あまねこブログ

あなたの守護天使からのメッセージをお手紙で伝えています✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑥

2024-03-25 16:00:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


私にとって「見える世界」は
子ども時代に遡るほど
痛みと苦悩に満ちていた。

肉体の「痛み」を経験した
最初の出来事は、
子どもなら一度や二度はあるであろう
「駄々を捏ねた」ことだった。

引っ越して間もない頃。
幼稚園には通わなかった。

記憶が曖昧だが、
外に遊びに行くことは、
あまりなかったように思う。
当然、友達もできない。
紙と、鉛筆かクレヨンだけは
与えられた。
それと本も。
いつも部屋で独り
お絵描きをしていたことが多い。
それが唯一、許された
時間の使い途だった記憶がある。

この頃、既に
何か冷え切ったものを
感じ取っていて、
「用がなければ部屋に行け」
と言われる事の方が「この人」の
顔色をうかがわなくて済む分、
寧ろ楽だった。

日々、孤独に過ごしていたため
たまのお出かけには
然程の嬉しさは無かったものの、
子どもなりのワクワク感は多少あった。

ある日、同じ団地の
家族ぐるみでお付き合いのある
ご近所の家に誘われ、
食事をしに行ったことがあった。

私は、その時間が楽しかったのか、
帰り際に「まだ居たい」
「帰りたくない」と
駄々を捏ねたのだ。
それは覚えている。

これが致命的な状況を招いた。
泣きじゃくったまま
家に引っ張って行かれて
玄関の扉を閉めた瞬間、
泣き止まない私に
「そこで立っていろ」
と言うと間もなく、
お裁縫の細い竹の物差しを
持って戻ってきた。

物差しで、お尻を叩かれた。
私は逆らえないと観念した。
どれほどの時間が経ったかわからない。
人生初の強烈な「痛み」だった。
そして、この時ようやく
ここに居る限り絶対に「この人」
逆らってはいけないのだ
と、理解した。

それから徐々に、
純粋な感情を表に出す
ということをしなくなった。
子どもらしく純粋な要求を口にすると、
時に自ら致命的な状況を招いてしまう
ことを学習したのだ。

こうして、ため息を付いてばかりの
どこか人生を諦めたような
子どもになっていった。

このときは未だ、
目の前にいる母親だと思われる
「この人」が、何故ここまで
自分だけに辛く当たるのか
解らなかった。

私だけが罰を受ける程の
我儘な子どもなのか?
それが罰の理由だと言い聞かされたが
いやいや、他の子どもの方が
よっぽど我儘で、やりたい放題。
なのに何故怒られないのだろうか?
…さっぱり理解出来なかったが、
少なくとも私は
「この人」に逆らってはいけない。
そういう立場なのだ。
それだけは、この「痛み」が
理解させてくれた。

逆らわなければ「良い子」として
可愛がられるのか?
私は単純なので
自分なりに頑張った気がする。
けれど、その頑張りは、
あまり効果がなかった。


ここで共有した「はじめての痛み」が
私にとっても「この人」にとっても
深海のような暗闇の住人となる
何らかの切っ掛けとなった感覚が
今でもある。

「痛み」を与える側は、
気が癒える到達点を求めて
エスカレートして行く。
「痛み」を受ける側は、
身を貫く痛みに耐えるのと同時に
与える側の「心の痛み」も一緒に
受け留めている

何をどうすれば「この人」の
「心の痛み」が解消されるのか、
考えてみても解決法を見出すには
幼すぎた
どうすることも出来ないまま
ただ、1日、1日を
無事に、平和に、過ぎることを
気付けば天に向かって祈っていた。



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