ありのまま日記

第113回目 疑念も虚像を創造する


今日は疑念について少しお話ししたいと思います。

疑いをもつという思いは、ネガティブなエネルギーです。疑い深い人は自分が疑ったそのままの世界の中に生きることになります。もちろん他人を疑えばその人も自分の中にある疑念的に創造された世界に生きることになります。

一方疑われた人は、受け入れなければ疑念の世界は反映されないことが多いようです。(中にはそうはいかない場合もあります…そうなるとカルマが絡んできます)

疑念というのは、あくまでも想像の中の産物ですので、それが疑惑に終わるか真実として採用されるかは時と場合に依ります。しかし、疑念はネガティブなものなので、あまり楽しいことは結果的に起こらないのが摂理というもの。なぜなら疑いをかけると、自分も何かを疑われることになるからです。

例えば、盗みの濡れ衣を着せらたりとか。要らぬ疑いを掛けられたりします。信じていた人に嘘をつかれたりもします。不思議なことに普段嘘などつかない人が嘘をつくこともあるようです。良い悪いは関係なく、あなたに疑いをかけるように宇宙は全力でそのような現実を創ってしまうんです。それが思いのエネルギーなのです。

そして疑いを掛けられた世界というのは、身に覚えのない人にとっては虚像の世界なのです。しかし、実際に疑われてしまうと、身に覚えのないことも現実に起こったこととなって物事は進行してしまいます。

身に覚えのない疑いをかけられることが起こったら、まず自分の疑念の癖を省みることが大切ですね。そこに原因があるのかもしれません。

また、これからも世の中の変化に伴い、長い年月をかけて造られてきた虚像の世界が消えていくということになりますが、それは人々の疑念も晴れてくるということになるのだと思います。

疑念というエネルギーに愛や調和はありません。恐れを伴う、とても悲しく苦しいエネルギーです。

何かを推察したり識別するときも、愛と調和の心をもつようにしたいですね。





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