アンティゴノスに対抗するうえで、背後の安定を考えたセレウコスは、かつてアレクサンドロス大王が侵攻したインドへ後継者として遠征すると、その頃インドで成立したばかりのマウリヤ朝の王チャンドラグプタが率いる大軍と遭遇する。
そこでセレウコスは、チャンドラグプタにインドに近いセレウコスの支配地域を譲り、さらにセレウコスの娘をチャンドラグプタの息子に嫁がせた。
その見返りにチャンドラグプタはセレウコスに500頭の象を渡した。
その後、セレウコス、プトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスは、アレクサンドロス帝国の統一を強攻に進めようとする最大勢力アンティゴノスに対抗するために同盟を組んだ。
紀元前301年、セレウコスはリュシマコスと共に、イプソス(現 トルコ中西部)でアンティゴノスとの決戦に挑む。
アレクサンドロス大王の後継者争い(ディアドコイ戦争)最大となったこの戦いで、セレウコスがチャンドラグプタから譲り受けた象が威力を発揮した。
この「イプソスの戦い」で敗れたアンティゴノスは自身も戦死する。
セレウコスは、旧ペルシア支配地域の多くを領土にし、ハッキリと最大勢力となると、ここまでずっと共闘関係にあったプトレマイオスとの対立が色濃くなる。
紀元前282年、セレウコスは「コルぺディオンの戦い」でプトレマイオスに味方するリュシマコスを敗死させ、アレクサンドロス帝国再統一も視野に入る勢力となった。
しかし、セレウコスは、後継者として故国マケドニアへの勢力を拡大を目指すが、プトレマイオスの息子ケラウノスに暗殺される。
ケラウノスは、父プトレマイオスからエジプトを追放され、さらに弟が後継者として目されていたため、自力でマケドニア王になる野心を抱いていた。
紀元前288年にプトレマイオスの後妻ベレニケ1世が産んだ息子プトレマイオス2世が後継者となると、その後プトレマイオス朝エジプトは絶世の美女として知られるあのクレオパトラ7世まで約300年つづくことになる。
ついにアレクサンドロス帝国の再統一を成し遂げる者は現れなかったが、プトレマイオスはディアドコイ戦争を巧みに生き残り、本拠地エジプト繁栄の礎を築いた。
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アレクサンドロス大王の後継者争い(ディアドコイ戦争)ダイジェスト
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