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モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

生命保険に入れられる

2005年07月11日 01時14分49秒 | モラハラ
生活とモラ夫に追い立てらる様に起こした会社は順調に売上を伸ばすことが出来、次男が誕生したのをきっかけにマンションを購入しました。
こうなると夫の成金振りはとどまる事なくエスカレートしていきます。
この頃には外車を2台購入、念願の別荘も伊豆に建設しました。
実はそれらの資金のほとんどは、銀行などの金融機関から運転資金として借り入れたお金です。
彼は自分の特技を生かし始めましたのです。モラ夫の特技の1つは「弁が立つ」事。
彼は金融機関の担当者を丸め込み、妄想の中の事業計画、でっち上げの試算表で次々と融資を取り付けます。
想像してみてください。
会社のお金と自分のお金との区別がつかない人。
その人の管理する通帳に、金融機関から次々と1、2千万が振り込まれるんです。
当然彼の経済観念は崩壊し、お金を稼ぐ苦労を考える事も無く、お金を浪費し続ける生活が始まります。
無駄に使い続けたら破綻するって小学生でも分かるはずなんですけどね。
しかし当然使うだけでは終わりません。返済していかなくてはいけません。
返済が明日という状況にならないと金策しない夫は、支払いがある五・十日(ゴトウビ)の前日に荒れまくります。
「どうするつもりだ!」「もう終わりだぞ!」「おまえがこんなくだらない仕事を始めるから私は金の苦労ばっかりだ!」
その時に反論した私には、この時ドアにぶつけられてついた傷が今も額から眉に残ってます。
彼がお金の使いすぎから、資金繰りに困り始めたある朝、2人の男性が訪ねてきました。
男性:「ご主人からお聞きになってると思いますが、保険会社のものです」
ドクターを連れて健康診断に来たというのです。
私:「何も聞いてない!」
何と私に死亡時1億円の生命保険。
モラ夫の生活の基盤は私に支えられていたため、私が死んだ時に自分が困らない様に高額の保険に入れたのです。
さらに愕然としたのはモラ夫自身は死亡時200万円の保険しか入っていなかった事。
つまり
「自分が死んだ後の家族の事はどうでもいいが、妻が死んで私が生活に困るのはごめんだ」 という事です。

会社を設立

2005年07月11日 00時02分14秒 | モラハラ
私の作った製品が売れることに目を付けたモラ夫は、会社にして大々的に売ると言い出しました。
もちろん彼が社長です。
「女が社長じゃ銀行も取り合ってくれんからなぁ」
仕事が大嫌いな夫は、今までの仕事が辞められる事が嬉しかったようです。
自分が社長になり、私にプレッシャーを与え、追いたて、働かせればお金が入ってくる。
「ヒモ」で「モラ夫」なヒモラにとってこれが嬉しくないはずがありません。
このときから私の「お通(鶴の恩返し)生活」が始まりました。
起こした会社のお金は全て夫が管理しました。
銀行から融資されたお金も含め、会社のお金が自由に使えるよ様になったモラ夫は、
この頃にはすっかりいっぱしの社長で、お金持ちになったつもりでいたようです。
そんな彼は時々私に高価なプレゼントをくれました。
ある時は指輪。
またある時はミンクのコート。
実際のところは、後にこの指輪もミンクのコートも何度も質屋さんに出入する事になるのですが。
ミンクのコートの様なゴージャス系ファッションに興味がなかった私は、
これらのプレゼントを身に付ける事もなく、タンスの奥にしまっておりました。
しかもこれらは正確に言えばプレゼントではありません。
これらの支払いはローンで、結局私が自分の給料分から支払いました。
これらの品々は自分のお給料で払ってしまったので、悔しいけれど離婚した今も捨てられないでいます。

妊娠

2005年07月10日 18時15分42秒 | モラハラ
結婚2年目、私は妊娠しました。
長男誕生です。
子供が生まれたことで、妻は逃げないと思ったのか、夫の「言葉による暴力」が激しくなりました。
私は彼の顔色を見て生活する様になり、彼が今欲しいものを感じ取っては、すかさず差し出さないと怒られる毎日でした。
しかし私を追い詰めるのは、夫だけではありません。
夫の父親が妻と子供を連れ、毎月の様にお金の無心に来ていたのです。
「頑張る」とか「一生懸命」とかが欠落してる夫の収入は相変わらず少なく、妄想を熱く語るだけの日々だったため、
夫婦の生活費のほとんどを、私一人の収入でやりくりしていました。
そこへ夫の父親までもが生活費を要求してくるのですから、たまりません。
しかし夫は自分の父親にお金を渡したがり、その父親の生活費が足らないと言われれば私の実家に借金に行きました。
夫の父親にお金を渡すために、私が質屋のお世話になった事も1度や2度ではありません。
私は夫から、子供の頃は父親から邪険に扱われていたと聞いていたので、
なぜ彼が自分の父親にお金を渡したがるのか不思議に思っていましたが、
今になって考えてみれば彼にとってはいい憂さ晴らしだったのでしょう。
「自分を邪険に扱った人が、自分を頼らなくては生活出来ない。」
この状況が彼にとっては気持ちよかったのでしょう。
長男が生まれ、幼い子供を抱えては仕事に行けない私は、自宅でユニークな雑貨を作る仕事を始めました。
もともとアートを専攻していたので得意な分野だったのですが、なかなか評判も良く、置いてくれるお店も増えてきました。
子供が生まれてもなお、頑張って働く事のない夫の収入では生活していけなかったので、
私はこの仕事で少しでも収入を得たいと、アレルギー性喘息の子を看ながら深夜まで製品作りに明け暮れました。

ヒモラの妄想

2005年07月10日 10時59分05秒 | モラハラ
1LDK、隣の部屋の明かりが漏れるほどの安アパートに住みながら、夫は夢を語りました。

「田園調布に家を建ててやるからな」
「別荘はどこがいいかなやっぱり伊豆かな、海外にも別荘を持とうな」
「車はベンツとポルシェかな」

10年後、これらは彼の力ではなく実現してしまいました。
「ヒモ」で「モラ夫」なヒモラから追い立てられた私が働き続けた結果、
いつの間にか彼の妄想が実現してしまっていたのです。

働かない夫

2005年07月09日 23時04分21秒 | モラハラ
私が働いていたのを良いことに、いろいろと理由をつけては仕事に行かずに一日中家で猫と遊んでる夫。
結婚1年目で離婚を決意した私は実家の両親に相談。両親も離婚を納得。
しかし私の実家にやってきたモラ夫は、父を別室に連れこんで説得。
何とも口のうまいモラ夫は、まんまと父親を言いくるめてしまった。
父は「男には考える時間も必要なんだ。数ヶ月仕事を休むのも、これからの大きな仕事の
ためのステップだから広い心で受け止めなさい」といい私を説得。
当時の私は何となく「そういうもんかなぁ~」と離婚を思いとどまってしまいました。

モラ夫と結婚

2005年07月09日 01時42分58秒 | モラハラ
後でこれほどの後悔があるとは考えず、私はモラ夫と結婚してしまいました。
私は頼りない父と兄を見て育ったため、その反動から自信満々な人に惹かれて結婚を決めたのです。
30年以上経った今になって振り返れば、彼はモラ夫というよりヒモラでした。
「ヒモラ」は私が勝手に作った言葉ですが「ヒモ」で「モラ夫」な人だったのです。
ちなみにヒモはご存知の通り「女を働かせ金品をみつがせている男」です。
モラ夫は「言葉や態度による,精神的な嫌がらせ・暴力・虐待を行う夫」の事です。