ペルディッカスの死により、帝国の領土と地位の再分配がなされ、アンティパトロスが帝国摂政としてトップに座り、アンティゴノスが全軍総司令官となり、ペルディッカスを殺したセレウコスはバビロン太守に出世する。
アンティパトロスはアレクサンドロス3世の父ピリッポス2世のもとでは、ギリシア諸国との外交や行政面で働いていた。
アレクサンドロス大王が王位を継ぎ、東方遠征に乗り出すと、この時すでに60歳を過ぎていた老臣アンティパトロスは、マケドニア本国の統治を任された。
アンティパトロスの持ち前のバランス感覚と政治力により、後継者争いはここでしばしの落ち着きをみせるが、すでに老齢だったアンティパトロスが死去すると、再び後継者争いは激化する。
アンティパトロスが遺言で、後継者にポリュペルコンを指名する。
見事な国家管理運営の能力と老獪な政治力を持ったアンティパトロスであったが、最後の最後に人事を誤ってしまった。
アンティパトロスの息子カッサンドロスは、この人事に納得せず、アンティゴノスと組んでポリュペルコンと対立することになる。
紀元前316年「ガビエネの戦い」でアンティゴノスは、ポリュペルコンに味方したエウメネスを捕えた。
アンティゴノスは捕えたかつての友人エウメネスを味方にしようと思ったが、部下の猛烈な反対により断念せざるを得なかった。
アンティゴノスがかつての友人をいつまでも処刑できずにいたため、アンティゴノスの部下は業を煮やしてエウメネスを殺害した。
アンティゴノスはエウメネスの死を心から悲しみ、盛大な葬儀を挙げた。
アンティゴノスはここまで、ペルディッカスやポリュペルコンの側についた諸将を次々に倒しては、その勢力を吸収し続けたため、その勢力は残った有力諸将の中でも頭一つ抜けたものになっていた。
勢力の拡大とともに、アンティゴノスは自らがアレクサンドロス帝国を掌握する野心を強めていく。
アレクサンドロス大王(劇団Camelot)
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