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モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

スパイ

2006年09月06日 23時42分38秒 | モラハラ
別れた夫(モラ夫)が針混入の偽計業務妨害犯説にはもう
一つ理由がありました。

私が離婚する前から仕事関係で親しくしていた人物
(H氏)がいたのですが、このH氏が離婚後しばらくして
私に連絡してきました。
ホームページを見たのだと言う。

彼自身縫製の仕事をしていましたから仕事がもらえる
かもしれないと考えて近づいてきたのかもしれないの
ですが、とても私と息子に同情的で励ましてくれました。

「社長(モラ夫)には私もひどい目に会いましたから
ねえ」「絶対奥さんいや違った亜紀子さん(私)の方を
応援しますよ」
単純な私はすっかり安心してH氏を新しいオフィスに招待
してご馳走しました。
ビールを飲んだ勢いもあって「会社はとても順調なのよ」
などとプチ自慢してしまったのです。
おまけに聞かれるままに取引先まで教えてしまいました。
もちろんその中には例の大手通販会社。

引っ越しをしてから3ヶ月くらい経ったある日、その彼が
ふらりと会社に現れました。
「何かお手伝いすることありませんか。何ならこちらで
電話番くらいならやれますよ」

「考えておきますね」
私はそのときは前向きに考えるという素振りをしてH氏を
見送ったのでした。

しかし、今までもH氏の仕事ぶりはかなり雑、そのときも
「こないだね、よそへ収めた製品にミシン針入れ
ちゃってねえ。ははは・・・」
なんてとんでもないことを平気で言っていたのです。
それにメールやファックスでやりとりする時代に電話番
なんて要るわけないし。

彼に仕事を出すなんてちょっと難しいと思ったが、私は
モラ夫と暮らす間に身についてしまった大きな欠点が
ありました。
それは相手が不快に思うことは口に出せないということ
です。
その後も「おたくの仕事は雑だからお願い出来ないわ」
とは言わなかったのです。
今考えると何も言わないし仕事もくれない私を恨んで
いたのかもしれません。

そのことがきっかけだったかどうかわかりませんが、
その後もう一度だけやってきたH氏の態度はなぜか豹変
していました。
何とも高慢な、今まで見たこともない態度に驚いたの
ですがもっと驚いたのは彼のある一言を聞いたときで
した。
それはモラ夫しか知りえない事。
私と息子がその言葉を聞いて顔を引きつらせて固まって
しまった
のに気づくとH氏は用事を思い出したと言って慌てて
帰って行きました。

「あいつスパイだよ」
息子はテーブルの下にもぐって何かを探し始めた。
「何してるの?」
テーブルを拭きながら訊ねると「盗聴器だよ」
息子がぶっきらぼうに答えました。
残念ながら盗聴器は見つからなかったのですがH氏から
はそれ以来連絡がありません。

そして今回の事件が起きました。



返品、回収

2006年09月03日 12時34分13秒 | モラハラ
「針には見えないんですけどね・・」
女性担当者がF部長には聞こえない声で息子の方に顔を
近づけて言った。
私はそのとき針でないことを祈った。

息子がその金属片をまじまじと見て言った。
「ミシン針の中腹部分ですね」
F部長は満足そうな顔で念を押した。
「針だと確認したよね」

工場から持ち帰ったミシン針と比べてみるとメーカーは
同じらしい。
このメーカーは日本では80%ちかく普及しているので
一番手に入りやすい針である。
しかし、針の太さが違った。
見つかった針は11番。
工場で使っているのはもっと太い14番である。
「針の太さがうちのものとは違うようです」
息子がF部長に言った。
「11番ではこの製品は生地が厚手なので普通縫えないん
ですよ」私も横から応戦した。
「しかしねえ、内職の人なんかも居るって言ったよね。
その人が自分の針に替えて自分のもの縫ったりすること
だってあるんじゃないの」

「だいたいねえ、検針が甘かったんだよ。どんな検針機
使ってる?」
「一部に金属の部材を使ってますのでハンディタイプの
検針器です」私が持って行ったハンディタイプの検針器
を取り出しながら言った。
「こんなんじゃだめでしょ。ベルトコンベア式の検針器
じゃなきゃ検針とは言えないよ」
話は結局「針混入事故」というより「検針システムの不備」
ということになってわが社は取引停止になるらしい。

デザインを大事にするとプラスティックの部材は使えない
し検針対応の部材を特注するほど高価な商品じゃない。
もう言い訳は何も言えないと理解した。

「この商品を買った方にメーカーとしてお詫びもしたいし
針がどのように入っていたのかお聞きすることはできない
でしょうか」最後にお願いしてみた。
「それは無理!個人情報保護法知ってるでしょ」
F部長はこの話をさっさと終わらせたがっているようだった。

予想していた答えだったが別れたモラ夫の逆襲による
業務妨害説はこの先ずっとグレーのままである。

「じゃあ、うちとしては御社の製品のすべてを返品するん
だけど事によったら今までに売ったもの全部回収してお客
様に返金するってこともあり得るから覚悟しといてくださ
いよね。全部だからね。すごい数になると思うよ」

これが自主回収ってやつか・・・・
自主回収は最終的に弱小メーカーを潰してるって聞いた
ことがある。
帰りの電車の中でも息子は押し黙ったままだった。

怒りのF部長

2006年09月02日 15時43分02秒 | モラハラ
取引先であるこの大手通販会社「A株式会社」は以前モラ夫が社長だった
ときの会社との取引も長く、大きな売り上げを上げていた。

しかし私と息子が夫の会社を辞めて独立した後、A社の女性担当者がモラ夫
の杜撰な商品管理に根を上げて私のところに取引を頼んできたのだった。
もともとモラ夫の会社のときも私が商品企画したものを息子が営業していたの
だから担当者が困ったのも当然だった。

私と息子にしてみれば転がり込んできた良い話。
しかしモラ夫にとっては最大の得意先を元妻と実の息子に横取りされたことに
なっていたらしい。

モラ夫には今仲間がいる。
彼らにどんな嘘を吹き込んでいるかわからない。
もう一度この得意先を自分たちの手に取り戻すためなら何をしでかしてもおかしく
ないほどモラ夫側は逼迫している様子。

怪しい・・・・
しかし工場のミスかもしれない。
まずは折れた針を見せてもらうことが先である。

オフィス街が続く地域に一段と高いビル。
ここの24階にA社のオフィスがあった。

約束の時間より10分早く着いたので大理石のエレベーターホールの椅子に掛けて
待つ間、息子と私は重苦しく無言だった。
まるで死刑執行の時間を待つ囚人のように。

いつもの女性担当者と一緒に彼女の上司であるF部長がやってきた。
「大変なことをしてくれたね。最低だよ。最低!」
「申し訳ありません」
ただただ頭を下げてありとあらゆる謝罪の言葉を口にする。

女性担当者がおずおずとクシャクシャになったラップに包んだ折れ針を差し出した。




朝一番の電話

2006年08月28日 23時06分17秒 | モラハラ
夏も近いころ、売り上げは順調に伸び息子と私の二人だけでは日曜も休めない
ほど忙しくなっていた。

その朝は雨、会社に着いて濡れた雨傘を傘立に滑り込ませたとき電話が鳴った。

あわてて電話の側に走り寄ると番号表示には大のお得意さまである大手通販会社
の番号が出ていた。

「おはようございます。いつもお世話になっております」息子がとびきりの愛想で
電話に出た。

「実は・・・御社の製品に折れたミシン針が混入してました。明日お客様からその
製品が返品されてきますからこの件に関する報告書を持って来てください」

「えっ!・ あっ・・も、申し訳ございません」息子は電話に向かって何度も
頭を下げながら上ずった声で謝っている。

パンに針が混入という話は最近何度か起こっていたが、これは誰かの犯罪
(偽計業務妨害)であった。
しかし今回のわが社の場合はどうなんだろうか。
誰かが仕組んだってことは無いんだろうか。
パンにしてもおもちゃにしても針混入事故があったら生産者に責任が無い場合
でさえ返品か取引停止、最悪過去に販売したものまでも全品回収といった事例
さえある。

頭の中が真っ白になった。

病気のこと

2006年08月20日 11時39分39秒 | モラハラ
私は難病の一つ膠原病を12年前に発病しました。
寒い時期は特に酷くて指先の痺れや筋力低下が酷く朝起きて身体が動かなく
なっていることもあります。
現在はステロイドの量を調節しながら仕事が出来るまでになりました。

私が離婚を申し出ても夫が拒否し続けた2年間がありました。
あるとき彼が泥まみれの捨て猫でも見るような冷たいグレーの目(彼の目は
なぜかグレーでした)で私を見据えて訊ねました。

「どうなって行くんだ? おまえの身体は」
「え? 私ですか?」
一瞬、どういう意味かわからず多分仕事のことを心配してるのかなと思って
答えました。

「仕事はみんながやってくれてるし、家にいてもメールとかでやりとりしてるし
作ったサンプルは会社に送ってるし大丈夫じゃないでしょうか」

モラ夫は私の答えには不満そうにより強い口調で言いました。
「これから先だよ。 どんな風になっていくんだって聞いてるんだよ。自分の
身体なんだからわかるだろ」

これから先どんな症状になって行くのかは本人の私にもわかりませんでした。
「先生もわかってないみたいよ。症例が少ない難病だから」
私が話し終えないうちに彼は後ろを向いて部屋を出て行きました。

離婚が決まったあとで彼が私に聞きたかった本当の意味が分かりました。
仕事関係の親しくしていた女性にはっきり聞いたそうです。
「彼女は死ぬのか、それとも死なないで不自由な身体で生きるのか、何か妻から
聞いてないか」と。
その女性はモラ夫が妻を心配する優しいご主人だと信じていましたから「最近は
膠原病で死んだ人なんていませんよ」と答えたそうです。

この会話のあと約1ヶ月で彼は離婚に応じたのでしたが、後日生命保険会社から私あてに電話が入りました。
「あなたさまが契約されてご主人さまが受け取り人の生命保険が解約手続きされようとしてますが、ご本人さまの承諾書が必要ですので印鑑証明と一緒にお送りください」

もちろん私が契約した覚えもない生命保険でした。
いつまで待っても死なない病気もちの妻は彼には不要だったらしく私がすんなり離婚できたのは病気のおかげとも言えます。














ヒモラのため息

2006年06月28日 23時56分31秒 | モラハラ
ハローページが届いてからというもの、ちょっと緊張する毎日が続いています。
英二が私用に最近の小学生がランドセルにぶら下げている警報ブザーを
買ってきてくれました。
通勤用のバッグの内ポケットに忍ばせていつでも取り出せるようにしました。
以前買った催涙スプレーは周りの人にかかって騒ぎになったというニュースを
やっていたので使用しないほうが良いだろうと判断したからです。
またまた増えてしまった私の防犯グッズです。

そんなある日、ナンバーディスプレイが非通知の電話がかかってきました。
非通知電話はだいたい何かのセールスとか投資のお誘いなどの怪しげな電話
が殆どですから「さて何を売り込んできたのかしら」と気楽に受話器を上げ
ました。

しかし、相手は無言。
「もしもし」と言っても相手は黙ったままこちらの音を聞いているような
かすかなため息のような息づかい。
「あ!やつだ」

一緒に暮らしているとき、ヒモラは頻繁にため息をつきました。
彼の”ため息”を聞いてしまうと私は胃袋のあたりをギュッとわしづかみに
されたように苦しくなって彼の次の動きに怯えたものです。

ため息の後は私か息子が彼の部屋に呼ばれて朝まで説教されるとか、怒鳴られる
とか大きな音でドアを閉めるとか壁を蹴破ることもありました。
いづれにしても彼の機嫌が悪く何かが起こる前ぶれでした。

いつもこのため息が出たら私や息子たちは「蜘蛛の子を散らす」状態で彼の居る
部屋から離れました。
私は全神経を使って彼の心の内を感じ取ろうとしてました。
今日何か彼の気に障るようなことしただろうか・・・今月の売り上げの悪いのは
私のせいだと責められたら何て言えば怒られないんだろう・・・・
しかし怯えた態度をすると余計に怒られるので彼に呼ばれたらいつでも彼の部屋
に普通の顔して行けるよう心の準備をしたものです。

あの頃と同じ息苦しい感覚がよみがえってきました。
これは紛れも無くヒモラのため息でした。
こちらが先に電話を切ったのですが、我ながら情けないほどに手が震えてその場
にうずくまってしまいました。

私の異常に気づいたらしい英二が2階から降りてきたとき、再び電話が鳴りました。
ディスプレイは「ヒツウチ」

何も言わずに受話器を取りあげた英二はすぐにその受話器を忌まわしいものでも
捨てるように置いて言いました。
「あいつだ」
その電話もやはり無言のままだったそうです。

草むらに身を隠してじっと野ネズミの心臓の鼓動に耳をそばだてる蛇を思い浮か
べました。
その蛇は「どこに逃げても隠れ場所なら簡単に見つけられるんだからな、いつでも
おまえたちを食ってやるぞ」と言っているようです。


ハローページ

2006年06月23日 23時32分43秒 | モラハラ
引っ越してから3ヶ月が過ぎようとしたころ、会社にNTTが最新版ハローページを持って来ました。

企業版ページをめくっていた息子が「ヤバイ!」と大声をだしました。
「どうしたの?」と聞くと、「あいつハローページ好きだよね」
確かにヒモラはパソコンが大の苦手。
だから何かを探すにもインターネットは使わず、あの黄色いハローページを
取り出す男だった。
「ヤツのところにもこのハローページ届いてるよな」
「うん、そうでしょうね」
「ここ見てみなよ。うちの会社は一番に出ちゃってるよ」と英二が指差した
ページにはあいうえお順で一番目にわが社の新しい電話番号と住所が出て
いるではありませんか。

「あーっ、大変だ!」
「ここが見つかっちゃう!」

仕事をしてるからには住所も電話番号も隠し続けるわけには行きませんから
ある程度は覚悟していたのですが、こんなに早くバレるきっかけが来るとは
予想外でした。

この件があってからは会社のビルを出るときは左右を見て怪しい人物がいない
かを確かめて歩きだすようにしました。

脅しにも、哀れみを誘っても、どんな餌をぶら下げても反応せず、無視を続ける
我々にしびれをきらして押しかけてくることは充分考えられました。



ちょうちんあんこう

2006年06月22日 00時03分00秒 | モラハラ
引っ越しも片付いて2006年がスタートしたある朝、わが社のネットショップの
更新をやっていた英二が大変なものを見つけました。

○○エンジニアリング株式会社がネットショップを立ち上げているではありま
せんか。
しかも、商品のすべては私がデザインしたもの。
過去にやったものもあれば、最近の商品の模倣品もあります。
中には私が意匠権を持っているものまで偽者を作って販売していました。

企画者のこだわりのチェックが無い製品は写真でもわかるほど形は歪んで材料も
安いものを使っていました。
オリジナルを企画した人間としてはこんなものを同じ価格で販売するなんて詐欺
じゃないかと思うくらいのしろものです。
しかも商品名までわが社のものを真似していたのです。
離婚した元妻のものまでまだ自分のものだと思っているのでしょうか。

当然ながら怒った私は「弁護士さんに電話する」と言って受話器を取り上げました。
しかし、そのとき息子英二が私の手を押さえて言いました。

「おいおい、落ち着きなよ母さん」

「あいつの本当の狙いは何だと思うの?彼らが作ったこんなしょぼいホームページ
の売り上げなんてヤツの食費にもならないと思うよ」
「あいつの狙いは僕と母さんが怒ってあいつのところに怒鳴り込むことだよ。それ
をきっかけに自分のペースに取り込もうって魂胆だろうよ」

「あいつはちょうちんあんこうなんだよ。つまり、このネットショップはちょう
ちんあんこうのちょうちんさ」
「オレたちが食らい付くのを暗闇で待ってるのさ」

誕生日

2006年06月21日 00時39分32秒 | モラハラ
誕生日

保証機関の審査を受けたあと、約1週間。
審査の結果を知らせる電話がありました。
ほとんど諦めていた融資が決まったのです。
私と英二の4年間の努力と実績がヒモラの地雷を潰したのです。

いよいよ引っ越しです。
事務所の引っ越しと同時に探し始めた住居マンションも会社まで歩ける距離の
ところに見つかりました。
思い起こせば4年前には来月の家賃が払えなければホームレスかしらなどと本気
で考えたものでした。
それが今、人並みの暮らしが出来る幸せをかみしめています。
「このままヒモラに見つからないで暮らせるかもしれない」という期待も膨らんで
行きました。

そしてこの新しい住居で私は60歳の誕生日を迎えたのです。

無実の証明

2006年06月19日 23時37分57秒 | モラハラ
計画倒産の片棒を担いでるのでは、と言われて黙って引き下がるわけには行き
ません。
A氏が書類を見ている間に私と英二は示し合わせるでも無く、すばやい連携
プレーを開始しました。
部屋のあちこちからヒモラが一切この会社に関与していないという証拠を持ち
寄りました。

会社設立時、またそれ以前の入金がわかる個人の預金通帳、ヒモラが我々に
送りつけてきた「訴えてやるぞ」と書かれた手紙、脅迫とも思える文面のFAX。
そして極めつけはやみ金がヒモラの借金を息子に返せと迫った録音テープ。
親子が絶縁状態であることの証明です。

ヘビーな話には慣れているはずのA氏も最後には「書類的にはまったく問題なく
融資できない理由は何もありません。
しかし感情の問題なんですよね。上司が何と言うかわかりませんが、私としては
できるだけ説明しておきます」と言ってすまなそうに立ち上がりました。
玄関で最後に「頑張ってください」と言ってくれたのが印象的でした。
私も「お風邪、お大事になさってください」と言って深く頭を下げました。

今回の借入れ希望額は小額のものだったが、今後何があるかわからないので
チャンスが訪れたときにはすぐに融資が受けられる体勢を作っておきたかった
のです。
私も息子もがっくりと肩を落として仕事への意欲も失いつつありました。