ギリシア世界の覇権を握ったアレクサンドロス3世は、マケドニア本国の留守を重臣アンティパトロスに任せると、ギリシア人の威信をかけて東方遠征へと乗り出す。
こうしてアレクサンドロス3世はギリシア世界の威厳を脅かす、当時世界最先端の文明と圧倒的な国力を誇るペルシアへと侵入する。
「グラニコス川の戦い(ペルシアとの最初の戦い)」
紀元前334年、ペルシアに侵入したマケドニア軍38000が、ペルシア連合軍40000とアナトリア地方(現 トルコ領内)のグラニコス川(現 ビガ川)で対峙する。
この戦闘では、マケドニア軍の主力である長さ5.5m重さ6kgにもなる槍を抱えた長槍部隊が川に阻まれ機能しなかった。
アレクサンドロス3世は、意を決して自らが先頭になって突撃する。
人目をひく派手な装飾の鎧をまとうアレクサンドロス3世は先頭になって突撃し、敵将ミトリダテスを自らの投げ槍で仕留める。
この時のアレクサンドロス3世の闘神のごとく鮮やかかつ勇猛な姿は、味方将兵からの尊敬と憧憬を集めた。
「グラニコス川の戦い」でアナトリア地方(現トルコ領)を征服したアレクサンドロス3世は、アンティゴノスをフリュギア太守に任命してアナトリア地方を任せ、さらに東へと進軍する。
「イッソスの戦い(宿敵ダレイオス3世との対決)」
紀元前333年、イッソス(現 トルコ・イスケンデルン)で、アケメネス朝ペルシア帝国の王ダレイオス3世自らが率いるペルシア軍12万と衝突する。
マケドニア軍は4万足らずと数で劣りながらも、強いカリスマ性をおびたアレクサンドロス3世に率いられ、ペルシア軍は5万人ともいわれる戦死者を出す大敗を喫した。
マケドニア軍を完全に侮っていたダレイオス3世は、ピクニック気分で雄姿を観戦させるために婦女子を「イッソスの戦い」に引き連れていた。
そのため、勝利したマケドニア軍は婦女子を含む3万人ともいわれる捕虜を得る。
その捕虜の中にいた絶世の美女バルシネがアレクサンドロス3世の愛人となる。
バルシネは後にアレクサンドロス3世の子へーラクレースを産む。
この時のダレイオス3世の戦争に臨む姿勢はそう非難できるものではない。
地図の広さで戦うわけではないが、マケドニアとペルシアでは、その国力と文明の発展度があまりにも違った。いくら勢いがあるとはいえ、ダレイオス3世が「所詮マケドニア」と思っていたことは不自然ではなく、広大な領土に侵入してくる敵にいちいち王自らが出向くこともない、この戦闘の場にダレイオス3世がいた事が意味合いとしては大きい。
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