所属するボーイスカウト調布第3団の団委員が海外出張のついでに、ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエルの墓所を訪ねました。
B.P(ベーデンパウエル)はイギリスの軍人ですが、ボーア戦争に派遣され、その地元民などの自然に対する生き方を知り、少年たちの教育に取り入れ、1907年にボーイスカウト運動を始めました。
B.Pは生涯最後の3年間を大好きなアフリカの地、ここケニアの Nyeri ニエリで過ごしました。
その墓所でガールスカウトの創始者でもある奥さんと一緒に眠っています。
建物内は世界のネッカチーフと記章などの博物館になっています。
以前から準備していましたが、今回展示の登録ができました。
一緒に世田谷の団と日本連盟のネッカチーフ(scarfs)も Waiting Listに載せました。
調布3団の色は赤が基調で、51年前に決まり、その刺繍のデザインは私が考え今も使われています。
日本のスカウトはネッカチーフをきちんと細くねじって首にかけますが、外国のスカウトたちは緩くだらっと首にかけてたり首元で止めてもいない子もいます。各国のネッカチーフの装用には規定がないからでしょうか。
上はBPの墓前でのBP祭のもよう。
でもBPは首元で止めていました。
B.P(ベーデンパウエル)はイギリスの軍人ですが、ボーア戦争に派遣され、その地元民などの自然に対する生き方を知り、少年たちの教育に取り入れ、1907年にボーイスカウト運動を始めました。
B.Pは生涯最後の3年間を大好きなアフリカの地、ここケニアの Nyeri ニエリで過ごしました。
その墓所でガールスカウトの創始者でもある奥さんと一緒に眠っています。
建物内は世界のネッカチーフと記章などの博物館になっています。
以前から準備していましたが、今回展示の登録ができました。
一緒に世田谷の団と日本連盟のネッカチーフ(scarfs)も Waiting Listに載せました。
調布3団の色は赤が基調で、51年前に決まり、その刺繍のデザインは私が考え今も使われています。
日本のスカウトはネッカチーフをきちんと細くねじって首にかけますが、外国のスカウトたちは緩くだらっと首にかけてたり首元で止めてもいない子もいます。各国のネッカチーフの装用には規定がないからでしょうか。
上はBPの墓前でのBP祭のもよう。
でもBPは首元で止めていました。