アレクサンドロス大王 (AlexandrosⅢ)

アレクサンドロス大王の生涯と後継者争いについて書いていきます。

1.東方遠征まで

2016-06-19 10:14:36 | 東方遠征1
最初に、当時はギリシアという一つの国は存在していない。

ギリシア世界という概念の中に、アテナイ、スパルタ、テーバイなどの都市国家がギリシア世界の中に存在していた。
マケドニアはそんなギリシア世界の中に存在する国家であった。



紀元前356年7月20日、アルゲアス朝マケドニアの王ピリッポス2世と母オリュンピアスの子として、後に後世の人類が畏敬の念を込めたアレクサンドロス大王と呼ぶアレクサンドロス3世が生まれる。

ピリッポス2世はギリシア神話の英雄へーラークレースを祖とする家系とされていて、アレクサンドロス3世自身もそことを強く意識した生涯を送っていく。




現在の感覚で考えるならば、ギリシア神話と自身の血筋を混同することに違和感を感じるかもしれない。

しかし、当時のギリシア世界を生きる人々にとって、ギリシア神話は歴史そのものなのである。そして、この感覚は人類にとって不自然なことではない。日本においてもかつては古事記を歴史として踏まえていた。



少年時代のアレクサンドロス3世は、同世代の仲間達と共に教師として招かれたアリストテレスから、ギリシア世界の偉大さとギリシア人としての誇りを叩きこまれる。

そして、この頃に共に学んだ仲間には親友ヘファイスティオンなど、王になってからのアレクサンドロス3世を支える者達がいた。






「 カイロネイアの戦い(マケドニアがギリシア世界の盟主となる) 」  

ピリッポス2世のもとで急速に影響力を強めたマケドニアを脅威に感じたアテナイとテーバイが同盟を組む、そして紀元前338年、カイロネイア(現 ギリシャ共和国中央ギリシャ地方リヴァディア市)でマケドニア軍とアテナイ・テーバイ軍が戦う。


アレクサンドロス3世は一軍の将として父ピリッポス2世に従い、初陣でありながらもマケドニアの勝利に大きく貢献する。






しかし、父ピリッポス2世が暗殺されると、アレクサンドロス3世は弱冠20歳でマケドニア王を継承することとなった。


ピリッポス2世の死の混乱に乗じてテーバイが反乱を起こすが、アレクサンドロス3世は、それを制圧して再びギリシア世界の覇権を握ると、次は世界の覇権を握るべくペルシアを目指す。





ペルシアは当時の世界最大にして最先端の帝国である。
アケメネス朝ペルシア帝国は、現在のイランを中心に、東は現在のトルコやエジプト、西は現在のパキスタンのあたりに及ぶ、広大な地域を支配下においていた。



この世界を、野蛮なペルシアの支配から解き放ち、栄光あるギリシア文明を広めるのだと、アレクサンドロス3世は強い意志を持っていた。


ギリシア世界こそが唯一絶対に素晴らしい。
ペルシアの圧倒的な繁栄と拡大は人類的な間違いである。

アレクサンドロス3世はそう信じていた。








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