アンティゴノスとバビロン太守セレウコスは、ポリュペルコンとカッサンドロスの対立では共にカッサンドロスの側につきて協力関係にあった。
しかし、エウメネスが死ぬと、アンティゴノスは若く勢いのあるセレウコスを警戒するようになる。
紀元前315年、アンティゴノスはセレウコスの領土を奪う。
セレウコスはアンティゴノスにバビロンを追われるとエジプトのプトレマイオスを頼る。
「ガザの戦い」
今度はセレウコスがプトレマイオスの協力を得て、「ガザの戦い」でアンティゴノスの息子デメトリオスからバビロンを奪還する。
バビロンを奪回したセレウコスは、この時、プトレマイオスから譲り受けた僅かな兵しか率いていなかった。
しかし、セレウコスが以前にバビロン太守として善政をしいていたので、バビロンの住民はセレウコスを歓迎し、セレウコスによるバビロンの再興に協力的であった。
「サラミスの海戦」
プトレマイオスは、アンティゴノスの意識がセレウコスのシリア方面に向いている隙に、エジプトから地中海を経てギリシア世界に勢力を伸ばそうとする。
しかし、アンティゴノスの息子デメトリオスが「サラミスの海戦」でそれを阻止する。
「アンティゴノス朝マケドニア」
アンティゴノスはアナトリア半島全土およびシリアからイラン高原に至る広大な地域を手中にしていた。
その勢力は後継者争いをする有力諸将随一で、アレクサンドロス帝国全体の再統一に対する野心を全面に出した。
紀元前306年、アンティゴノス朝を開き、王位に就く。
「プトレマイオス朝エジプト」
エジプト太守として肥沃なエジプトの地を背景に、プトレマイオスも後継者としての野心を隠さなかった。
エジプトはかつてアレクサンドロス大王が王(ファラオ)として民衆に受け入れられた意義深い土地であった。
アンティゴノスに対抗するかのように、プトレマイオス朝を開き、王位に就く。
「セレウコス朝シリア」
バビロン太守に返り咲いたセレウコスも後継者としての野心を膨らませていた。
この時点ではやや不安定な立場ながらも、セレウコス朝を開き、王位に就く。
アレクサンドロス大王終焉の地であるバビロンを拠点に王位に就くことで後継者としての意味合いをだした。
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アレクサンドロス大王の後継者争い(ディアドコイ戦争)ダイジェスト
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