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わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

自然治癒を考える

2005年06月13日 | 医学と健康
今回の転落騒動は自作自演であった。
もちろん、「やらせ」なかじゃなくて、落ちた箇所に伐採した丸太が置いてあったということでした。
その丸太をこのあいだ確認してきました。あの転落事故で残した仕事を片づけるために現場に出向いたからです。で、ようくその穴の確認をしてきました。
けっきょく、落ちたところは斜面に掘られている横穴の断面で落下差は約2メートルくらい、落ちたところには切り株直径40センチくらいの丸太。
これが実は前日にも作業に行った時、上で切った木の丸太と確認したのです。
と言うことは・・・

前日に自分でその丸太を伐った、そして穴に落として置いた。
そして翌日、穴に落ちて、その丸太の角に腰を強打した。

ということで、どうもお粗末様でした  という、何とも、すべては事故責任、いや自己責任の転落騒動でした。

まあ、それも無意識での(よく言えば)準備から始まっていたようです。

で、今回はそれがはっきりと確認できたのですが、こいう事に限らず、人生のあらゆる面においての事象は実は「すべては自己責任で起こっている」という覚りに繋がっています。

無意識の領域で準備計画しておいて、それをまたこの世界で起こすのには「自己確認」が行われているということです。
それは良い悪いという結果によらずです。
良い結果と見える事象なら、それはおそらく皆が何となく認めることなのでしょう。
が、悪い結果と見える事象に対してはなかなかそれを自己の責任においてこの世に起こることを承知していた結果だとは たぶん 思いたくないでしょう。

大体は いやそれは 自然が、他人が、タイミングが、奴が・・・
自分ではそれを(起こることを)認めていない事なのに、上に書いたような他からの影響で起こったことだ。だから、それは運が悪かったとかあいつのせいだとか、あくまで自分にはその原因もないし、結果を受け入れてはいなかったものだ。・・・という解釈です。

ところが、どうもこれが違っているようです。
それは「死」でも「負傷」でも「病気」でも「被害」でも、起こった事象が総て、みな自分がその結果を受け入れているからこそ、この世界で起こり得るのだというのです。

そうすると、自分で自分の世界を創っているのは自身なのだ・・・・という話です。

今回は自然治癒で治りました。
レントゲンも撮らないから、骨折かヒビかは分かりませんが、打撲だけではこんな状態(これは自分がよく知っているが、その現場とその後の僕を見ていた者なら分かるはず)にならないでしょう。

まあそれを誰それに証明する必要もないのでしょう。
自分自身が分かれば良いのでしょうね。
そして、それを起こしたのも自分で治したのも自分。
もちろん、表面意識だけの自分ではありません。エゴ的な自分。そして、神的な自分。
これが分裂して存在しているのではなく、無段階にくっついてというか、側面が違いというか、その両極端だけを見ると、どうしても別物に見えるのでしょうが、本当はあれもこれも自分であり、原因であり、結果であるというもののようです。

自然治癒と言っても、最後には人は皆死んでいます。
死なずに生きているのはイエス様だけかな? 復活後に死んだという話は聞いていないので・・・・
(これ品川和尚さんの話から  なるほどと思って)

自然治癒で治らない場合は、それは、「治らない」という状態を自分で認めているからです。
「治る」結果が出たという事は、それを自分で認めているからです。

では、薬で「治った」と思う人は、もちろん薬で治る状態を認めているからでしょう。
それなら「自然治癒」でも「薬治癒」でもいいじゃないか  という話になりそうです。

これはどういうことだろう?
「薬」という「毒」を認めているなら、それが「毒」であっても「薬」
になるのだろうか?

ここがひとつの鍵になりそうです。
これからの人類の集合意識がやはり「薬」というものを認めている状態ならそうなるのだろう
(これはちょっと理屈ではおかしいが)し、
これからは「自然治癒」(自己治癒力)を認める人がそうなっていくのだろう。

と、なんだか理屈に合わない話にしてしまいましたが、けっきょくは最後にそれを選択している私とう私が居るのでしょう。それは無意識の私かそれとも意識にある私かは分かりませんが。

もし、無意識の私の方が主導権を握ってしまったときは、今あたまで考えているようなことでなく、逆のこともあり得るわけです。

え?この僕は?というと。
やはり20世紀までは頭の方が優先していたようで、薬で治る治療に軍配が上がっていた(かに見えていた)様ですが、どうも、今回のスムーズな自然治癒の状況を見ると、21世紀は自然治癒の方向に向かって(いやその世界に入っている)いるのだと、まあ自分だけ確認したようです。

そんなわけで、
今回の転落事故は「自然治癒」の確認作業だったと結論づけしたおわりと致しました。

読む人もいないだろうけど、まあ自己確認の作文だわね。

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