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おじいさんとの対話2 病気はどうして恐ろしいのでしょうね?

2013年03月18日 | おじいさんとの対話シリーズ

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 おじいさんとの対話2
 病気は果して恐ろしいか

先回に引き続き、病気というものの正体に迫ろうと思います。
何度も何度も繰り返し洗脳されなければ、僕の濁脳は融けない。



himaari: 「地震、火事、親父」と昔から言われてきましたが、いまの世の中で何と言っても身近に起こるものとしては、病気かも知れませんね。
いつ病気になるかも分からないし、重病にでもなったら大変ですからね。
 今の日本では「癌で死亡するのは三人に一人」だとか言われて、後は心臓病と脳疾患で、病気死亡の多くがこれで占められているそうです。
そして増えてきたのが感染症でしょうか。


おじいさん: 災害にしても、この病気にしても一番大切な生命にかかわることだからじゃ。 今さらこんな判り切った事をいう必要はないだろうが、生命に関しないまでも、いちど病気にかかろうものなら、医療費ばかりか、長引きでもしたらその出費と失職などによる収入減となるだろう。
そのため、せっかく築いた財産を無くすことも考えられるだろう。
 中にはいよいよ事業をはじめようとする者、または成功半ばの者、重要な責任を果そうとする者等々、一日も休めない境遇に置かれている時、病気にかかるとすれば今日の医療では絶対安静という様に、患者は何にも出来ない事になるじゃろう。


himaari: そうなんですよ。風邪を引いたくらいでも、一日休むのさえ気をつかっているくらいですからねえ。現代人は病気でも休むことに遠慮がちなのですから、ましてや長期休暇などは取りにくいんですよ。


おじいさん: それが君たちが誇る文明社会かね。その為に煩悶焦慮する精神的苦悩も肉体の病苦と合わせて二重の責苦に思うのだがね。
そこで現代ではいざ病気をしたらという一種の恐怖心の為にいろいろな保険に加入しているのだろうが、その保険料とてもバカにならない出費じゃろう。


himaari: そうですね。まず心配の種は病気が長引いたときの経済的負担ですね。
さらに長期間の休みは仕事を失いかねません。一度仕事を失ったら後の生活が心配ですし。
だからいつも「病気をしてはいけない」という心配がありますから、健康の為と言っていろいろな健康器具をそろえたり、ビタミンだの健康食品だのサプリメントなどというエライ高い物を飲んだりしていますね。
健康の為に高額の出費をしているのには、いつも「病気への不安」があるからでしょうね。
いざ病気になったら大変だという事です。


おじいさん: そのように、現代人が病気を極端に恐れるのは当然であろうな。
 しかも病気の原因がことごとくがウイルスや細菌感染の為としているから、ばい菌を恐れることも甚だしく、常に戦々恐々としているのじゃ。


himaari: そうですね、エイズやエボラ出血熱など、治りにくい重度の感染症が出現してから、なおのこと不安になったんでしょうね。それと最近えらい騒ぎになった「重症肺炎SARS」などもありましたから。
それどころか、近年の日本人はインフルエンザまで怖がっている始末ですよ。おじいさんの時代ではそれほどでも無かったのでしょうが、近頃はウイルス性感染が盛んに言われるようになりましたね。


おじいさん: そのように、病気にかかった時ではなく、むしろ健康な時であってもその恐怖に襲われるのだから、「何と不安な世の中ではないか」と言いたくなるのじゃ。
一方では豪華絢爛たる文化の進歩は昔と違って民主的であり、自由主義的であり、男女同権で合理主義的であり、交通の発達、生活の至便等々、確かに人間の幸福は増進したには違いないがね。
だが、今述べた様に「ばい菌恐怖症」という新しい一大脅威が生まれたのであるから、あらゆる文化的幸福はこれに抹殺されてしまったといっても誤りではあるまい。


himaari: その恐怖心や不安感が健康産業を増やしているわけですね。おっしゃるように「人間として文化の進歩とは生活の安心となる」はずなのに、この病原性ウイルスや病原細菌の感染症の恐怖によって半減されてしまっているのですね。
その為か「抗菌グッズ」などというおかしな物が世間に出回って来ましたよ。それだけ健康に対して不安な時代になって来たのに、相変わらず「医学の進歩」と言って賞賛されているのも変ですけどね。
病気の不安が解消されるどころか、なんだか不安はどんどん増しているような気がしますよ。これも病原とされている得体の知れない微生物への恐怖心からなのでしょうか。


おじいさん: その訳は「病気の正体を知らない医学」が主流になっているからじゃ。「病原性微生物の役割と人体の関係」を理解できないまま進歩しようとしているのだから、的がはずれているわけじゃ。
 医学がわしの時代から半世紀もたっているのに、未だにそのような病原と言われる微生物の恐怖から逃れることができないでいるじゃろう。しかも、解決できないどころかますます恐怖しているようでは、「医学は進歩どころか退歩している」と言っても過言ではなかろう。


himaari: なんと「医学の退歩」ですか?
いま感染症対策として盛んに国や医療で奨励されているのが予防効果があるとされるのがワクチンなんですね。でも、これも副作用が確認されているにもかかわらず効果も疑わしいという専門家も出てきましたね。それでも、インフルエンザの予防接種が減らないのは、いざ感染したときの恐怖心があるからなんでしょうね。


おじいさん: 本来なら「医学が進歩すればするほど、病気の軽減につながる」ものじゃ。
結果として、感染症のうちでの「一番軽いとされる感冒ごときで大騒ぎする」事の愚かしさはこちらから見てもあきれるほど異常じゃよ。医学の無力さを現しているに過ぎないのだがね。 以上の点を深く考えてみたまえ。
人類が文化の恩恵に浴し、幸福を享受し得るとしたら、何よりも病気の不安のない世界になることが先決じゃ。
だが、よく考えてみれば分かるじゃろうが、医学が病原とする「バイ菌類を全滅する事など不可能」だということじゃ。地球上からそのような細菌を無くすことなど絶対に出来まい。しかもじゃ、人体に感染させないという事もいかに消毒施設が完備しても絶対不可能であるのは分かりきった話じゃろう。


himaari: そうですね、地上から細菌やウイルスを無くすなどという事は不可能どころか、僕らは微生物の海の中に住んでいると思われるほど膨大な数の微生物と一緒に生きているのですね。体の中でも細胞60兆の数の何倍も生息しているそうですから、人間は微生物と同居しているようなものですね。感染どころか同居人みたいな感じですか。


おじいさん: 人間は微生物と切っても切れない関係にあるのが自然の姿じゃ。そこから微生物がどうして人間の病気と関わりがあるのかという事を真剣に考える事が必要になってく来るのじゃ。それをいくら忌み嫌ってみたところで「微生物から逃れることは不可能な絶対環境に生きている」のが人間やその他の生物というものじゃ。
それさえ理解できれば、あとはどうしても「感染しても発病しない人体を造る」より外に方法はない訳である。これによってのみ病気不安は解消する訳じゃ。


himaari: なるほど、この地球上は細菌やウイルスがどこにでも居るわけですからね。人間が微生物と分離した生活など始めから無理なことなんですね。
僕らがいくらウイルスや細菌の中に居ても平気な身体になる事以外に防ぐことは出来ないわけですね。周り中がウイルスや細菌だらけでも大丈夫な状態になるってことか?


おじいさん: そういうことじゃ。だが医学ではそれを成し得ていないどころか、今の方法でこの先も不可能であろう。それどころか「治療に使った薬剤から新たな強い細菌や病原ウイルスを発生させている」ことになる。
「微生物を叩けば叩くほど、むしろ強い病原性微生物を産みだしている」のじゃから、医学の進歩とは何を持って言うのか不思議なくらいだね。


himaari: え! 微生物は叩けば叩くほど強くなるってことですか。消毒や抗菌剤で殺そうとするのがいけないのですか? もしそうだとしたら、水面に石を投げるようなものですね。強く投げると強くはね返るけど、弱いとポチャンと沈むように。
そうなると強い病原菌を作らないようにするには、叩いてはいけないのですね。
どんな病原性ウイルスでも細菌であっても身体の方で受け付けないほどになれるのなら、それが一番ですね。
そうなれば、どこに居ても安心していられるでしょうし、いちいちマスクだの手洗いなどで神経質にならなくて済みますから。
その「叩くと強くなるという細菌」ですが、耐性菌の出現は近頃はかなり厳しいようです。もう数年前に「これから細菌に対抗する抗生物質などは無理である」という事を世界のトップクラスの医学専門家も話していましたね。これから新しい抗生物質を作っても、直ぐにその耐性菌が出現するそうです。


おじいさん: それは的外れの対策をするからじゃ。病原だと思って、叩けば叩くほど強くなる原理を知らないのだからね。これでは「現代医学は病気への不安を解消することはできない」であろう。
しかも「現実として時が過ぎるほど結果として現れて来る」じゃろう。


himaari: 「時が過ぎれば過ぎるほど」ですか? それはなぜでしょうか?
では不安解消には実際にはどうすれば良いのでしょうか?


おじいさん: 先ほど言ったように、感染しても、感染者の中に居ても発病しない体、そして罹っても軽く済む体を造る以外にない事はわかっただろう。
「時の経過とともにそれがよく分かって来る」という意味は、医学の感染症対策がまったく勘違いをしているから当然時とともにその歪みが出るわけじゃ。自然の大河の流れに逆らって泳いでいるようなものじゃからね。
もうひとつ重要な事がある。それは「夜昼転換」という大自然の転換期に入ってきたからじゃ。


himaari: 歪みが大きくなるって、土台がくるっている建築物みたいですね。医学の対策が土台から狂っていたという事ですか? それは驚きですね。世界中の医学者が、いや世界中の人が納得できない話ですねえ。
それと意味不明な「夜昼転換」って何の事でしょう?


おじいさん: 「夜昼転換」とは見えない事象だから説明は後にするが、まずは感染症とは何かその原理と対処方法を知ること。そして実行することにあるね。


himaari: そうですか、具体的にどういう事かを詳しく教えてもらいたいのですが。
時間が参りましたので次回にていろいろお尋ねしますので、よろしくお願い致します。



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