時折人の声が響いて来たが、夜の私は忙しい。
外の気配を頭の片隅で感じながら日常作業をこなし、12時もとうに過ぎた頃、やっと真下の消防車が撤収する事にしたらしい物音が聞こえて来た。ので、改めてベランダに出ると・・・例の救急車はまだ停まっていて、今まさに、担架に乗せられた人が運び込まれるところだった。
・・・案の定、すぐには出発しない。
貼り付いていてもどうにもならないのは分かっているが、気になって仕方ない。10分ほど過ぎてからまた確認してみると、消防車も3台に減り、消防士はホースを片づけている2人と、建物の中に数人が残っているだけになっていた。そのまま撤収作業を眺めているうち、やっと救急車がゆっくりと発車した。
サイレンは鳴らさずに。

※我が家の窓はすべて磨りガラスになっているので、開けてみなけりゃ外の様子はわからない。南の仕事部屋にも東向きの窓はあるのだが、電気を点けたままその窓を開ける勇気は無かった。わざわざ北の部屋から覗いていた私はチキン。


画像は、一様に「我関せず」だった奴ら。