ペルシアの中枢に侵入したマケドニア軍は、バビロン(現 イラク・バグダッド)やスーサ(現 イラン南西部フーゼスターン)やペルセポリス(現 イラン・ファールス)といった大都市で略奪の限りを尽くす。
こうした行為は、ペルシア戦争(この時代の100年ほど前)時に、ペルシアがギリシア世界の誇りであるアテナイのアクロポリスを焼き払ったことへの怨念からであった。
栄光あるギリシア世界に傷をつけた野蛮なペルシアに神の鉄槌を振り落とす。
それは、ヘーラクレースの血を引くアレクサンドロス3世にとって悲願であった。
しかしながら、アレクサンドロス3世は、ペルシアの文明の高さを目の当たりにして心境に変化が出始める。
そして、これだけの大帝国を治め、民衆からも慕われていたダレイオス3世という人物に尊敬の念を抱くようになった。
偉大な人物を失墜させてペルシアを支配下におこうとする自身の重責さを噛みしめた。
そんな折に、逃亡中のダレイオス3世が配下のベッソスに暗殺されたという情報が入る。。
ダレイオス3世に尊敬の念を抱き始めていたアレクサンドロス3世は、ベッソスを捕えると残酷に処刑し、ダレイオス3世を丁重に埋葬した。
その後、アレクサンドロス3世は、広大なペルシア帝国を完全制覇すべく、紀元前329年から紀元前327年までに、バクトリア(ヒンドゥークシュ山脈とアムダリヤ川の間に位置)やソグディアナ(現 ウズベキスタン領内)を平定する。
しかし、過酷なゲリラ戦であったため、マケドニア兵士の士気はこの頃から低下していくようになる。
アレクサンドロス3世は最後に征服したペルシア帝国の地バクトリアの有力者オクシュアルテスの娘ロクサネを妃にした。
ロクサネは後に、アレクサンドロス3世の子アレクサンドロス4世を産む。
ペルシア帝国を制覇したアレクサンドロス3世は次にインドを目指した。
そして、その先には世界の果てオケアノスがある。
当時は、ギリシア神話に登場する世界の果てオケアノスがインドの先にあると信じられていた。
オケアノスに到着することはアレクサンドロス3世の夢であった。
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