もしも、アレクサンドロス大王が存在しなかったなら、我々の住む世界は今とは大きく異なっていた可能性がある。
なぜなら、アレクサンドロス大王がギリシア世界からアジアに持ち込んだものには、文化的な価値観や感性そして美意識といったものも含まれていたからである。
アレクサンドロス大王は超がつくほど短期間のうちにアケメネス朝ペルシアを打倒し、広大な領土を自らの帝国の支配下に置き、その偉大さがゆえに、アレクサンドロス大王の死後、残された帝国の継承者を巡って有力諸将による勢力争い(ディアドコイ戦争)の影が極端に薄いが、その二転三転する展開は興味深く面白い。
アレクサンドロス大王の時代にはギリシアという一つの国は存在していない。
ギリシア世界という概念の中に、アテナイ、スパルタ、テーバイなどの都市国家がギリシア世界の中に存在していた。
マケドニアはそんなギリシア世界の中に存在する国家であった。
ギリシア世界に住む人々は、ギリシア人としての誇りを強く持っていたが、一方でこの時代の世界の最先端はペルシアであった。
アケメネス朝ペルシア帝国は、現在のイランを中心に、東は現在のトルコやエジプト、西は現在のパキスタンのあたりに及ぶ、広大な地域を支配下においていた。
ギリシアはかつてのように世界の中心ではなく、ペルシアが文明や経済の中心であった。
そして、この時代のギリシア世界にとって、東はペルシア帝国の先にインドがあって、その先はギリシア神話に登場する世界の果てオケアノスであると信じられていた。
コロンブスがアメリカ大陸に上陸する1800年ほど前のこの時代、世界の中心からインドまでが世界の全てであった。
そして、コペルニクスの地動説が唱えられ、人類に地球が丸い可能性が提示されたのは、コロンブスよりもさらに後の時代である。
アレクサンドロス大王は、今から2000年以上前の紀元前336年に、ギリシア世界を代表して、その文化を世界の果てオケアノスまで広げようとしたのである。
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