私には特に近頃、すごく許されないことが2点あります

皆さんも同じ気持ちだとは思いますが、それが近頃頻繁に耳にするものですから。。。
それは、虐待で子供たちが犠牲になったり、ストーカーで女性たちが被害にあったりすることです。以前からそれはどこかであってただ近頃表面化してきているだけだといいますが、年々その表面化が増えている気がしてましてや悪化している気がしてすごく心が痛くなるんです。"どうして防ぐことができなかったんだろう
"って。。。
私だって怒るときはあるし、冷静になることが厳しいときもあります。
子供たちに厳しくしつけをしてきたこともあります(私なりに。。。)
でも基本、大人は子供たちを守るためにあるんじゃないですか
まだまだ無力で、これからのたくさん将来に満ち溢れている子供たちの人生を妨害するなんて何の意味があるんですか



ましてや実の親が実の子供に手を上げたり傷つけたり虐待したりするなんて。。。世の中の最悪なことだと思います。人間として親としてこれほど罪悪なことはないと思います。手を差し伸べてあげて、時には自分を少し犠牲にしてまでも子供たちをサポートしてあげるのが親であり大人ではないでしょうか?
子供たちはどれほど親を信頼し頼りにしているか考えたことがあるでしょうか?それを裏切られた子供たちの気持ちを思うだけで胸が張り裂けてしまいそうなのにましてや虐待までするなんて。。。'怒りを通り越す'ってそんな気持ちなんだと思います。言葉にならないほどの怒りを感じてしまうんです
交際をしている、あるいはしていた相手に対してもそうです。興味のある相手と一緒に大人として成長ができることが本当の"愛"ではないでしょうか?相手に対して自分が思うようにできないところがある、実ることのできない恋なら、そこをどうするのかと考えることが人間ではないでしょうか?相手も自分自身も受け入れがたいことがあったら身を引くことも人間ではないでしょうか?相手に夢中になりすぎて何もかもに対し盲目になる恋も確かにあります。あきらめる決心はすごく辛いことです。でもあきらめることも"成長"の一つではないでしょうか?無理に押し通しても結局うまくいかなった、そして長い時間が経って無理矢理たどり着いたときの負の代償って結構大きくなってなりするんです。ストーカーをしたり相手を傷つけることによって加害者になってしまうのはその加害者の周りの人たちや大切な人たちの人生も犠牲になってしまいます
弱い女性や子供たちを犠牲にすることより、守ってあげることでこの地球上の平和につながるのではないでしょうか?日頃の"あたりまえ"に過ごしている時間、空気、風景こそが一番の幸せだと思います。そのような"あたりまえ"と暖かい人々たちのサポートに感謝しながら過ごすことってこれほどの幸福はないと思います。そしたら弱い人たちを守ってあげる人間になれるのではないでしょうか?
私はあまり大きなことを言えるほどの人間ではありませんが、児童虐待やストーカーは大嫌いです。時には競い合うことも大切だと思います。でも弱い人たちを相手に競い合うことは必要はないと思います。守りと救いの手を差し伸べてあげることが必要なんです。被害者だけが弱い人たちだとは思いません。加害者も自分自身を見失ってしまっている弱い人なんです。だからその前にどうにかならなかったのかなとも思うんです。加害者に対しても被害者に対しても救ってくれる人たちはいなかったのかと思うんです。
ニュースを聞いたり見たりすることは好きです。近いうち児童虐待やストーカー被害のないニュースが楽しめる日が来ることを心から願います。