わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

名作「赤ひげ」鑑賞と近代薬学の行く末を考えて見た、盆暗の話

2018年08月13日 | 医学と健康

原作は山本周五郎ですが

この小説は音声小説で聴いたので、映画の方も見る気になりました。

(じつはDVDがあったのですが、ほとんど見ていなかった。気が進まなかったわけです。)

 音声小説の読み上げで一番響いた名セリフが記憶に残っていたので、それもどういう場面で出てくるのかな? という興味もあり、黒澤映画をじっくり、しっくり鑑賞していたわけです。

 それにしても、この名セリフが気になる人と、全然スルーしてしまう人の差はなんでしょうか・・

などと変な事を考えながら・・・出てきました。

小説とは異なる場面で使われたようですが。

「ーーー医が仁術だなどというのは、金儲けめあての藪医者、門戸を飾って薬札稼ぎを専門にする、似而非(えせ)医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽するために使うたわ言だ」


・「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ」


・「つかぬことをうかがいますが、医は生死のことにあずからず、ということがあるそうでございますな」「あるようだな」と去定は答えた。(略)

「治る病人は治る、死ぬ病人は死ぬ、医者の知ったことではない、というわけでございますかな」

「そういう意味もあるだろうね」

「するとその、藪医者も名医も差別はない、高価な薬も売薬も同じことだ、というわけになるのでしょうかな」そこで徳兵衛はわざとらしく付け加えた、「もちろん新出先生のような御高名な方はべつとしてですが」「私をべつにすることはない」と去定は答えた、

「おまえさんの云うとおり、医者にも薬にもたいした差別はないというのが事実だ、名医などという評判を聞いて高い薬札を払ったり、効能も知れぬ薬を買いあさったりするのは、泥棒に追い銭をやるよりばかげたことだ(略)」


 というセリフです。

いやいや、これは小説の中の話であって山本周五郎の創作だよ

とか、

あれは江戸時代から明治の過渡期の話であって、現代では医学が飛躍的に進歩しているからぜ~~んぜん、違うね。

などと一般人なら解釈するか、まあ聞き捨てにしちゃうでしょうね。

だが、そこはこの道(いわゆる人と違う道へ行きたがる性、俗に言う天の邪鬼の道)何十年のボクには「これは聞き捨てナラン」と大はしゃぎの態。

 

 イヤになるほど書いてきたので、イヤになるけど書いちゃった。

「まだ、風邪(インフルエンザも同じ穴の・・・・)の原因も分からず、治せもしない医学が、他の病気を治せるなどというのは・・・(後は言わない)」

 でも、でも・・・もう今は薬が進歩して・・・

近代医学は云々・・・・

 そんな言い分けはワシには通用せん!

 

などと、ひとりでほざいているホトトギスかな。

 

  で、昨日図書館に涼みと快適な眠りを求めて訪ねたのだが・・・

ちょうど、借りた本を返す棚を覗いたら「新薬の狩人たち」という本が目に入った。イテテテ!

その前に、図書館に来る方々に苦言を呈する。

 ひとは無くて七癖・・・・というように、自分でも気づかないのか?

 イキナリ、脚で床を叩くひと。(タタタ~~~ン♪)

時間をあけて何度も繰り返すから、気になって気になって。

それと、「ウホホ~~ン」とか、いきなり奇声を発するひと。

 こういうのは男に多いのだが、(女性ならなんだろ?)

ほんとそいつのところへ行って怒鳴りつけてやろうと思った。

 「あのね~~~アンタの音でよく眠れやしませんよ!!いい加減に白よ」

と。

 そこで大声で怒鳴りつけてやると、本当に寝ていた親父のいびきが止まって、

「おい、そこの奴、眠れやしないじゃないか!静かにしろ!~」

 

  そんなのが連鎖反応で図書館はもう大騒ぎの態

それで注意するのはやめたのだが、こんどいつか言ってやる~~~~~!!

 

そのうち、睡魔が襲ってきて・・・・ウトウト

イキナリ、背後から

 「アンタねえ! いびきかくなら他所でNeroよ!!」

 

話が飛んでシマッタが

 人間、長い間に薬に頼ってきたし、医者に頼ってきたわけで

それを覆すような名セリフを聴いても一切お構いなし。

 

  やっぱ、薬だねえ。クスリ様々だねえ~~

お医者様が治してくださるし・・・・

  (いや、治すのは薬でしょ、アンタの話じゃ)

 

そんな中でひとり、つぶやく

  嫌になっちゃった・・・  

 

で、薬こそ我が命♪ 

 の方々にはいつも申し訳ない話をお盆にするというのも、非盆でイイかな?

などと思いまして・

山本周五郎氏の赤ひげの名セリフと近代薬学の先を突っ走ってきた外国のひとの話を繋げてみると、あらら~~ 意外と繋がるんでした。

 

本は楽天Koboにありましたので、そこの試し読みをキャプチャーしてみました。

結論。 薬をつくるのは試行錯誤、要するに数多く試して当たれば勝ち。そこには科学的公式のようなものはありませんでした。

医者が病気を治すなどという確率はあまりにも低いという「シィ~~~」の類の話。

 薬が効くというのは病を治すという意味じゃ無いってことがわかりました。

その他、いろいろありますが、とりあえずは飲み屋の付け出しです。

 

 

もとは毒であっても 「医者が治してくれる」と思って飲むから効く薬かな

 「キミの病は自分で治るんだよ」と本当の事を言う医者は廃業すべし

科学性などない↓

「数打ちゃ当たる」式の近代薬学のスクーリングにネアンデルタール人も微笑む

終わり無き、新薬の狩人達は「病気が無くなっては困る職業」かな

飲み続けなきゃならない薬こそ、医薬の鏡。一服で治る薬など医業の敵。

江戸に火事が無くなって、切羽詰まって火消し隊が火付け

それにヒントを得て、病気が無くなったら困る○○業が病気造りに転身

 

 ううーーーこんな事書いていたら、ブログもうすぐ消滅かな・・・

突然消えたゼラニウム掲示板の例もあることだし、

 いまのうちに書いておきます

「みなさん、ながいあいだゴ愛毒ありがとう」

 

 ※ このままず~~っと続いたらゴメンね。

 

国民医療費40兆円突破の年になにか御祝いでもあったかな?

いや、50兆円超さないと。 キリが悪い。

 

そこまではわが国も一生懸命新薬の狩人たちが走り回っていることでしょう・・・?

 

 

 

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